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摂津三島からの古代史探訪

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多坐弥志理都比古神社1(おお神社:磯城郡田原本町)~現在とは異なる平安時代のご祭神や、神八井耳と天若彦の戻り矢神話のこと

2020年08月08日 | 奈良・大和

「古事記」を編纂したことで有名な太安万侶などを輩出した有力豪族、多氏ゆかりの神社として有名な多神社です。実際に訪れてみて、大和盆地のど真ん中、その立地の素晴らしさにやはり強く感銘を受けてしまいました。笠縫駅から20分程歩きましたが、車場がちゃんと隣接してました。写真を一番下に付けておきます。

 

・堂々たる社叢がまず見えてきます

 

【ご由緒】

多氏の始祖、神八井耳命については、記紀両方に説明があります。この御方は神武天皇の長男。皇位を簒奪しようとした別の皇子、多岐志耳を襲撃しようとしましたが、寝ている多岐志耳を目の前にして手足がわななき殺す事が出来ませんでした。とっさに同行の弟、神沼河耳命が・・・・・・

 

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・入口。とても奥行きがあります。なお一の鳥居は、ずっと遠くにありここからは見えません

 

【ご祭神】

現在のご祭神は、上の説話にちなんだ神武天皇・神八井耳命・神沼河耳命(綏靖天皇)・姫御神(玉依姫)となっていますが、・・・・

 

【平安時代以降のご祭神】

平安時代の1149年に多神宮禰宜らが国司に提出した「多神宮注進状」や、その裏書を書くときに参考にした社伝「社司多神命秘伝」に二坐が・・・・・・

 

【「外宮」だった目原坐高御魂神社】

 

【多神社と大神神社】

 

【伝承】

 

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