百舌鳥・古市古墳群がめでたく世界遺産に登録された7月6日
から、堺市博物館で開催されている特別展「百舌鳥古墳群 -巨大
墓の時代-」。地元の百舌鳥古墳群を中心に、古市古墳群、西都
原古墳群など国内の主要古墳群の出土品を一同に展示し比較す
る事で、百舌鳥古墳群の位置づけを考える、という企画です。
我が摂津三島の三島古墳群からも、今城塚古墳と弁天山C1古墳
の埴輪が展示されています。
その特別展の関連講演会として、今回も貴重な”陵墓”の出土品を
提供している宮内庁書陵部の研究官のお話が聞けるという事で、
聴講してきました。講師は、陵墓課陵墓調査室の主任研究官、
加藤一郎氏です。
最初の3分の1は、昨年宮内庁と堺市が共同で実施した、大山
古墳第1堤の発掘調査結果の報告でした。加藤氏自身がその期
間、堺東に滞在して対応されたようです。成果内容は、2月の
第9回百舌鳥古墳群講演会で堺市職員から説明が有った内容と
同じで、平坦面に石敷が有った事、第2濠側だけに埴輪列が有
った事が説明されました。
加藤氏は、堤の平坦部に石敷が有るのは他に例がないが、唯一、
佐紀古墳群のヒシアゲ古墳で堤に埴輪列と石敷が見られる事を
紹介され、奇しくも仁徳天皇のお后、磐之媛命の陵墓である事
に不思議な感じを持たれていました。宮内庁の方といえども考
古学の研究なので、あくまで出土成果を基本に考えるのが通常
のようです。
今回の出土品の調査状況ですが、組付けが終わったところで、
これから図面化を進めていくそうです。今年度末の書陵部紀要
で調査結果がまとめられる予定です。その時に、宮内庁のHP
に画像がアップされるので、ぜひご覧ください、との事でした。
・特別展図録表紙
講演内容の後半は、百舌鳥・古市古墳群の、特に円筒埴輪の形
状から、倭の五王の時代の歴史像を考える話になりました。前
提として、この古墳群での大王墓の変遷は以下だとされます。
これが”倭の五王”か?とも。
①ミサンザイ→(御廟山)→②誉田御廟山→③大山→
→④ニサンザイ→⑤岡ミサンザイ
埴輪の中でも、円筒埴輪は古墳時代全体を通じて存在し続け、
条数段数、黒斑有無(焼成)、ハケメ、突帯形状、スカシ孔形
態などで時代変遷がよく分かる事で重視されます。さらに主墳
と陪塚の円筒埴輪の関係も注目すべき所だそうです。これらを
大王墓の変遷毎に見ていくと、一部ですが、下記の通り整理出
来るようです。
①ミサンザイ ②誉田御廟山 ③大山
(円筒埴輪) 黒斑あり 口縁部短い 口縁部長い
(主墳と陪塚) 陪塚は段構成小 同じ段構成 陪塚は段構成小
直径に差はない 直径同じ 陪塚の直径が小さい
そして結論としては、埴輪自体の変化には連続性があり、王朝
断絶のような事はなかったが、埴輪の使い方は代替わり毎に刷
新されており、秩序は不安定な状況にあったと理解される、と
まとめられました。
特別展での宮内庁提供の展示物は、二重口縁壺形埴輪、特殊器
台形埴輪(以上、箸墓)、三角縁神獣鏡(新山古墳)、巴形銅
器(津堂城山古墳)、靫形埴輪(大きい!)、黒斑付き円筒埴
輪(以上、ミサンザイ古墳)、線刻入り円筒埴輪(大山古墳)
等々、30種以上あり、陵墓遺跡を見る良い機会でした。講演
後、加藤氏による展示説明もしていただきました。ただ、事前
の段取り調整不足というか、堺市の学芸員さんのサポート不足
のような感じもあり、あまり展示説明に慣れておられないご様
子ではありました。
また、特別展とは別に、展示場入口付近に常設展示があり、御
廟山古墳の囲形埴輪と家形埴輪、ニサンザイ古墳の円筒埴輪な
ど、こちらでも宮内庁所蔵品が展示されています。
特別展は9月23日まで開催されているので、御機会が有りまし
たら是非見学されたらと思います。