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摂津三島からの古代史探訪

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忍陵神社(津桙神社:四條畷市岡山)~鎮魂歌「阿知女作法」の豊ヒルメと天津瓊々杵神社の関係

2023年10月07日 | 大阪・南摂津・和泉・河内

[ にんりょうじんじゃ / つほこじんじゃ ]

 

今の名称は忍陵神社。境内が前方後円墳・忍岡古墳の上に鎮座していて、竪穴式石室が見学できることで特筆する神社なのですが、奈良県の有名神社である多神社(多坐弥志理都比古神社)にまつわる平安時代の古文書に、当社の元である式内社・津鉾神社の事が書かれているとの話が気になっていた神社でした。

 

【ご祭神・ご由緒】

「日本の神々 摂津」の田村利久氏や、同じく「大和」の大和岩雄氏の文章では、ご祭神が応神天皇であるとしていましたが、大阪府神社庁第三支部のホームぺージによると、津桙大神、熊野皇大神、藤原鎌足公、馬守大神、大将軍神となっていて、津桙大神は当地の豪族津鉾氏の氏神だと説明されています。式内社・津鉾神社としては、東方500メートルの通称赤山と呼ばれる場所にありました。現在地へ遷座したのは、・・・・・・

 

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後円部を円形の区画が囲います

 

【裏書「社司多神名秘伝」に載る天津瓊々杵神社】

大和岩雄氏によると、上記した奈良県磯城郡多神社の「多神宮注進状」の裏書に、多神社の若宮・皇子神命神社(式内社。今も存在します)のご祭神が瓊々杵尊で、高宮郷にある天津瓊々杵神社つまりは当社(の元)河内国讃良郡津桙神社と同体異名だと書かれているようです。

大和氏は、江戸時代の「赤山津桙神社縁起書」の゛小船漂い来る゛の表現に対して、応神天皇も船で・・・・・・

そして、天日矛の「日矛」の意味が「津桙」だと大和氏は考えられます。「津」は日光を感精して゛日の御子゛を生む水辺の「津」で、空船が漂着する「津」でもあるとします。一方、「桙」は、「延喜式」などに載る鎮魂祭での鎮魂歌の・・・・・・

 

板石が積み上がっているのが分かります。肉眼では少し暗いです。

【中世以降歴史】

 

【鎮座地、発掘遺跡】

当社周辺は生駒山から流れる讃良川の流域で、当社の東200メートルの讃良岡山遺跡からは、縄文時代後期から晩期を代表する資料が出土していて、当時の河内湖の水辺でその時代長きにわたって狩猟や漁撈が営まれていたことが分かっています。弥生時代になると・・・・・

 

【忍岡古墳】

当社は、4世紀中頃の築造と考えられている前方後円墳・忍岡古墳の後円部の上に鎮座していて、・・・・・

 

【宇佐家古伝の鎮魂歌「阿知女作法」と「木矛」】

宮中で大嘗祭、新嘗祭の前日の行われるという鎮魂祭について、古代豊国の宇佐氏(戦前までの宇佐神宮宮司家)の後裔である宇佐公康氏が「古伝が語る古代史」で説明されています。その中で唱えられる呪詩が鎮魂歌で・・・・・・

 

【大和への東征の重層性】

 

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