五能線「岩館駅」です。
子供の頃、夏休みに帰郷した際の「海水浴」といえば、岩館駅から長い坂道を下った場所にある岩館海岸でした。
砂浜はあまり広くなく、ごつごつした岩からなる磯がほとんどなのですが、そこで泳いだり、遊んだり。昭和30~40年代にかけての夏の岩館海岸は、おそらく今では考えられないような人出だったと思います。
岩館駅から海岸へ続く道には、海の家やおみやげやさんが並んでいました。昔はビーチサンダルがなく、海の家で使い捨ての「麦わら草履」を買うのが「海水浴前の儀式」でした。そういえば、私が生まれて初めて「冷やし中華」を食べたのも、岩館海岸の海の家だったと思います。
実は、この岩館海岸へは、今から30年以上も前、私が二十歳の夏に東京の高校時代の友人4人と一緒に出かけたことがあります。
夏休み前に「みんなでどこかへ行こう」という話になったのですが、出てくる行き先のどれもが「珍しくない、平凡すぎる」ということで却下。話し合いに飽きた私が「思い切り田舎にあるキレイな海を知っている」と言い、上野(車中泊)~東能代~岩館(2泊)~大館~十和田湖(1泊)~青森(車中泊)~上野というコースが決定したのです。
私は外せない予定が入り、彼らが岩館海岸の民宿で一泊した翌日に合流しました。上野発の急行「津軽」に乗り、東能代駅で五能線に乗り換えて岩館駅に到着。
駅前の坂道からの風景を見た私は、「海以外に遊ぶ場所もないこんなところに連れてきてしまい、連中は怒っているに違いない」と確信したものです。
ところが、民宿へ到着してみると、彼らの機嫌のよいこと。一日遅れできたこのツアーの企画者である私は大歓迎されました。
ただし、私が大歓迎された理由は「岩館海岸」ではなく、「同じ民宿に、東京からきた女子高生グループが宿泊していた」からでした。
奥手の彼らにしては珍しく、しっかりと連絡先を交換し、その年の秋には彼女たちの高校の学園祭に招かれたそうですが、それ以上の進展はなかったようです。
遅れて合流した私は、「彼女たち」を一人も知りませんが、旅行中は「あの子がいい、いやこっちだ」という「彼女たちの話」ばかりを聞かされることになりました。
もし、彼女たちが岩館海岸の同じ民宿に泊まっていなかったら、旅行を企画した私は、友人たちから大ひんしゅくを買っていたかもしれません。