南米料理と音楽の店 ペーニャあまんかい

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無名の有名人

2006-07-19 16:59:49 | 南米的沖縄生活
私のマックさんが起動時に「?」を連発し、調子悪くなってしまって、仕事も止まり心配していました。その「マックショック」で私のほうも高熱がでてしまいました。

マックも私も元気になったので、前から見たかった映画「ヨコハマメリー」に行ってきました。(ぴらつかさん、ありがとう)

虚栄の張りぼての有名人より、自分の信念を貫いて不器用に、胸を張って生きる無名の有名人に共感を覚えます。

心無い人の言葉に胸を痛めたであろうメリーさん、少数ではあったけどそんな彼女をやさしく見守るヨコハマの住人。
ビルの狭い通路で小さな折りたたみ椅子2脚に横たわるメリーさんの写真はとても痛々しかったのですが、お里の養老院での白塗りメーキャップをしてない、かわいらしい笑顔にすこしホッとしました。
養老院から友人のシャンソン歌手に当てた手紙の「出来るならまた横浜に戻りたい、まだ私にはたくさんの夢があります」という言葉は印象的でした。メリーさんは過去の伝説の人ではなく、今をまさに生きている人なのですね。宇野千代さんの「生きてゆく私」を思い出しました。そう今を現在進行形で一生懸命生きてゆくんです。

桜坂劇場のお隣の席に座られたのは沖縄の無名の有名人「いっちゃん」でした。ジァンジァンでのシルビオのライブにはいつも来てくださいました。

「ヨコハマメリー」の中にも、主催者が「横浜の人が果たして理解してくれるか」と考えてしまうような公演が難しいコンサートやオペラにメリーさんがいらっしゃると成功するという逸話がでてきますが、沖縄の「いっちゃん」と同じですね。

私はといえば有隣堂、シルクセンター、母が最上階で国旗がのったお子様ランチをご馳走してくれた松坂屋など懐かしの横浜ワード聞きながらメリーさんといっちゃんに囲まれ、過去と現在と横浜と沖縄とをぐるぐる巡っていたのでした。

いろいろな地域にこういった人物がいらっしゃると思うのですが、やさしく受け入れている地域の懐の深さを感じます。

所変わってキューバでは、身なりはみすぼらしいのですが、バラの花をいつも携え、町を歩く女性にプレゼントして自作の詩を贈るというお方がおられました。
私もお会いしたかったのですが、私達が訪れた1年程前にお亡くなりになったそうです。
彼が歩いていたハバナの通りには彼の像が今でも女性達に一輪のバラと詩を贈っています。