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シャープ & ふらっと

半音上がって半音下がる。 それが楽しい、美しい。
思ったこと、感じたことはナチュラルに。  writer カノン

小学校の同級生

2006-05-19 10:54:06 | 人とのつながり
先日、地域活動での懇親会があった。

男性ばかりの会である。
当然?というか、恒例のごとく
女性のコンパニオンさんが来る。

この、「コンパニオン」という言葉、
なんとも、ちょっとHな感じで私はあまり好きではないが、
昔の「芸者さん」よりはいいだろう。
正式には「パーティーコンパニオン」と呼ぶのだが、
ともかく華やかで、若い女性にも人気があるようだ。

宴会の幹事になると、彼女らを「職人さん」と呼ぶ。
「職人さんは何人呼ぼうか」という具合に。
あからさまに、「コンパニオン」と呼べない時は、
便利な言葉である。

その懇親会でやってきたコンパニオンの代表、
つまり、世間で言われる「ママ」(リーダー)さんは、
私の小学校時代からの同級生。
家も近く、幼なじみと言っても良い。
しかし、今まで一度も、彼女を呼んだことがなかった。
近所ということもあるが、
たまたま幹事のツテで、別の会社に頼んでいたからだ。

彼女自体は、普段でも顔を合わせているが、
宴会の席で一緒になったのは初めてだった。
この日、来ることはわかっていたし、
彼女も、私のいる席ということは知っていたようだが、
やはり顔を合わせたら、なんだか照れくさかった。

彼女は、けっこう男性から人気があるママさんだった。
皆、私が同級生だと知って驚いていたが、
昔を知る私は、頑張っている彼女にエールを送るだけだ。

「小学生の時、机を並べてたんですよ」
「その消しゴム欲しいって言ったら、くれたんですよ」
彼女は、皆を前に昔話を始めた。
ずいぶん詳しく覚えていた。

私のことも、「くん」付け。
年配の役員さんから、
「今でも、くん付けで呼ばれるなんて、幼なじみはいいね」
などと言われたが、そうかもしれない。

彼女は、大学生の娘さんのいるお母さん。
「身体、こわさないように頑張れよ」と言ったら、
「大丈夫よ。まだ30代前半(?)だから」と、屈託なく笑っていたが、
その笑顔は、子供時代の彼女そのままだった。

東京で

2006-05-16 14:55:32 | 人とのつながり
「はじめまして」
あなたが私に言う。
「こちらこそはじめまして」
私もあなたに返す。

長く待った一日。
でも、あっという間の一日。

初夏の東京。
半袖で待つ東京駅。
赤レンガの前に、純白のひと。

六本木ヒルズの52階。
浅草寺の線香の匂い。
隅田川の水しぶき。
お台場の静かな波打ち際。

何に共感し、
何に惹かれ、
何に思いを寄せたのか。

人ごみの中で、
先がよく見えていない私と、
先を見てため息をつくあなた。

でも、あなたは言う。
「私、ポジティブですから」

修学旅行生がすれ違う。
いきいきした眼で、「フジテレビ」の球体を見つめる。
その横を行く私とあなた。
40代の生き方って、何でしょう。

「ありがとうございました」
あなたが私に言う。
「こちらこそありがとうございました」
私もあなたに返す。心から。

そして、東京駅の雑踏の中、
あなたは、北へ。
30分後のメールは、
いつもの、あなたのメール。

同窓生

2006-04-24 11:07:41 | 人とのつながり
4月から、地域の活動で役員になったが、
同じく、一緒に役員になった仲間がいた。

昨日、その彼と初めて話をした。
最初は、お互いの仕事の話をしていたが、
なんと彼は、同じ高校の卒業生だとわかった。

私が2年先輩だ。
先生の話、弁当の話、通学路の話・・。
一年間だけ、一緒に在籍していたのだから、
話は共通する事ばかりで、ずっと尽きなかった。

地元の都立校を出た私。
当然ながら、地元に卒業生も多いのだが、
やはり同じOBというのは、親近感を覚える。

以前、このブログでも書いたが、
その、私達の母校は来春、統合で廃校になる。
統合されるもう片方の高校も、
数多くのOBを輩出した伝統校。
こちらも、地域活動で一緒の仲間に、OBが多い。

学校の統廃合は、東京都の都合だけで決められている。
母校が消滅すること。
それはたとえば単純に、夏の高校野球を見ても、
母校は予選にも出てこない、ということだ。
それは、寂しさや悔しさにつながっている。

私達OBは、地元の団体やボランティアなど、
各所で活躍している。
廃校になるからといって、
卒業生の人格や歴史が「廃れる」わけではない。
建物がなくなる分、
OB・OGのつながりは強くなるだろう。

写真は、母校の廊下だ。
校舎が来年以降、どう使われるのかも未定だという。
夢も計画性もない行政のような、
いい加減な卒業生ではありたくない。

先生の思い出

2006-04-07 12:30:38 | 人とのつながり
昨日は、小学校の入学式。

私が一年生の時の担任の先生は、
大卒一年目の、新任の女性。
でも、6歳の私達から見れば、ベテラン先生と変わりない。
先生からすれば、一年生相手に大変だったと思う。

その先生とは、
中学生になっても、手紙のやり取りを続けた。
年賀状、暑中見舞い、学年が上がるたびに・・。
必ず、返事を下さった。
私が、手紙を好きになったのも、先生の影響が大きい。


中二の冬、先生の家を訪問した。
新宿の、高層ビルを望む、小さな教員住宅。
訪れた私を歓迎して下さり、
同じく教員をされているご主人様が、お茶を淹れて下さった。

その時、先生はご懐妊中。
「女の子みたいよ」と、笑って話して下さった午後のひととき・・。



ご主人様が亡くなられた、という手紙を戴いたのはその半年後。
すぐに私も手紙を書いたが、何を書いたか覚えていない。
そして、返事はもう来なかった。
先生とのやり取りも、そこで終わりになった。

今、どうしていらっしゃるかな。
訪れたあの日、あの一年生の時のクラス全員を、
出席番号順に覚えていた先生・・・。

人生で大事なこと

2006-04-03 09:52:24 | 人とのつながり
漫才の松本竜助さんが亡くなった。

「紳竜」の、ツナギ服にツッパリ風の漫才は、
1980年の漫才ブームの中でも、個性的だった。
ツッパリとはいっても、
暴力や暴言で笑いを取るのではなく、
言葉で笑わす、しっかりした漫才コンビだった。

島田紳助は、その後司会者やトークの第一人者として、
大成功の人生を収めている。
しかし竜助さんは、事業の失敗や、相次ぐ転職などで、
波乱万丈な人生を送っていた。

二人でやる「漫才」。
ボケとツッコミの舞台上の顔というのは、
そのまま、その後の人生にも反映されてしまうのか。

しかし、竜助さんの葬儀には300人以上の弔問客が訪れた。
ブームから四半世紀が経ち、
失礼ながら、忘れかけられていた芸能人としては、
多くの人々の見送りを受けたと思う。

それも、相棒の紳助の活躍と、
それをずっと支えていた竜助さんの人柄だろう。
人生で大事なこと。
それは、やっぱり「人とのつながり」だと感じる。