娘が持っているトランペットを、このたび寄付することになった。
正確には私の弟が昔使っていたもので、それを娘が小学生の時、譲り受けたものだ。
娘は、なんとか音が出るまでになったが、 結局続けることはなかった。
私もトランペットは吹けないので、 そのまま押入れにしまっていた。
先日妻が、 知人のいるボランティア団体に預ければ、
世界の、楽器を買えない子供達に送られると聞いた。
そしてトランペットは我が家から離れていったのである。
世界の、どの国のどの子が手にするだろうか。
いや・・、本当に送られるのだろうか、という不安もある。
しかし、きっと三人目となる持ち主は現れるだろう。
映画でもよくあるが、 貧困や、病気の子供がひとつの楽器を手にしたことで、
のちに世界的なミュージシャンになるという話。
そんなストーリーが生まれるといいな、と思う。
私は子供のころ、バイオリンを習っていたが、
その教室では、代々生徒がお下がりを譲り受けていた。
バイオリンは、身体の大きさと共に新しいサイズになるわけだから、
当然そういう繋がりができていた。
最初に使ったものは、たしか私で5人目だった。
かなりボロボロという感じだったが、 先生の、
「お兄ちゃんお姉ちゃんたちが一生懸命練習してきたものだ」 という言葉は、
今も記憶に残る。
次に使ったものは、逆に新品だった。
これは、私の両親が買ってくれたものだ。
こちらはその後、教室で3人の生徒に渡ったという。
もうひとつ、私はピアノも持っていたが、
20年ほど前に、近所の女の子に譲った。
お母さんは私と同級生で幼なじみ。
『この子を将来、音大に入れたいの。だからピアノを譲って!』
そう頼まれて、譲ったものだった。
その子は、 お母さんの期待に応え、見事に名門・国立音大に進学。 私も嬉しかった。
そのピアノは今はさらにまた、 音大を目指す別の子が使っているらしい。
楽器の取り持つ縁。 高価な物だからこそ、
それを手にする人たちの想いを感じる。
トランペットと、 それを手にする人たちに幸あれ!
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