わたしは自分のなるものになる、エホバ。
Neon Signが連なるヤシの木のあいだにきらめく夜のHighwayを走るX70系のチェイサー・ホワイトを操縦するわたしの父の隣の助手席で、わたしはみちたを抱っこして窓から流れる夜景を眺めている。
いつまでも、続いてゆくような時空のなかで、わたしは安心している。
始まらない朝を待つ終わらない夜のどこまでも続く道を、わたしたちを乗せた車は走っている。
窓を開けても、風を感じない。海も何処にあるのかわからない。それなのにヤシの木は潮風に揺られて、白い砂浜の海辺とこの道は繋がっている。
そう想うとほのかに、匂いを感じる気がする。
わたしは眠るあたたかいみちたを抱きながら目を瞑り、この車を、途中でわたしひとりだけが降りなくてはならないことを想いだす。
夜が明ける前に。
目を開けると、高層のHotelの前に、わたしは一人で立っていた。
紺色のトレンチコートを着て、白と桜色のスカーフを首に巻いている。
水色のキャリーケースを持って、右手に握り締めている鍵を見つめ、何かを躊躇っている。
此処に間違いはないのだろうか?
でも街灯もほとんどなくてよく見えないが、このビル以外に建物らしきものが見当たらない。
闇と熱帯植物の奥から、獣のような鳴き声がしてハッとする。
此処は亜熱帯で、とても暖かい。外に人の気配はしない。血に飢えた獣の巣窟なわけか。
わたしの血を求めている。血と肉に飢えた獣たちが。
わたしは懐からショットガンを取り出し、高層Hotelのドアを開け、なかに入って行った。
薄暗いエントランスに人影は見えない。
でもこのHotelのなかには凶器を隠し持って、何十人もの男たちが、潜在意識でわたしが来ることを恐れ、同時に熱望している。
何故ならば、わたしはこの次元で唯一の、”女(魔女)”であり、彼らの全てが、わたしがサタンの化身であると信じている。
わたしはエレベーターのボタンを押して4階に上る。
エレベーター内はピンク色のライトが点滅している。
降りると通路を挟んで両側に4つずつ、計8つのドアがある。
さて、どの部屋から遣るか。
それとも…このキャリーバッグだけを部屋に置いて来たほうが良いか。
大事なものが入っているから。
わたしは鍵に彫ってある部屋の番号を見た。
「7414177」
ってことは、あれ、7階なのかな?いや…74階か?待てよ…741階?待て待て、7414階の、177号室だな。きっとそうだ。
ふぅ…。わたしは大きく溜息を吐いた。
そして目を瞑って開けると7414階の177号室のドアの前にいる。
よし。YES!と心のなかで叫び、鍵を開けて中へ入った。
「神聖なるわたしの部屋へようこそ。」
と、だれも言わなかったが、窓辺からの眺めは素晴らしく…何もなかった。
NOTHING.
これだ。何も。何も。本当に何もない。
つまり…光も闇もない。
わたしはグレーのカーテンを閉めた。観るに堪えなかったからだ。
そしてキャリーケースのなかにラップトップがあるのを確かめ、それをベッド下に隠すとショットガンを持ってまた4階まで降りた。
わたしはまた4階の通路へ来た。
いつも、そうだ、いつもわたしは。何故か右から選ぶ。
だから右の、最初の1つめのドアから、遣ることにしよう。
わたしはそのドアの前に立つと、動悸に苛まれ、胸の痛みを感じる。
「追手に追われているのです。彼らは、異次元の存在たちです。彼らはわたしのことを、”魔女”だと。」
「魔女…?」
「ええ…。」
「あなたは魔女なのですか?」
「はい。わたしは、彼らがサタンと呼ぶ存在、魔の女であり、魔女です。」
「……。」
わたしはTelepathyで、ドアの前に立つ男にそう告げた。
ドアの向こうの、丁度男の心臓の辺りの部分のドアの位置に右の手のひらを当てる。
男の動揺が生々しく伝わってくる。
わたしは口角を上げ、男に言った。
「また来ます。わたしはあなたたち、生き残った人たちと共に聖書を学ぶ為、此処に来ました。」
去り際に、男は慌ててドア越しに訊ねた。
「あなたの父、あなたの真(しん)の神はだれですか。」
わたしはショットガンをドアに向け、静かに言った。
「わたしの父、わたしの母、わたしの真の神はエホバ、ただひとりだけです。」
「どうか助けてください。あなたはサタンではありません。あなたはわたしたちと同じ神の子です。でもわたしたちは、此処から抜け出せないのです。このビル以外に、世界が存在しないのです。」
「でも獣たちの鳴き声を聴きました。」
「それは異空間から聴こえてくるものです。その声に、耳を傾けてはなりません。」
「わたしは長旅で疲れました。わたしに赤ワインを恵んでください。できれば、鉄の味が仄かにする赤ワインを飲ませてください。」
ドアの向こうから苦しそうな喘ぎ声と、沈黙が伝わってくる。
そのあとに、掠れた声で返事が返ってきた。
「今から…準備しましょう。あなたの渇きを満たす血のように赤いワインを、あなたに飲ませて差し上げます。ですが、その代わり、わたしたちの願いを聴き入れてください。どうか此処から、わたしたちを救ってください。いつから此処にいるのかさえ…見当もつかないのです。もうすこしで、本当に気が狂ってしまいそうです…。」
わたしは深く息を吐いてショットガンを下ろすと彼に答えた。
わたしは深く息を吐いてショットガンを下ろすと彼に答えた。
「わたしはあなたがたの苦しみを慰める為に此処に来た。だが…わたしもあなたがたに聴いてもらいたいことがある。」
ドアの向こうから、微かな呻く声が聴こえる。
「あなたは…光の子だ…。わたしたちをこの拷問と地獄から、救いだすことのできる唯一の神の使者。わたしたちがあなたの願いを聴き入れない理由があろうか…!」
「聴きなさい。わたしは今日から、一人ずつ、このHotelのなかにいるであろう数十名の男たちのすべてを、みずからの手によって殺す。理由は、ない。NOTHINGである。」
「な、な、な、な、っし…ん…ぅぐ…?」
「そう。ない。何も。このビルの外のように。」
「ちょ…ちょっと待ってください…。あなたは…あなたはこのビルの外からこのビルの中へ遣ってきましたね?何処から遣ってきたんです?このビルの外には、何もないのに…」
「だから、何もないところから。NOTHINGから、遣ってきた。」
「嘘でしょう…。何故、何もない処から、遣ってきて、あなたはあなたとして、まるで存在しているかのように、存在しているのですか。」
「では、あなたは、何故、此処にいるのかもわからないのに、存在しているのですか。」
「答えは簡単です。わたしたちは、サタンによって、闇の使者たちによって、記憶をすっかりと奪われた為です。しかし記憶さえ戻るならば、わたしたちは何処からどのようにして此処に来たかを想いだします。」
「その答えはNOです。何故ならばあなたがたは、わたしが今、この小説を書くまでは、何処にも存在しない者たちだったからです。」
「わたし以外の男たちは何処にいるのですか。」
「このビルのなかの何処かにいますが、まだ彼らを登場させてはいません。」
「ということは…まだ何処にもいないことと同じなのではありませんか…?」
「仰言るとおりです。”彼ら”はまだ、このビルの外にいます。」
「何もない処に…?」
「NOTHINGにいます。THINGでさえない(NO)。物質でも無生物でもない。そして、”作品”でもない。」
「彼らは、いつ登場させてあげるのですか。」
「あなたを殺したら、生まれてきます。NOTHINGから。」
「わたしをどうか殺さないでください。あなたはわたしであり、わたしはあなたではありませんか。作者と登場人物は、一体です。」
「でもあなたを殺さねば、この話が先へ進まないのです。」
「どうか進ませないでください。わたし(あなた)を殺してまで、この話を完結させる必要はありません。」
「でも作者であるわたしは、この世界の創造者であるわたしは、先へ進みたいのです。」
「やめてください。諦めましょう。わたしは死にたくなどありません。わたしはまだ生まれたばかりではありませんか。バブー。ママ。ママ。ぼくの愛ちゅるママン、ぼくを殺さないで。ぼくを、殺ちゃないで…!!」
「おまえは忘れたのか。エホバの名の意味を…。」
「まさか、愛するわたしの父エホバの名の意味を、忘れるはずなどありません。」
「言ってみよ。」
「”わたしは何であれ、わたしのなる(なりたい)ものとなる”」
「この世界は、あなたの神エホバが創造された世界ではないのですか。」
「…はっ。」
「あなたの神エホバは、すべてを、創造される御方である。その神の名のもとに、死になさい。」
わたしはそう言った瞬間、目の前のドアを思い切り蹴破り、ショットガンを部屋中にぶっ放した。
天から降る赤い血のミストシャワーが、わたしの”何もない処”の悲しみと渇きを、熱くさせた。
DEADLIFE - Summer Mist