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シャープ & ふらっと

半音上がって半音下がる。 それが楽しい、美しい。
思ったこと、感じたことはナチュラルに。  writer カノン

王監督と思い出の試合

2008-10-08 15:38:56 | スポーツ大好き
ソフトバンク・王監督が昨日退任した。

「世界の一本足」、王さんに関しては、
ここであれこれ述べるまでもない。
とにかく、野球一筋の「すごい人」だ。

選手時代もさることながら、
監督としての真摯な態度は、
野球界だけでなく、すべての人々のお手本にもなっていたと思う。


私が、初めて球場にプロ野球を見に行ったのが、小5の時。
1974年、後楽園球場。
巨人-阪神戦だった。

今でこそ、大の阪神ファンの私だが、
子供の頃は、巨人ファンだった。
王・長嶋に憧れていたのだ。


その、初めて生で見た試合は、
巨人・堀内、 阪神・古沢の先発で始まった。

初回・長嶋先制ホームラン。
この年引退する長嶋は、この時一番バッター。
初回・先頭打者アーチだった。

4回・柳田ソロホームラン。 巨人2-0とリード。


しかし、6回。
阪神・田淵の同点2ランホームラン。

そして・・

8回裏、無死一塁で、
王の2ランホームラン。
一塁側は、総立ちとなって、拍手に包まれた。

その、王の決勝ホームランで、
巨人は4-2で勝った。


今思うと、素晴らしい試合だった。
当時のスター3人が、アーチを描いた試合。
そして、エース堀内の完投勝ち。

私が、本当に野球を好きになったのは、
この試合を見れたから・・といっても過言ではない。


この時、「敵チーム」だった田淵・古沢は、
その後、わが西武ライオンズの一員になる。

そして、日本シリーズでは、
西武の相手として、
王監督、長嶋監督率いる巨人がそれぞれ「敵チーム」となった。


王さんのエピソードは事欠かないだろうが、
私が感動した話をひとつ。

宮崎キャンプで、夜間の講義が開かれていた。
どの選手も、疲れて半分居眠りしている。
すると、王選手はスッと席を立ち、
一番うしろの壁の前に立って、講義を聴いていた。
眠くなるのを我慢して、席を立ったのだという。

世界一の実力を持つ選手だが、
こういう姿勢が、真の意味での一番の選手というのだろう。

あの日、決勝ホームランを放ち、
私に、野球の素晴らしさを見せて下さった王監督・・。
いや、私の中では王選手の思い出が強い。


お疲れ様でした。
そして、ありがとうございました・・。

甲子園の熱戦

2007-08-12 18:05:45 | スポーツ大好き
8日から始まった、甲子園大会。
熱戦が続いているが、
昨日の大会4日目は、負けたチームの「投手」に、
これからの人生を、ふと感じた一日だった。


第一試合  創価 3-1 愛工大名電

名電の、柴田章吾投手(3年)は、
国の難病(特定疾患)とされている、ベーチェット病と闘っている。
失明の恐れもあるという病気だ。

中3の時に発病し、医者から野球を止められたというが、
名電に入学、ベンチ入りをつかみ、見事甲子園へ。
昨日の試合では、打ってはチーム唯一の得点も叩き出した。

「同じ病気を持っている人を勇気づけたい」という柴田君。
両親、主治医の見守る中、素晴らしい活躍を残していった。


第二試合  大垣日大 2-1 金足農

四回表、大垣日大の選手の打球が、
金足農の投手、高橋健介君(2年)の首を直撃する。
しかし高橋君は、その打球をしっかり一塁へ送球しアウトにする。
その直後、マウンドに倒れこんでしまった。

頚部打撲で、全治二日間ということで、
大事には至らずに済んだのだが、
チームはその後、二人の三年生が継投したものの、
一点差で敗れ去った。

二年生エースの、突然の負傷を、
先輩たちがつなぎ、接戦としたが、
秋田県はこれで、夏の甲子園10連敗。
しかし、来年はぜひ高橋君の手で、勝利を勝ち取ってほしい。


第三試合  東福岡 4-3 桜井 (延長11回)

ともに夏の甲子園は4回目。そして初勝利を目指す同士の対戦。
こういう対戦は、時として好ゲームになる。
9回裏。 東福岡はツーアウト、あと一人という場面で、
同点タイムリーが飛び出し、この夏初めての延長戦となる。

そして、延長11回裏。
最後は、ノーアウト満塁からの、押し出し四球。
東福岡が、初勝利を手にした。
桜井の投手、長川原祐希君は二年生だ。
悔しい負け方だったと思うが、来年に向けて頑張ってほしい。

甲子園での、押し出しサヨナラ四球といえば、
97年夏の、浜田高の和田(ソフトバンク)がいる。
古くは、73年の作新学院・江川もそうだった。
将来の名投手のキーワード、と思っていたい。


第四試合  広陵 5-4 駒大苫小牧

3年連続、決勝に進出した「北の王者」は、
最後の最後、エラーで敗れ去った。
前の試合と同じ、9回ツーアウトから広陵は同点に追いつき、
その直後、駒大苫小牧の信じられないようなミスで逆転。
一点差で、広陵が勝った。

昨夏の決勝戦、
田中(楽天)と、ハンカチ王子の再試合を出すまでもなく、
この、北の王者は、甲子園の歴史を覆した。
北海道のチームという、甲子園の「定説」を、
ことごとくひっくり返した感がある。

しかし、田中が抜けて、
新生・駒苫は、それなりに苦労の連続だった。
三回の不祥事、香田監督の辞任問題、特待生問題・・。
野球とは別の部分でも、選手は重圧を受けた。
しかし、5年連続の甲子園を手にしたのは見事だった。

リリーフした、久田良太投手(3年)は、
目の前で、広陵の選手が同点・逆転のホームを踏むのを見る。
あと一つのアウトで、
今年もまた、王者は力強く発進するはずだった。

準優勝でも、輝かしい最後を終えて卒業した田中と、
あと一人を打ち取れず、校歌を歌えずに終わった久田投手。
でも、プレッシャーや、無用な重圧・雑音に勝ったことは、
高く評価をしたいと思う。
そして、田中先輩にも負けない、強い人生を歩んでほしい。



甲子園を、
ノスタルジックやセンチメンタルに見ることを、
ナンセンスに感じる人もいる。
たしかにこれは、高校のクラブ活動の、一つの大会に過ぎない。
でも、
一人の選手を、一つの人生としてみると、
さまざまな想いを持つことができるものだ。


先日亡くなられた、高校野球の大ファンでもあった、
作詞家の阿久悠さんは、高校野球をこう語っている。

「二週間、少年があり、浪漫があり、故郷があり、
 だから人々は、そして、ぼくも、
 心の巡礼になり、ある晴れた日を記憶する。」

早稲田の杜に「佑」勝旗

2007-06-04 18:10:05 | スポーツ大好き
東京六大学春季リーグは、
一年生の、「ハンカチ王子」斎藤佑樹投手の活躍で、
優勝を果たした。


野球の好きな私だが、
大学野球をテーマにした記事を書くのは、初めてだ。
早稲田のOBではないし、
佑ちゃんファンでもないのだが、
久しぶりに、神宮の杜も沸き上ったようで、
興味を持って見た。

昨夏の甲子園で活躍した、斎藤投手。
一年目に、4勝を挙げて優勝して、
今日、ベストナインにも選ばれた。
一年生の選出は、史上初だという。

東京の高校から、六大学へ。
ハンカチと相重なって、スマートな印象を受ける。
甲子園から大学へのヒーローというと、
比較的、関西の選手が多かったように思うが、
東のヒーローの登場もいい。


私も大学時代、神宮に応援に行った。
一年生の時、(六大学ではないが)リーグ優勝したのだ。
満員のスタンドで、
先輩達と一緒に、覚えたての校歌や応援歌を歌った。

試合は、9-0で完勝し、
試合終了と同時に、誰かれともなく抱き合った。
大学時代の思い出は、薄いのだが、
この試合は、鮮明に覚えている。


先日、高1の息子が、
今回の春季リーグに、神宮まで応援に行った。
息子は、六大学の付属校なので、
「全校応援」に行ったのだ。

さぞ楽しんできたかと思いきや、
息子は、野球観戦にまったく興味がない。
試合中も、半分居眠りしていたという(><)
『毎回立ち上がって、応援歌を歌うとは思わなかった』
と、グチをこぼして帰ってきた。

私とは180度違う性格だ・・。

なにはともあれ、
佑ちゃんフィーバーの中、早大は二季連続で優勝した。

甲子園のサプライズ

2007-04-21 18:05:37 | スポーツ大好き
昨日の甲子園、阪神-巨人戦。

1-1で迎えた、延長12回表。
巨人は3点を挙げる。
これで、試合はほぼ決まりだ。
普通なら・・。

しかし、その裏の阪神。
一死後、
藤本・林・鳥谷・赤星のヒットで同点。
そして、二死満塁。

打席に入ったのは、代打・狩野(かのう)。
プロ7年目。
通算7打席でヒット0、四死球も0。
とにかく、塁に出たことのない打者だった。


しかし、狩野は打った。
レフトへのサヨナラヒット。
プロ初安打が、伝統の一戦のサヨナラ打。

本人はもちろん、ファンにも記憶に残る試合となった。


私は、甲子園に、阪神戦を二度見に行っている。
その二度ともサヨナラ勝ちだった。
甲子園に行かなければ、阪神のサヨナラ勝ちは見られないわけで、
とても幸運だったと思っている。

一度目は、広島戦。
無名だった秀太(田中秀太)のサヨナラヒット。
途中出場で、延長10回、二死満塁で打席に立った。
「田中」という、虎ファンにも馴染みのなかった選手だったが、
当時のカープのリリーフエース、小林幹英から打った。

二度目は、中日戦。
無名だった赤星のサヨナラヒット。
こちらは延長11回、岩瀬から打ったものだ。
今でこそ、足のスペシャリスト赤星だが、
この時は、まだ「ようやく出始めた」程度の選手だった。


昨日の狩野を見ていて、
自分が甲子園で見た感動を思い出した。
阪神は、時として思いがけない選手が、
思いもよらない結末をプレゼントしてくれる。

昨日は、3点差をひっくり返したことより、
狩野という選手が決めたこと。
それが、ファンにも嬉しかったと思う。
初安打のボールは、
一度手にしたスタンドの阪神ファンから、本人に返された。
甲子園のファンは素敵だ!


打たれた巨人・豊田も気になる。
西武の守護神として、活躍してくれた豊田は、
礼儀も正しく、個人的には今も好きである。
あんなに連打を食らった豊田は、初めて見たが、
ぜひ、伝統の一戦にはまた対決してもらいたい。


さて、今夜の巨人戦、
先発マスクは、狩野がかぶる。
能見-狩野というバッテリーだ。
第一球、ボール。
ニューウェーブのような第二戦は、始まった。

雨中の第四試合

2007-03-30 17:59:30 | スポーツ大好き
甲子園のセンバツは、今日で2回戦が終わり、
ベスト8が出揃った。

準々決勝は、明日と明後日の、二日間に分けて行なわれる。
しかし、以前は準々決勝といえば、
一日四試合が行なわれた。
それが「準々決勝」であり、当たり前のことであった。


28年前。
1979(昭和54)年、4月5日。センバツ準々決勝。
この日は朝からどんより曇り空。
そして、午前中には雨が降り始めた。

この大会は、3日目の朝に痛ましい事故が起きた。
地元の、PL学園と浪商高校が揃って登場した日だったが、
観衆が多く、甲子園球場入口で将棋倒しになる事故が発生。
PLを応援に来た小学生二人が、犠牲になった。

降りだした雨の中。
この日は、二人の葬儀がしめやかに行なわれた日でもあった。
二人が楽しみにしていたPLと浪商は、ともに勝ち上がり、
この日の準々決勝も勝って、ベスト4へと進んでいった。


午後から、雨脚はいっそう強くなった。
普通ならば、そのあとの試合は中止・順延となるはずだ。
しかしこの大会は、すでに雨で二日伸びていた。
これ以上、順延はできないと判断された。

その、大雨の中、準々決勝第四試合は強行された。

東洋大姫路 対 池田。

プレーボールから、すでにグラウンドはぬかるんでいた。
しかし、試合はきびきびと進行し、
東洋大姫路が8-2、6点リードで、
とにもかくにも、最終回まで来た。

しかし、池田はここから「伝説のような」攻撃を仕掛けた。
ぬかるんだグラウンドのため、とにかく打球は止まる。
打者は、全員一塁へヘッドスライディング。
水しぶきを上げ、滑って、ことごとくセーフになった。

ベンチ前では、池田・蔦監督(故人)が、
ずぶ濡れになりながら、選手と一緒に立っていた。
「選手が濡れとるんやから、監督も一緒になるのが普通じゃろ」
それは翌日の新聞で、「胸を打つ光景」と紹介された。

池田は、粘ったが、
5点を返したところで、ゲームセット。
あと一点が届かなかった。
選手は、ユニフォームも顔も泥だらけだった。


今は、選手の健康管理が第一である。
たとえ一試合でも、極力順延するようになっている。
そして、準々決勝も、選手の疲労を考え、
春も夏も、二日間、二試合ずつに分けられるようになった。

28年前の、
このカクテル光線の中の壮絶な試合は、
記録に残るゲームではない。
しかし、ファンの間では語り継がれている「雨中の試合」。

そして、センバツ準々決勝というと、
私も必ず思い出す「名勝負」である。


写真は、蔦監督。
試合後、「しんどい試合じゃったが、よう頑張った」と、
選手をねぎらったという。

「0」に終わった投手

2007-03-25 10:26:58 | スポーツ大好き
プロ野球パ・リーグが、昨日開幕した。

いよいよ、ペナントが始まった。
今年は、松坂や井川のメジャー行きなど、
話題はそちらに集中していた感じであるが、
楽天・田中など新人選手の活躍も楽しみだ。

そして、昨年限りでユニフォームを脱いだ選手も多い。
日本ハムの新庄のように、最後まで華やかに去った選手もいた。
しかし、そんな中で、
ある一人の投手が、球界を去った。

横浜・村西哲幸投手。

私が思うには、どこか悲運があるように思える選手だった。


1999年、滋賀・比叡山高校のエースとして、
春夏の甲子園に出場する。
「近畿のドクターK」と騒がれ、評判の高かった投手だった。

しかし、
春は、沖縄尚学に0-1。 夏は、桐生第一に0-2。
ともに一回戦で敗れた。
しかも、春夏とも大会初日で、
この、村西を打ち敗った両校が、ともに優勝する。

優勝校と当たった不運。しかも、接戦の末の敗退。
打線の援護がなかった。
比叡山は、滋賀の常連校ではあるが、
この年だけは、ホームが遠かった。

夏、桐生第一に敗れ、スタンドに挨拶したあと、
その場で座り込んで泣きじゃくった村西投手。
とても印象に残っている。
彼自身は、ベストピッチングだった。

その年、横浜ベイスターズに、ドラフト3位で入団。
長嶋茂雄氏が、「将来大物になる」と太鼓判を押した。
プロでの、活躍が期待された。

しかし、
プロ7年間の成績は、0勝0敗0セーブ。
甲子園でのホームベースが遠かったように、
また、彼には一つの数字も記されなかった。

1敗、ならば
それはそれで、一軍で投げた証しになる。
村西投手は、一軍にも昇格したが、
勝ちも負けも、縁がなかった。

まじめで、おとなしい性格だったようだ。
もっと、強気に自信を持てば、
大成したかもしれないと言われている。


二度の甲子園。7年のプロ人生。
「0」に終わった村西投手。
しかし、これからの人生では、
たくさんの、価値ある数字を残して戴きたいと思う。



横浜は、今シーズン44歳の工藤投手を迎え、
30日、巨人との開幕戦に臨む。
工藤は26年目。通算215勝。
これも、人生である。

車いすの監督を目指して

2006-06-10 12:03:03 | スポーツ大好き
サッカーW杯が開幕した。

サッカーに関する選手や試合など、話題は山のようにあると思うが、
今回のW杯とは関係ない、
でも、いつか関係するかもしれない人を紹介したい。

羽中田 昌(はちゅうだ まさし) さん。
東京・暁星高校、サッカー部コーチ。
車いすに乗って指導をする。

1964年生まれ、もうすぐ42歳の羽中田さん。
山梨県の韮崎高校出身。中田英寿を輩出した、名門校だ。
高校3年間すべて、正月の全国高校選手権に出場し、
2年連続準優勝の、中心選手だった。

3年生の時。最後の大会を前にした羽中田さんだったが、
突然腎臓病にかかり入院。
大会どころか、サッカーそのものを医者からストップされる。

しかし、不屈の努力で治し、
全国大会に、何とか出場を果たす。
チームメートの頑張りで、決勝まで進んだ韮崎高。
それまで出番のなかった羽中田さんは、
決勝戦後半、ラスト25分にピッチに立った。

大歓声の国立競技場。
私もその時、韮崎応援席にいた。
私は、両親が山梨出身ということで、ずっと韮崎を応援していた。

試合は、長谷川健太(エスパルス)の清水東に4点を奪われていた。
しかし、残りの何分だったか、
羽中田さんは、パスを受けると猛然とドリブル。
しかしシュートは外れ、韮崎の悲願の初優勝もならなかった。

高校を卒業した羽中田さんに、またもや悲劇が襲う。
バイクでの転倒事故で、下半身不随。
以来、ずっと車いすの生活を送る。

腎臓病の比ではない。
もう、今度こそサッカーは出来なくなった。
自殺も考えたという羽中田さんだったが、
ここでも、持ち直していく。

車いすでもサッカーをしたいという思い。
それまで勤めていた山梨県庁を辞め、
スペインに渡り、サッカーの指導者としての道を開く。
その後、解説や執筆、講演活動などを続けながら、
暁星高校のコーチとなり、現在に至る。

今、日本サッカー協会の、指導者ライセンスを取得中だ。
夢は、史上初の車いすのJ1監督だという。

あの日、国立のグラウンドを猛然と走った羽中田さん。
同年代の私にとって、
伝説だけど、現実を立派に生きている選手である。
いつか、W杯の監督として車いすから指示を出す・・
そんな羽中田さんを見られればいいな、と思っている。

羽中田さんプロフィール

サッカーの祭典

2006-06-09 10:10:00 | スポーツ大好き
今日からドイツで、
2006・FIFAサッカーW杯が開幕する。

私は、ふだんサッカーはそれほど見ないが、
やはり、W杯は興味がある。
オリンピックと同じように。

サッカーが好きで、
日頃から応援しているファンからすると、
この時だけの「にわかファン」は、気に入らないだろう。
私もその「にわかファン」になるわけで、
当然ながら、本当のファンの人に
対等に、知ったかぶりの話をしようとは思わない。(出来ない)

ただ、サッカーを心から楽しめる祭典だ。
応援させていただきたい。ニッポンの国民として。
そして、世界のいろいろな国の選手やドラマを見たい。

大国アメリカは、
サッカーにそれほどの熱はないという。
ルールを知らない国民も大勢いるらしい。
かつて、アメリカの「サッカー後進国」をパロディーにした、
CMのようなものを見たことがある。

アメリカ選手が、レッドカードを宣告される。
審判の掲げた赤いカードを見たその選手は、
「何だこれは?・・わかった! 俺のサインが欲しいのかい?」
と言って、カードにマジックで自分のサインをして
再びプレーを続けるというオチである。
アメリカで作成されたCMだ。

もはや、アメリカもそんな国ではないだろうが、
やはり強いのは南米とヨーロッパだろう。
日本は、今年は予選突破も微妙らしいが、
そういう方が見ていて楽しい。

W杯は、32チームの予選リーグとトーナメントだ。
各組に強豪がシードされるなど、
私には、とてもフェアでスッキリした形に見える。
まあこれも、詳しい人に言わせれば、色々な思惑があるらしいが。

でも、毎回起こるチケット問題はいただけない。
旅行会社の、それこそ思惑も絡んでだろうが、
トラブルが絶えないのは残念である。

しかし、楽しみに見ていきたい。
ヨーロッパだと、どうしてもリアルタイムで見にくい時間だが、
前回は、当然「日本時間」だったので、まあ今回は仕方ない。
素人の目で、素人らしく応援したい。

石井選手の2000本安打

2006-05-12 12:20:35 | スポーツ大好き
横浜の石井琢朗選手が、2000本安打を達成した。

ここ最近、2000本安打に達した選手が多く、
古田、清原、立浪、野村・・。
誰もが、いまや「大選手」。

しかし、石井は少し違う。
もちろん素晴らしい選手には違いないが、
どちらかといえば「地味」で、
今回の2000本安打も、
突然「あと数本」というあたりで、初めて知ったようなものだ。

古田や清原のように、
カウントダウンが始まった、という騒ぎはなかった。

石井は、88年、ドラフト外で大洋に入団した。
足利工の投手だった。
2年の夏に、甲子園に出場しているが、
この試合は、私も見ていたので覚えている。
細身の2年生エースが、初戦の鹿児島商工を相手に力投。
第四試合だったので、ナイターとなったが、
最後はサヨナラ負けだった。

その後、大洋に入ったことも、
投手から野手に転向したことも知らなかった。
ただ、気づいたらベイスターズの顔になっていて、
さらに気づいたら、2000本もヒットを重ねていた。

石井と同年に高卒で入団し、現在も活躍しているのは、
巨人・前田と中日・谷繁、そして西武・江藤の名もある。
三人ともドラフトにかかったわけだが、
ドラフト外の石井は、額面以上の活躍をしたことになる。

入団当初は、名前ではなく背番号で呼ばれていたという石井。
苦労の連続だったと思うが、
黙々と努力して打ち立てた金字塔。
また一人、「いい選手」が名球会に名を連ねた。

次に、2000本安打が近いのは、
北海道日本ハムの田中幸雄選手で、あと28本。
この選手も、地味で努力型だ。
楽しみはまだ続く。

復刻版タイガース

2006-05-10 12:02:09 | スポーツ大好き
プロ野球の交流戦が始まった。

二年目となる今年。
昨年は、「面白かったが長かった」という意見が多かった。
私も同感だった。
でも、ホーム&ビジターで三試合ずつは、このままで良いと思う。
やはり野球は「3連戦」。
勝ち越し・負け越しという面白味があるからだ。

さて、阪神タイガースは、
交流戦限定で、昔のユニフォームで登場する。
復刻版ということで、懐かしいグレーが帰って来る。

このグレーの時代は、とにかく「弱かった」。
でも、「タイガース」そのものの時代だった。
負けても、球団のゴタゴタがあっても、
暴動と背中合わせで、あつく応援していたナニワのファン。

今は、リーグ優勝も味わい、
応援も、統率の取れたお行儀の良いものになっている。
ジェット風船は「美しいもの」に見えるし、
ヒーローインタビューも、
選手の一言ずつに、見事な合いの手のように歓声があがる。

泥臭いというか、アカ抜けない頃のタイガースのユニ。
交流戦だけでなく、
この一年くらい、ずっと見ていたい姿だ。
できれば、
オリックスは近鉄時代のエンジ、横浜は大洋時代のオレンジ、
ソフトバンクは、南海時代のグリーンに戻してみるのもいい。

こうしてみると、
私の小学生の時と、球団名が変わっていないのは、
巨人・阪神・中日・広島だけである。
東京ヤクルト、北海道日本ハムも地域名を冠しているし、
この4球団には変わらずにいてほしい。