先日はPORTO ERCOLE(ポルト・エルコレ)の
墓地から見つかった遺骨が
カラヴァッジョのものであると確定され、
その前にはフィレンツェのサン・マルコ教会に眠る
POLIZIANO(ポリツィアーノ)と
PICO DELLA MIRANDOLA(ピコ・デラ・ミランドラ)の
それぞれの遺骨の分析により
どちらも毒殺されていることが確証されるなど
遺骨の科学分析調査が花盛りのイタリアです。
この遺骨の科学分析を行うチームは
今ではRIS dei Beni Culturali(美術遺産の科学警察隊)
とまで呼ばれるほど有名になっています。
イタリア国家の管轄下にある機関で
大手銀行、大学などが資金援助を行い、
最新の科学技術を駆使して調査活動を続け
歴史の闇に光を当て、
歴史自体を書き換えることもしばしば。
たとえば、
ロレンツォ・ディ・メディチの時代に活躍した哲学者
ピコ・デラ・ミランドラはかなり以前から
専門家の間では彼の思想のせいで
毒殺されたのだといわれていましたが、
確定できる証拠がありませんでした。
またピコと親密な交流のあったポリツィアーノについては
梅毒により命を落としたのだと考えられていて
毒殺の可能性は低いとされていました。
しかし、それぞれの遺骨の調査を行うことによって
ピコだけでなくポリツィアーノも毒殺であり、
かなり高い可能性で
同じ人物によって殺されたものと結論付けられています。
カラヴァッジョの調査時と同じように
骨に残留する金属物質の濃度を調べることによって
両者の骨には毒殺時にしか体内に吸収されないという
かなりの量の砒素の蓄積が見られたということです。
当時は砒素も薬として使われていたそうですが、
それにしても
二人の骨の残留量は尋常ならない量だったようです。
両者とも毒殺の可能性が高いと結論が出てからは
古文書上の調査が続けられ
毒殺の仕掛け人はMARSILIO FICINO(マルシリオ・フィチーノ)
であろうという説が有力になっています。
フィレンツェのラウレンティアーナ図書館に保存されている
1494年のピコとポリツィアーノ連名の手紙が
決め手となっているようです。
その手紙とはどうやら
魔術やオカルトに傾倒し始めたフィチーノを
異端者として異端裁判所に突き出すという内容の
脅迫文らしいのです。
これを知ったフィチーノが先手を打って
両者を毒殺したのではないかといわれています。
そして今度はGIOTTO(ジョット)の遺骨が調査対象に。
1972年にフィレンツェのドゥオーモの前身であった
Cattedrale di Santa Reparata(サンタ・レパラータ寺院)から
発掘された遺骨はジョットのものといわれていますが、
確固たる証拠はまだ見つかっていないのです。
頭蓋骨、下顎骨、脛骨などが見つかったのですが
人骨であり、かなり高齢で亡くなった男性の骨であることは
1972年当時も確定でき、
鉛、水銀など当時の絵画用絵の具に多く含まれていた
化学物質の多量の残留が確認されたことから
画家の遺骨であることに間違いはないようですが
ジョットであるという証拠はまだ見つかっていません。
また頭蓋骨に肉付けを行い肖像を起こし
PADOVA(パドヴァ)のCappella degli Scrovegni
(スクロヴェーニ礼拝堂)に描かれたジョットの自画像との
比較対照も行われましたが、いくつか疑問が残ったまま。
というのも遺骨のあった墓が発掘された場所は
寺院の南部でしたが
1549年の記録では
ジョットは墓地の北部に眠ると記されているのです。
また遺骨とともに埋葬されていたコインが
ジョットの時代のものと異なっているのも不確定要素のひとつ。
9月からこのジョットの遺骨についての
炭素分析とDNA検査が開始されます。
カラヴァッジョのケースと同様に
苗字から子孫を探し出し、DNAの鑑定を行うことによって
遺骨の確定を進める方針。