ねこ絵描き岡田千夏のねこまんが、ねこイラスト、時々エッセイ
猫と千夏とエトセトラ
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ゆく猫くる猫2019
2019年12月31日 / 猫
春に、通い猫の太郎が亡くなりました。通い猫といっても毎日来るわけでもなく、そもそも触れるほど慣れていないので、うちの周辺で生活をしていた野良君というのが正しいかもしれません。
太郎との付き合いは、正確には覚えていませんが、6、7年前からだったと思います。出会った最初の頃から毛に艶がなくて、すでに若くはないように見えました。
野良猫の雄らしいエラの張った顔に、ふてぶてしそうな細い目をして、時々、おでこや鼻柱にひっかき傷を作っていました。肩に大けがをしてきたこともありました。
鼻の傷が化膿して、クリスマスのトナカイのように赤く腫れてしまったときには、抗生剤をちゅ~るに混ぜて与えました。それが効いたのか数日でもとの顔に戻りましたが、次に来たときにいつも通りのドライフードを出してやると、お皿を一瞥し、私を見上げて、「にゃあー」とさも不満そうに鳴きました。これじゃない、美味しいちゅ~るをくれということだったのでしょう。撫でさせてくれもしないくせに、厚かましいやつだと笑ってしまいました。
撫でさせてくれないどころか、何年もうちでご飯を食べているくせに、私がキャットフードを持って近づくと、毎回お約束のように、シャーッとかフーッとか威嚇をします。そのたびに私が「なに言うてんの、偉そうに」と冗談で叱ると、「ごめん、つい癖で」というつもりなのか「なに、このおばさん、怖っ」というつもりなのかわかりませんが、耳を倒して上目遣いに私を見返しました。
ほとんどの時間をうちの敷地内で過ごしていた時期もありました。買い物などで外へ出ると、たいていガレージや外階段の上で寝そべっている太郎の姿を見かけました。冬には、父が発泡スチロールの箱で作った猫ハウスを愛用していて、透明なアクリル板の扉の内側が、太郎の体温で曇っていました。私が外に出ると、猫ハウスからのっそり出てきて、お皿の前に座ってご飯を催促しました。暖かい寝床とご飯で、その頃の太郎はだいぶ毛並みもよくなり、ふっくらとしているように見えました。ご飯のときの威嚇は相変わらずでしたが、太郎がいつも家にいるのは嬉しいことでした。
そのままうちに住みついてくれるものだとばかり思っていましたが、そうはなりませんでした。次の年の冬には、家にいない時間のほうが長くなって、時々ご飯を食べにくるだけになりました。猫ハウスを使うこともなくなり、いつのぞいてみても、からっぽで寒々としていました。
あまり長いこと訪ねてこないときには、漠然ともうどこかで死んでしまったのではないかと思い、そのあとひょっこり現れた姿を見ては、ほっとするのでした。
今年の春も、長いこと太郎は来ませんでした。ある日、ふと庭をのぞいてみると、猫ハウスの上に太郎がうずくまっているのが見えました。痩せて、顔は目やにで汚れ、よだれをたくさん垂らしていました。日差しの暖かい日で、散り始めた庭の桜の花びらが、ひらひらと舞い落ちていました。抗生剤を混ぜたちゅ~るを小皿に入れてやると、少しだけ食べました。
それからまた太郎は、ほとんどうちの敷地内で過ごすようになりました。一日に何度も様子を見に行って、抗生剤と痛み止めのステロイド入りのちゅーるを食べさせようとしましたが、口の中が痛むのか、少し食べてくれたり、まったく口をつけようとしなかったりの繰り返しでした。
一時、痛み止めが効いたのか缶詰をがつがつと食べてくれて、これはもしかしたら持ち直すかもしれないと明るい気持ちになりましたが、それも続かず、だんだんと悪くなって弱っていくのがわかりました。
私の姿を見ると、また使い始めた猫ハウスから出てきて、にゃーにゃ―鳴きながら先導するようにご飯のお皿のところへ行きましたが、ちゅーるや缶詰を入れてやっても、口元にスプーンで運んでやっても、もう食べることができませんでした。お腹が空いているのに食べられないのかと思うと、可愛そうでいたたまれませんでした。今まで見たことのない訴えるような様子でにゃーにゃー鳴いて、きっと私に助けを求めているのに、なにもしてあげることができず、悔し涙が出ました。太郎は、しゅーしゅーと苦しそうな息をしながらお皿の前で長いことうずくまっていました。
毎朝起きると、箱の中や庭で死んでいるのではないかとどきどきしながら見に行きました。それと同時に、もう助からないのであれば、せめてこの我が家の猫ハウスで誰にも邪魔されず静かに最期を迎えてくれたらとも思いました。
それなのに、もうふらふらの状態であるにもかかわらず、太郎はまた家を空けるようになりました。半日いなくなり、一日いなくなり、そして、太郎は戻ってきませんでした。
私に迷惑をかけないようにと思って出て行ったのなら―もしそうだとしたらなんて水臭いやつなんだと、太郎の気配の消えた庭で私は悲しい気持ちでいっぱいになりました。
太郎との付き合いは、正確には覚えていませんが、6、7年前からだったと思います。出会った最初の頃から毛に艶がなくて、すでに若くはないように見えました。
野良猫の雄らしいエラの張った顔に、ふてぶてしそうな細い目をして、時々、おでこや鼻柱にひっかき傷を作っていました。肩に大けがをしてきたこともありました。
鼻の傷が化膿して、クリスマスのトナカイのように赤く腫れてしまったときには、抗生剤をちゅ~るに混ぜて与えました。それが効いたのか数日でもとの顔に戻りましたが、次に来たときにいつも通りのドライフードを出してやると、お皿を一瞥し、私を見上げて、「にゃあー」とさも不満そうに鳴きました。これじゃない、美味しいちゅ~るをくれということだったのでしょう。撫でさせてくれもしないくせに、厚かましいやつだと笑ってしまいました。
撫でさせてくれないどころか、何年もうちでご飯を食べているくせに、私がキャットフードを持って近づくと、毎回お約束のように、シャーッとかフーッとか威嚇をします。そのたびに私が「なに言うてんの、偉そうに」と冗談で叱ると、「ごめん、つい癖で」というつもりなのか「なに、このおばさん、怖っ」というつもりなのかわかりませんが、耳を倒して上目遣いに私を見返しました。
ほとんどの時間をうちの敷地内で過ごしていた時期もありました。買い物などで外へ出ると、たいていガレージや外階段の上で寝そべっている太郎の姿を見かけました。冬には、父が発泡スチロールの箱で作った猫ハウスを愛用していて、透明なアクリル板の扉の内側が、太郎の体温で曇っていました。私が外に出ると、猫ハウスからのっそり出てきて、お皿の前に座ってご飯を催促しました。暖かい寝床とご飯で、その頃の太郎はだいぶ毛並みもよくなり、ふっくらとしているように見えました。ご飯のときの威嚇は相変わらずでしたが、太郎がいつも家にいるのは嬉しいことでした。
そのままうちに住みついてくれるものだとばかり思っていましたが、そうはなりませんでした。次の年の冬には、家にいない時間のほうが長くなって、時々ご飯を食べにくるだけになりました。猫ハウスを使うこともなくなり、いつのぞいてみても、からっぽで寒々としていました。
あまり長いこと訪ねてこないときには、漠然ともうどこかで死んでしまったのではないかと思い、そのあとひょっこり現れた姿を見ては、ほっとするのでした。
今年の春も、長いこと太郎は来ませんでした。ある日、ふと庭をのぞいてみると、猫ハウスの上に太郎がうずくまっているのが見えました。痩せて、顔は目やにで汚れ、よだれをたくさん垂らしていました。日差しの暖かい日で、散り始めた庭の桜の花びらが、ひらひらと舞い落ちていました。抗生剤を混ぜたちゅ~るを小皿に入れてやると、少しだけ食べました。
それからまた太郎は、ほとんどうちの敷地内で過ごすようになりました。一日に何度も様子を見に行って、抗生剤と痛み止めのステロイド入りのちゅーるを食べさせようとしましたが、口の中が痛むのか、少し食べてくれたり、まったく口をつけようとしなかったりの繰り返しでした。
一時、痛み止めが効いたのか缶詰をがつがつと食べてくれて、これはもしかしたら持ち直すかもしれないと明るい気持ちになりましたが、それも続かず、だんだんと悪くなって弱っていくのがわかりました。
私の姿を見ると、また使い始めた猫ハウスから出てきて、にゃーにゃ―鳴きながら先導するようにご飯のお皿のところへ行きましたが、ちゅーるや缶詰を入れてやっても、口元にスプーンで運んでやっても、もう食べることができませんでした。お腹が空いているのに食べられないのかと思うと、可愛そうでいたたまれませんでした。今まで見たことのない訴えるような様子でにゃーにゃー鳴いて、きっと私に助けを求めているのに、なにもしてあげることができず、悔し涙が出ました。太郎は、しゅーしゅーと苦しそうな息をしながらお皿の前で長いことうずくまっていました。
毎朝起きると、箱の中や庭で死んでいるのではないかとどきどきしながら見に行きました。それと同時に、もう助からないのであれば、せめてこの我が家の猫ハウスで誰にも邪魔されず静かに最期を迎えてくれたらとも思いました。
それなのに、もうふらふらの状態であるにもかかわらず、太郎はまた家を空けるようになりました。半日いなくなり、一日いなくなり、そして、太郎は戻ってきませんでした。
私に迷惑をかけないようにと思って出て行ったのなら―もしそうだとしたらなんて水臭いやつなんだと、太郎の気配の消えた庭で私は悲しい気持ちでいっぱいになりました。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
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ありがと~ございます!
ニャンちゃんは
最愛の人には最期を見せたくないから
どこかへ行ってしまうと聞いたことがありますが
太郎そうだったのかなぁと…
だんだんと弱っていく姿は
ホント辛いですね…
ウチの先代ヤンさんは
千夏センセに会った日から
あっという間に悪くなっていって
その週の日曜早朝に昇天しました…
でも太郎は
千夏センセの愛をたくさん受けて
心安らかに旅立ったと思います…
天国でヤンさんに会ったら
仲良くしてにゃ~!
家ねこでも、最期、ちょっと目を離したすきに
息を引き取ったりするっていう
話も聞いたことがあります。
先代のヤンさんにはあのタイミングで会えて、
ほんとよかったです!
苦しい野良生活の中で ほんの少しでも(たくさんだけど)
気にかけてもらえて 家までもらえてご飯ももらえて、、
最期の時に幸せをもらえて 旅立てたと思います。
『ありがとう。』太朗は言ってます。
もともと年もいってそうだったので
仕方ないというか覚悟はできてたと思っていたのですが、
やはりねこさんとのお別れはつらいですね。