ピアノと海と花との生活 Ⅱ

~創造する芸術~

クララ・シューマンコンクール in  デュッセルドルフ

2010-06-20 | 音楽

     

       

               1997年5月27日、ピアニストの杉谷先生の勧めで、デュッセルドルフに音楽教室

       を作らないかという事で、夫と滞在したドイツの10日間。

       その頃、うちの会社には2人の音大出の社員がいて、その子たちと一緒に、1歳からの

       音楽教室をつくり、金沢は公民館など4カ所、富山小杉のラポール、を借りて、約100名の

       生徒さんが集まり、教室を展開していたのでした。

       テキストも全部手作り。私の発案に社員の子が、パソコンで作ってくれ、音源も作って

       今の出前コンサートスタイルのように、キーボードを車で運び、富山は高速で若い2人が、

       毎週月から金までぎっしり、という生活を送っていたのでした。

       

       それで、デュッセルのお話をいただき、とりあえずいろいろ見に行こうと、幼稚園、

       音楽教室、私立の学校など見学させていただいて、当時結局物価が日本よりも高かっ

       たので、とても不可能だと、話はなくなったのですが、

       ちょうどクララ・シューマンコンクールの本番があり、本選のピアコンの舞台をきくこと

       ができたのでした。

         

      その時、杉谷先生と、ピアニストのネルソン・フレイエも審査員をされていて、

      ネルソンとは、いつも同じ車で移動したり、ランチのパスタとか夕食にお寿司とか、

      ずっとご一緒で来て、すごく楽しかった。

  

      ちょうど行ってすぐに、ファイナルだった。ファイナリストは4人。

      いつものごとく、私は時差ボケで、ずっとボーッとしていたのだが、ロシアの若い男性ピアニス

      トの演奏が始まったとたん、いきなり目が覚め、涙があふれ出し、感情を抑えられない

      状況になってしまった。

      真由子ちゃんのチャイコをきいたとき、この場面を思い出したのだ!

      彼の演奏は、PPPからFFFFまであるような感じで、繊細で美しく、音楽が流れていて、

      こんな音楽が、存在したのだろうかという衝撃に近いものがあった。

      興奮の中で、演奏が終わり、会場にいた、デュッセル在住の日本人の方とかも、

      皆、彼が1位だろうと確信していたら・・・

      イタリア人の男の人が1位で彼は2位だった!

                

     次の日、先生は泣きはらした目をされていて、先生とネルソンは強く彼を押したけど

     他の審査員は全員、イタリアの人だったそうだ。全然よくなかったのに!

     よくあることらしい。

     先生から聴いたところによると、そのロシアの彼は、前回のクララ・シューマンコンクールにも

     出てきて、すぐ落ちたらしいが、その年、審査員だった アルゲリッチが

     「彼は天才よ!」と叫び、1晩つきあうわと、彼と食事しながら話してみたが、1晩で3語しか

     話さなかったそうだ。

               

     ロシアで、彼は食べていくために、夜のお店などで弾いていたらしい。

     結局2位をとった彼は、その後ドイツで先生を見つけて、ドイツに渡ったらしい。

     活躍しているのを、私が知らないだけだろうか。

     あとにも先にも、あんなピアノの音をきいたのは、初めてだった。

 

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2 コメント

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Unknown (あっきー)
2010-06-20 23:18:28
yoshikoさん、1日に3つの更新、私も付いていきます

真由子さんつながりでクララ・シューマンコンクールなのですね。yoshikoさん、今までいろんなことをなさっているのですね。その経験が今に至っているのだなぁと感激しています。
yoshikoさんの心を大きく動かしたピアニストは今どうしているのかしらね。コンクールっていろいろあるのですね。3語しか話さなかったというのが彼の心情をいちばん物語っているのでしょうか。
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Unknown (yoshiko)
2010-06-21 06:03:12
こっちもありがとう!
昨日は時間があったので、3つUPできました
今から、国立の講習会の申込書しあげと、学校コンサートの北國新部の後援手続きと、チラシの原案作りだ。
私、感覚でしかいきてないので(爆)
時々記憶がドーンと過去に跳んだりするのよ。
クララ・シューマンコンクールは、強烈で、音もまざまざと覚えていて忘れられない。
アルゲリッチもきっと彼の音きいて、そう思ったんだと思うの。
紘子さんの著書の中で、若いいいピアニストが、コンクール出てきて、その後、どうなるか、すごく心配されてて、
そのロシアの彼も、私が知らないだけならいいんだけど。
私、一生追っかけしたいと思ったもん、そのとき。
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