「J'sてんてんてまり」~歩く人~にトラックバック
イタリアも街のあちこちに落書きの多い国だ。
それが時には
とんでもない芸術性を帯びていてドキッとさせられることもある。
ただの殴り書きであることも多いけれど、
いずれにしても
そこには「何かを訴えたい」という欲求が隠されているのは確か。
今朝、ビリーさんの散歩の途中で見かけたおじいさん。
彼はビニール手袋をして刷毛をもって
一心不乱に壁を塗っていた。
どうやら選挙からみで
色々と訴えたい心が街に溢れ出していたここ数日
おじいさんの家の扉の両脇にも
スプレーで「心の叫び」が書き付けられてしまったらしい。
書き付けた人の心の叫びがわからないわけではないだろうけれど、
おじいさんとしては家の壁に落書きがあるのも許せなかったのだ。
落書きするのも創造力の表れ。
それをクリーム色のペンキで塗りつぶしていくのも
一種の創造力の表れ。
その昔、
ミケランジェロは彫刻家として
真っ白のカッラーラ産の大理石を目の前にして
「ここに目がある」、「ここに手がある」といって
デッサンも下書きもなく
おもむろに石に彫刻刀を打ちつけて掘り出した
という逸話が残っている。
物を創る人というのはそういうものなのかもしれない。
自分の意思とは無関係のところで呼び覚まされた感覚に
ただひれ伏して製作していく。
それこそ神業なのだ。
残念なことに私にはそういう才能が与えられなかったらしい。
まぁいいか。
自分の意思でモノを作るのもまた面白いってことで。
イタリアも街のあちこちに落書きの多い国だ。
それが時には
とんでもない芸術性を帯びていてドキッとさせられることもある。
ただの殴り書きであることも多いけれど、
いずれにしても
そこには「何かを訴えたい」という欲求が隠されているのは確か。
今朝、ビリーさんの散歩の途中で見かけたおじいさん。
彼はビニール手袋をして刷毛をもって
一心不乱に壁を塗っていた。
どうやら選挙からみで
色々と訴えたい心が街に溢れ出していたここ数日
おじいさんの家の扉の両脇にも
スプレーで「心の叫び」が書き付けられてしまったらしい。
書き付けた人の心の叫びがわからないわけではないだろうけれど、
おじいさんとしては家の壁に落書きがあるのも許せなかったのだ。
落書きするのも創造力の表れ。
それをクリーム色のペンキで塗りつぶしていくのも
一種の創造力の表れ。
その昔、
ミケランジェロは彫刻家として
真っ白のカッラーラ産の大理石を目の前にして
「ここに目がある」、「ここに手がある」といって
デッサンも下書きもなく
おもむろに石に彫刻刀を打ちつけて掘り出した
という逸話が残っている。
物を創る人というのはそういうものなのかもしれない。
自分の意思とは無関係のところで呼び覚まされた感覚に
ただひれ伏して製作していく。
それこそ神業なのだ。
残念なことに私にはそういう才能が与えられなかったらしい。
まぁいいか。
自分の意思でモノを作るのもまた面白いってことで。