take it easy, enjoy life

気楽に生きたいワタシが日々思うことをただ書き連ねます。
なーんの脈略もない寝言集。

振り返り日記 3/14 踵骨疲労骨折

2011-03-22 | もりもり・・健康の話
ほぼ、間違いないようです。

一昨日(3/12)から足が痛くて歩けない。
「これはおかしい・・」と思いながらも
大地震や原発のことで足の痛みどころではなかったので放置。

しかし治る気配もなく、さすがに生活に支障をきたすので
自転車で整形外科へ行ってきました。

レントゲンを撮った結果・・・「疲労骨折でしょう」と。

??なんだ、その気の抜けるような病名は。

『帰宅難民で数時間歩いたけど、犬の散歩でよく歩く方だし
別に疲労なんてしてません。それにそんなにヤワじゃありません!!!』

なんて言ってみたけど診断は変わらず。

なんかプライド傷つくんだよな、「疲労骨折」って名前。


一見、ビッコ引いて歩いていなければ、健康体。
変に骨が再生すると、稀に後遺症が残ることもあるそうな。
それならちょっと、ギブスぐらいして欲しい・・。

全治:平均一ヶ月。
処置:特になし。極力歩かないこと。


振り返り日記 3/11 地震発生

2011-03-22 | つれづれ・・日々の事
渋谷のオフィスに居ました。
お世辞でも「安心できる」とは言えない建物の5階。

気持ち悪くなるほど大きく、長く揺れて、怖くて泣きそうになりながら
本当に「ああ、私はここで死ぬのか」と思い、色々なことが頭を過りました。

これだけの揺れなら関東が震源地だろうと思いきや、
ニュースでは東北で発生とのアナウンス。

一体東北は、どの位揺れたのか・・・。

地震発生直後から、救急車や消防車のサイレンが暫く鳴りやみませんでした。
携帯電話は全く繋がらず、なかなか家族の安否確認ができません。
ようやくのことで、回線電話から自宅に連絡がつきましたが、その一度きり。
続く余震にも怯えながら、散乱したものを片付けつつ17時50分まで会社で過ごし、
結局歩いて帰宅することに。

歩きながら目にする渋谷の光景は、ビルの上層階の窓ガラスが落ちて割れていたり
帰宅を諦め、渋谷で一晩を過ごす覚悟を決めた人たちが寝床をセッティングしていたり・・
そして徒歩で帰宅する人の大行列!人の列は車道にまで広がっていました。

コンビニに入れば陳列棚は見事に空っぽ。
まるで別世界に映る東京の様子。

夢中で歩きました。

途中、温かいスープを無料で配布しているレストランや
『トイレお使いください』と書かれたダンボールを持って立っていた人を見て
緊張していた気持ちが、一瞬ホッと緩み、温かな気持ちに。

結局、帰宅途中にウチの社長に救われ、
(温かいおにぎりと玉子焼きが胸に(腹?)沁みた・・)
自宅まで車で送ってもらい、深夜1時、無事に帰宅。
とっても有難かった。

家族は皆無事でした。
父以外は帰宅難民となり、随分大変な想いをして帰宅。

でも、再会の喜びも束の間、テレビで衝撃的な映像を見て、固まりました。
本当に、悲しいことになっている・・・東北。

地震発生より11日目

2011-03-22 | つれづれ・・日々の事
ようやく、ブログを更新しようという気が湧いてきました。

地震発生時から今日まで、いつの瞬間も「これが夢であればいいのに」と願いました。

時間の感覚がなくなり、放心状態になったりもしました。

一人でも多くの命が救われることを祈り、テレビで被災地の惨状を見ては涙がこぼれました。

生きていること、なんてことのない日常を過ごす幸せを有難い・愛おしいと思ったりしました。

続く余震、そして目に見えない放射能という恐怖に、パニックになったりもしました。

被災しても、強い心で笑顔を忘れず前向きに生きる友人、
「東京よりも安全だよ、避難しておいで」と言ってくれた友人、
こんな時だからこそ「平常心」が大切と教えてくれた友人、
ニュースや新聞では報道されないような情報を「知っておくべき」と教えてくれた友人、
そしてベルギー・フランス・韓国・モーリタニアから、何度も何度も連絡をくれた友人やホストファミリーには
計り知れない勇気と愛情、そして知恵をもらいました。


自分にとって大切なものが何かを再認識した、貴重な11日間。


守りたい‥大切な家族や友人。平凡な日常。そして大好きな日本。


今 私に何ができるか 考えよう。