不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

Turismo volontario 〜Potatura di Nespolo

2020-10-05 00:37:00 | ニュース
イタリアから戻ってきてから
毎年なんらかの形で参加させてもらっている
西伊豆土肥の白びわのボランツーリズム。





今回はこれまでのびわ園とは違う場所で行うと事前に伺っていたので
なんとなくワクワクして出発。

集合場所から車に乗り合わせて作業現場へ移動。
現場に着いてまず目に入ったのは
大きな蔵と鬱蒼と茂る大きな木々。





土肥だけで育つ白びわは
その種の希少性と
非常にデリケートで輸送が難しいこともあって
市場に出回る数が少ないので
幻の白びわといわれる高級果実。

びわの生育サイクルは
9月-10月の剪定作業から始まり
3月の摘果&袋がけを経て
6月の収穫でひとまわり。

大きな蔵の奥に広がる庭に
柿や柚子、夏みかんの木と共に
10本のびわの木があり、
そのうちの何本かが白びわで
もしかすると白びわの原木が含まれているかもしれないらしい。

20年以上空き家のまま
最低限のメンテナンスだけで
あまり手入れされていなかったというこの場所は
土肥の有力者であった鈴木邸。
母屋の他に3棟の土蔵がある立派な邸宅。
ここで今、新しいプロジェクトが始動しているそうで
母屋は改修してイタリアンレストランと
ベーカリー&ジェラテリアに
3棟のうち小さめの土蔵はバーに
残り2棟は一棟貸しの宿泊棟として生まれ変わり
さらに敷地内にエステ棟を新築して
2021年に観光拠点としてオープンするそう。

そのエステ棟には
この白びわボランツーリズムを企画運営している
自然療法サロン・ミモザさんが入ることが決まっていて
そのご縁でここのびわ園を
ゼロから整備し直すという
素晴らしく夢のある楽しいプロジェクトに
思いがけず関わらせてもらうことに。

あまり手が入っていないというびわの木は
確かに大きく育って枯れ枝も目立ち
枝も自由にあちこち伸び放題。
全体に日が当たりやすいように
且つ収穫作業がやりやすいように
枝振りを整えていく作業は
びわ研究の先生の指導を受けながら慎重に。
一気に切り落としてしまうと木を弱めてしまうので
気になる枝があっても切り落とさず
ぐっと我慢して2-3年かけて整えていく必要があって
勝手に切るわけにもいかず。
午前中3時間でお手伝いできたのは
ほんの少しだったけれど
ほどよく汗をかいて終了。



イタリアンレストランになる予定の母屋

母屋の玄関入って右手がベーカリー&ジェラテリアに


こちらの大きな蔵は2フロアの広い宿泊棟に

より古い蔵は1フロア露天風呂付きの宿泊棟に

改修前の母屋や土蔵も見学させてもらって
新しく生まれ変わる春が待ち遠しくなった。

作業の後は現場の斜向かいにあり
新プロジェクトの運営会社が昨年オープンさせたホテルに移動してランチ。

ランチは天城の森島米店さんの
修善寺黒米弁当でしたが、
写真撮り忘れ。
デザートはホテルが用意してくれた
土肥の「君だけプリン」。
久しぶりに食べた
濃厚なクリームプリンが最高に美味しかった。



お土産に白びわを使った石鹸もいただき
希望者は近くの温泉で汗を流して解散。

毎回楽しみなボランツーリズム。
たくさんの実がつくといいな。
びわも新プロジェクトも。




Il fatto che si impara dalla storia

2020-10-01 23:40:46 | 日記




完全自粛期間が明けて時々テレワークの勤務体制になって
通勤のローカル電車の中吊り広告で見つけた三谷幸喜さんの講演会告知。
Covid-19の感染対策のため入場人数制限があり、
抽選で200名限定と書かれていたので、
倍率高そうだなとは思ったけれど、とりあえず応募しておいた。

抽選結果を知らせるメールでは「落選」っていうことだったので一度は諦め
そのあとでやっぱり当選という電話があったときには正直驚いた。
でも嬉しかったので、早々に午後半休の申請をした。

会場は地元の韮山時代劇場。
ホール入り口から密な状況が作られやすい施設で
どうやって3密回避するのかなと思いながら
ギリギリで会場に到着したら
いつも入る狭い正面入り口ではなく脇のスペースに誘導されて
まず屋外で検温、
そのあと五十音順に区分けされたブースで名前と体温を告げて
たっぷりの消毒ジェルを手にかけられる。
脇の出入口からエントランスに入ったところで
座席を書いた小さな紙を渡されて座席が指定される。

L-33。

韮山時代劇場大ホールは桟敷席や花道があるちょっと独特な造りで
1階・2階・桟敷席合わせて約500席。
感染対策のため座ってはいけない席にはA4の紙が貼られていて
座席はひとつづつ空けて前後も重ならないように指定。
抽選200ということだったけれど、最終的に250人入ったそう。

この座席に貼ってあった紙の裏面がアンケート用紙だったことを講演会の最後に知って、いいアイディアだなと思った。これもニューノーマルなんだろうか。


三島青年会議所主催ということで、
なんかすごく体育会系なお兄さまたちが取り仕切って
個人的にはムズムズするような、ちょっと懐かしい感じがした。

伊豆の国から出た北条義時が主役となる2022年の大河ドラマの
脚本を書かれる縁で、三谷幸喜氏独自の歴史観についての講演。
「僕が歴史を好きな理由」
ローカル線の中吊り広告ではわからなかったけれど、
この企画はその北条氏や源頼朝つながりで
小田原と鎌倉と韮山の3会場を結んだリモート講演会でもあった。

Covid-19禍での新しいイベントの形ってこういうことなんだなぁって
なんとなく肌で感じることができたかも。
以前よりは入場手続きにちょっと時間もかかるけれど
でも、これはこれで悪くないと思ったし、
工夫次第でなんとかできることの方が多いんだなって改めて思う。

体育会系開会の儀や来賓あいさつなんかを経ていよいよ三谷さん登壇。
出てきた瞬間からユーモア炸裂。
私は新撰組も真田丸も観ていないし
そのほかの三谷作品もほんの少し知っているくらいだけれど、
そんな私が想像していた遥か上をいくユーモアの幅だった。

大河ドラマにも、日本の歴史にもさして興味を持たなかったし
物書きになりたいという夢を途中で捨て去った私と違って
三谷氏は10歳の頃に観た大河ドラマがきっかけで歴史が好きになり、
いつか自分でこういう作品を書いてみたいと思って
それをきちんと生業にしている。

講演会の内容は
ご自身が影響を受けた大河ドラマのエピソードを交えた自己紹介から始まり
これまでに手掛けた2つの大河ドラマの話し、
そして現在執筆中の3つ目の大河ドラマの裏話まで。
新選組も真田丸も負け組へのシンパシーを表現した作品で
負けてゆく多くの人々への共感を描いたけれど、
北条義時(鎌倉殿の13人)はどちらかといえば勝ち組。
しかし、本当の意味で彼が「勝った」のかというところを描きたいって。
平安末期のイメージが湧かないので書く作業はとても難しいとも。
石橋山は海から離れているのに、落ちている石が丸みを帯びているのは
当時の山中での戦い方が石飛礫の投げ合いだったからだとか、
貨幣は流通していなくて物々交換が主流だったので
戦勝報酬でいくら授けるという表現ができないとか、
どの時代よりももっともっと神が近い存在で
戦いの日取りも神託によるところが大きかったとか。

三谷さんのお話の中であぁと思ったのは
ピンチを切り抜けるヒントは歴史の中に必ずあると仰った時。
それは吉川さんがかつてどうしようもなく追い詰められたときに
三国志の中に答えを探し求めたエピソードに
とてもよく似ていたから。
我々はまだまだ歴史から学べることがたくさんあるんだろうね。

講演の後の質疑応答も新しい形での取り組みで
申し込み時に記載した質問の中から運営側が事前に選択してあって
小田原と鎌倉の会場からも質問がされたり。
それでも時間が余ったので、韮山会場から追加で数人質問ができて
期末テストを終えたばかりの学生の
覚えることばっかりで歴史が苦手になりそうだけど、
どうすれば覚えられるかという学生らしい質問に対して
三谷氏が
どうせ簡単に調べられるんだから年号も固有名詞も覚える必要なんかないし
成績が落ちたって気にしなくていい。
年号なんかより歴史を学ぶうえでもっと大切なのは、因果だ。
何が原因でそうなったのかという大きな流れを掴むことが重要なんだって
答えていて、素敵だなぁって思った。
それに対して学生が
成績が落ちるのは困るけれど、先生にはそう伝えていこうと思います
と切り返したのもイカしているなと思った。

三谷さんのユーモアとか歴史との向き合い方も含めてひととなりを
知ることができたのはもちろん大きな収穫だったし
イベント全体を通して
Covid-19禍だからこそできることを探し、
そこに楽しみを見つけていこうという雰囲気があって
それだけでもなんか行って良かったな。

開会の儀で三島青年会議所理事長(たぶん)が
Covid-19禍で何をやっても、やらなくても
どっちにしても賛否両論、議論が起こるような状況で
それならやらないよりはやった方がいい。
行動しなければ議論さえも起こらないのだからと
力強く発言されていて、
なんかこの半年近くでそんな言葉を聞いていなかったので、
ハッとさせられた。

なんか知らず知らずに小さくまとまりかけていたのかも、私。