摂津三島からの古代史探訪

邪馬台国の時代など古代史の重要地である高槻市から、諸説と伝承を頼りに史跡を巡り、歴史を学んでいます

多治速比売神社(荒山宮:堺市南区)~気になる転訛説もある謎のタジハヤヒメ

2024年02月17日 | 大阪・南摂津・和泉・河内

[ たじはやひめじんじゃ/こうぜんのみや ]

 

泉北ニュータウンのある泉北丘陵の入口に位置するところの丘陵頂上に鎮座します。周囲は堺市の荒山公園として梅林などが整備されていますが、もともとは大部分が当社の社有地でした。俗に荒山(高山)の宮などと呼ばれていて、地元では「コウゼンさん」として親しまれているようで、参拝の時も、犬のペットの写真撮影をしているグループ等々常に参拝者が絶えないという感じでした。

 

境内

 

【ご祭神・ご由緒】

主祭神は、神社名の多治速比売命で厄除・安産・ 縁結びの神として崇敬されます。本殿には合わせて素盞嗚尊・ 菅原道真公が祀られていて、ご祭神としては以上の三柱とされます。「日本の神々 和泉」で林利喜雄氏は、社名は日本武尊の后「橘姫命」が転訛したものと社伝はいうが、定かではない、と書かれています。

 

拝殿

 

創建について神社は580年頃との伝えがあるとされますが、林氏は明らかではないと述べています。昭和29年からの解体修理で天文八(1539)年ないし天文十(1541)年の墨書が発見され、今の社殿が室町時代の建造である事が明らかになり、国の重要文化財になっています。『延喜式」神名帳には、大鳥郡所属の式内小社として記されている式内社です。

 

本殿。網がかかっていました

 

【社殿、境内】

重文の本殿は、切石積の基壇の上に野頭石を据え、特徴ある屋根は入母屋造で、正面には高く突き出る千鳥破風と、その下に唐破風の向拝がつけられています。屋根は檜皮葺で、それを支える構造の華麗さはユニークなデザインと相俟って素晴らしい、と林氏は絶賛されています。軒に組み表された化粧垂木、彩色された虹梁、三つ斗、向拝柱上や内法長押に彫られたいくつか蟇股などは、建築力学的にも重要な構造をなしているそうです。そして、軒下の向拝と本殿をつなぐ部分では、正面四本の柱の両側二本は反りの美しい海老虹梁を用い、一方の中の二本は「手挟」というものを用いてそれぞれ両面に彫刻を施しています。そのなかでも芭蕉の葉にとまったカマキリのデザインが有名で、林氏はこの種の装飾は他にその例を見ない、と上記の書で書かれています。なお、事前に予約すれば、じかに見学できるようです。

 

格子壁の間から。独特な屋根を拝見

 

【所蔵神宝】

1518年の奥書のある縁起「高山縁起」六巻が当社唯一の縁起書として伝来しています。和文、漢文、絵書を交えた巻子本で、序文によると、一巻に牛頭天王(素戔嗚命)、二巻及び四巻が天満宮(天満大自在天神、菅原道真)、五巻が蔵王権現等、そして六巻に高山鎮座の祥瑞について、それぞれ書かれているようです。林氏は、「高山縁起」の内容は仏説に仮託したところもあり、史実を記録したものと考えられない部分もあるが、貴重であると書かれています。

 

垣内の八幡社

同じく垣内の白山社、熊野社、春日社

 

【祭祀・神事】

1月6日の福石祭が当社ならではのお祭りと言えるでしょう。境内末社の、ミニ夫婦石のように注連縄をかけて2つの石を祀った福石社の特殊神事で、「福石のおこないの式」と呼ばれます。かつては年番が福石神の御札を配っていたらしいですが、これは板木で作られ、右側に保食神、中央に飯成大明神、左側に牛馬・蚕の守神と書かれるものです。そしてこれをすすきの穂や榊の葉とともに、柳の枝二本の間に挟んだ゛牛王杖(ゴオウヅエ)゛を神前に供えます。祈祷ののちにこれを家に持ち帰り、苗代田の水口に挿し立てておけば、イナゴなどの害虫を防ぐことができると信仰されています。

 

福石社

 

当社の説明によると、この神にまつわる昔話があるそうです。和田村に仲の良い夫婦のお百姓さんがいましたが、家に貧乏神が住み着いていたので、暮らしは楽になりませんでした。貧乏神に出ていくようにたのんでも出て行ってくれない事から、夫婦は力ずくで捕まえようとします。しかしどうにも敵わない事から、女房が服を脱いで色香で貧乏神の目をくらませることで、ようやく捕まえることが出来ました。すると貧乏神は改心して丸石となり消えてしまいました。夫婦はこの福石のおかげで長者となり、そして福石を当社に寄進したらしいです。

 

弁天社

 

【所感】

ご祭神の多治速比売命に関して、一般には、例えば宇佐神宮など八幡信仰の比売大神のような広い意味の女神を表すと見られているようですが、「橘姫(タチバナヒメ)」の転訛だとする社伝は興味深いです。でも、そうなるとなぜここの地に弟橘姫?となります。そこで、思いつくのが大鳥大社のご祭神が日本武尊である事です。そして、その大鳥大社は中臣氏系統の大鳥連との関連が考えられている事から、大和岩雄氏がよく説かれていた、藤原・中臣氏による祭祀政策である内宮・外宮方式(伊勢神宮、多神社目原坐高御魂神社鹿島神宮香取神宮)の和泉版だった?という想像が湧きます。ただ、あくまで単なる個人的な思い付きで確たる根拠はありません。

 

金高稲荷社

 

(参考文献:多治速比売神社公式HP・掲示、中村啓信「古事記」、宇治谷孟「日本書紀」、かみゆ歴史編集部「日本の信仰がわかる神社と神々」、京阪神エルマガジン「関西の神社へ」、佐伯有清編「日本古代氏族事典」、鈴木正信「古代氏族の系図を読み解く」、谷川健一編「日本の神々 和泉」、三浦正幸「神社の本殿」、村井康彦「出雲と大和」、梅原猛「葬られた王朝 古代出雲の謎を解く」、岡本雅亨「出雲を原郷とする人たち」、平林章仁「謎の古代豪族葛城氏」、前田豊「徐福と日本神話の神々」、竹内睦奏「古事記の邪馬台国」、宇佐公康「古伝が語る古代史」、金久与市「古代海部氏の系図」、なかひらまい「名草戸畔 古代紀国の女王伝説」、斎木雲州「出雲と蘇我王国」・富士林雅樹「出雲王国とヤマト王権」等その他大元版書籍


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