くまたんのつぶやき

いすみに生息するくまさんのまったりとした日常。。

バイリンガル街道の峠その1

2005-01-31 09:46:26 | Weblog
きのうに引き続きバイリンガルネタである。

私の先生を引き受けてくれた偉大なるまさこ先生は
我が町にやってくるALTの通訳兼マネージャーもどきを任されている。
ALTというのはアメリカで募集採用する英語の先生で
町内にある小中学校に派遣されているのだ。

で、英会話の学習中である私にALTの先生と会う機会を
幾度となく与えてくれたおかげで
度胸だけは座っている私は会えば名前を呼びあうっつうとこまで
漕ぎ着けることができた。

先日そんな私にある試練が訪れた。
スキー帰りの子供たちのお迎えでお母さん仲間と解散待ちしているところに
偶然そのALTが通りかかり
私を見つけ声をかけに来てくれたのである。

だが不意打ちとはこのことであった。
それも彼は久々の再会だったためある事実を忘れてしまっていたのだ。
そう私は度胸だけで実は英語はほとんどしゃべれないという
情けない現実のことである。

あろうことか彼はまるで旧友にでも会ったかのごとく
普通に英語でしゃべってしまった。当然私の目は点である。
会うことがわかっていればそれなりに話すことを予習できるが
通常の生活では私の頭の中に英語の居場所はないのである。

しかしそんな私の情けない表情を見て彼は現実に戻ることができた。
そしていいたいことを要約してたった一言の日本語にまとめてくれたのだ。
おかげで私も立ち直り知ってる単語を並べその場を取り繕ったのだが
まったく異国の地で一人がんばる彼に気を遣わせてどうするのだ!

こうして他者を巻き込みつつ
私のバイリンガル街道はどこまでも続くのである。
だがまわりにとっちゃはなはだ迷惑な話であることは間違いないのであった。


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バイリンガルへの道は険しい

2005-01-30 13:18:31 | Weblog
私の人生の目標の一つに英語がしゃべれるようになるという
中1の1学期で英語に躓いた私にとっては無謀とも思える目標がある。

だって英語がしゃべれるようになったらかっこいいじゃないか!
それに海外出張が多い主人は国内で使うことを避けるため未確認ではあるが
英語と中国語が少しだけしゃべれるらしいのだ。
日本語はおぼつかないくせにうらやましすぎるというものだ。

ちくしょー私だってと思っても、この田舎町じゃ
NOVAもなけりゃECCもない。
だいいちそんなとこに通う金も時間もないのである。

そんな私に神様が微笑んでくれたのだ。
なんと親しくなった友人が通訳ができるほどのバイリンガルだったのだ。
そこで私はただ笑わせるという掟破りな条件を提示し
見事英会話を習う権利をゲットしたのであった。

しかし習い始めて1年が経過したものの覚えたことといえば
けっこういい加減な発音でも聞き取ってもらえるという事実と
怖じけづくことなく外人さんに話しかけることができる
図々しさくらいなもんだろうか。

主人同様日本語の文法すら理解していない私にとって
バイリンガルへの道は長く険しいものになりそうである。



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最近の歌がわからない

2005-01-29 19:31:34 | Weblog
その昔まだまだ私が学生だった頃
テレビではベストテンだのその当時ヒットしている曲を
取り上げてくれる番組がたくさんあり
雑誌を買えば歌詞カードがついていたりで
まあ何よりも最新のヒット曲なんぞに興味のある年頃だった
っつうことがあったからこそなんだろうが
とにかく、街で流れる曲がわからないなんてことは
なかったはずだった。

なのになのに近頃の私ときたら若者向け有線なんかで流れている曲が
ひとっつもわからないのだ。
がんばってポルノグラフィティだのオレンジレンジだののCDを聞いたって
歌えるまでになる頃にはもうすっかり古い曲になってるし。
息子に聞いてみたところでアーティスト名までわからないんだから
正直救いようがないのである。

その昔(また昔話かい)はやりの曲を歌っていると母親に
「よくわかんない歌だね」とか言われたけど
今やっとあの時の母親の心境がよぉーーーくわかる。
新しい音楽についていけないのだ。

このままじゃいけない!
頭を柔らかく、間口を広く、深ーい懐でいなければと
焦る自分のすぐそばに年相応という看板をこれ見よがしに掲げているのは
やっぱり自分。
開き直るか踏みとどまるか崖っぷちにたつ気分の今日この頃なのである。

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社会が苦手な一家

2005-01-28 10:41:10 | 家族
私の家族は何の因果か4人揃って社会と国語が致命的にだめである。
もっとも主人は根っからの理系人間だし
普通女といえば文系になりそうなもんな私まで
文法と記憶力が重要系が苦手ときているから
子供たちまでその傾向になるのは必然なのだが。

そんな家族の中でひときわその傾向が顕著に現れている奴がいる。
いわずと知れた次男坊である。

それは昨日の他愛もない会話の中で再確認された。
NHKの番組紹介の中で群馬県が取り上げられていたのだが
群馬といえば私たちが住む千葉県と同じ関東地方なので
天気予報などでかなり馴染みがある県だ。
だいいち学校でもさんざん習っているはずである。
(だってもう中学生だし)

それなのに次男坊が
「群馬県ってどこにあるの?」なのである。
私と長男はしばし唖然としてしまった。
そこに追い討ちをかける一言があった。
「九州?」

いったい奴の頭の中の日本地図はどんな形をしているのだろう。
さすがに日本の形はおぼろげにでもわかっているだろうから
何も書かれていない白地図状態なのだろうか。

これは毎年柔道教室のスキーで行っている草津は
群馬県にあるのだという事実をあえて語らなかった
私にも責任があるのだろうかと
少しブルーになる出来事なのであった。
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都会の店員って

2005-01-27 10:58:07 | Weblog
昨日実家の母と会うべく久しぶりに千葉にプチおのぼりしてきた。
以前は通勤していた地だというのに
数年ぶりに訪れたってこともあってか
いつのまにかそこは異国となってしまっていた。

な~んてそこまで言っちゃうと言い過ぎかもしれないが
でも通っていたころにはなかったモノレールが
千葉駅のロータリーの空を覆い隠し
まだ親しみのなかったそごうが結構な存在感でそこにあった。

で、そう店員である。
母と3店舗ほどまわったのだがどこの店員もある共通点があるのだ。
まずさすが都会である。どこの店員も若くはないが美人なのである。
そして美人といえば、そう冷たいのだ!
おいおいどっちが客だよ、って疑問になるほどそっけなく且つつれない。

ま、感じのいい人もいたからたまたまなのかもしれないが。
しかしその昔千葉駅界隈を闊歩していたころには気付かなかったのだから
これは身も心もまったり田舎人になってしまった証拠かもしれない。
そしてやっぱり田舎はいいもんだと
再確認する出来事だったことは間違いないのである。
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お弁当作りは大変だよね

2005-01-26 17:53:42 | Weblog
先日出張中の主人から不吉なメールが届いた。
なにしろ「食堂閉鎖」という中身を読まず
封印したくなるようなタイトルなのだ。
一瞬手が勝手に削除へとカーソルを持っていきそうになったが
渋々内容を読んでみた。

やっぱり悪い予感が当たってしまった。
そこには謙虚ながら「お弁当を持っていこうかな」
と綴られていたのだ。

そりゃ今春から高校生になる息子に作ることは
母親として定められた運命である。
4月からは・・・とこれでも腹をくくっていた。

それにまだ子供が小さい頃は作ってあげていたこともあった。
新婚気分の愛妻弁当ってほどではなかったが。
そういえばケンカした次の日はご飯の上にドンと
鯵の開きだけをのっけたこともあったよな。
今となってはいい想い出だ。
そう、弁当作りはもう想い出の中にしまっておきたいものなのだ!

先に高校生の母になった友人が笑顔で語った言葉がある。
「どうせ作らなきゃいけないんだから楽しまなきゃ」
その時私の目には彼女が神か仏に見えたものだ。

どうせ4月になれば作らなきゃいけないものである。
一つ作るも二つ作るもこの際一緒だ。
しかし繰り上げだけは避けたいと逃げ回る私は
世間的には主婦失格なのかもしれない。
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気の毒な庭

2005-01-25 13:52:13 | Weblog
世間で言う田舎にある我が家には
いちよこれまた世間で言われるところの庭にあたる敷地がある。
しかしこの惨状はとてもじゃないが庭と呼ぶには忍びない。

それでいて隣接するおばあちゃんの敷地ときたら柘植や楓などが見栄えよく並び
富有柿の隣には小さいながら畑が広がり
イチジクも金柑もたわわに実る田舎らしい風情ってものがあるのだ。

その隣に位置しながら我が家の庭(らしきもの)の現状は悲惨だ。
とりあえず一時ガーデニングをかじった主人が
ウッドデッキもどきと玄関前にレンガを敷き詰めたアプローチもどきを
日曜大工で作ってみたものの
旧自転車置き場は廃屋同然となり雑草は生い茂り
犬が掘っちゃ宝物を隠し、猫にいたってはトイレ扱いである。

原因は木なんか周りにいくらでも生えているのだから
庭には必要がないと言い張る主人が
もともとあったものを移植伐採してしまったことと
ほかでもない、庭をいじる根気がない私であることは明白だ。
老後隠居生活になったらやるよと公言してはいるものの
あとでとお化けは出たためしがないというのが
通説であることは間違いないのである。
そんな状況の中ひそかに主人の老後に期待しているのは
私ばかりではないのかもしれない。
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親子でカラオケ

2005-01-24 10:59:55 | 家族
昨日もちょっとふれたが、息子二人とカラオケに行ってきた。
まだまだ中学生とはいえ親と一緒にカラオケ?
という思いもあったが、不器用なやつらのこと
リハーサルを繰り返しておかないと
いざ友人と行ったときに赤っ恥をかきかねないという懸念から
思い切ってカラオケデビューを迎えさせたのである。

とかなんとかいって実は私はカラオケ好きである。
とはいえ他人様の前で歌うほどの歌唱力もないので
子供たちと行けば恥もかかず思いっきり歌えるという
計算が入ってたことは否定できない。

まず手始めということで1時間という短い時間ではあったが
長男が思いもよらずオレンジレンジを歌いこなしたことと
次男が予想をはるかに上回る音痴だったことを確認できたのは
大収穫だった。
もちろん歌いたかったポルノグラフィティを歌えたことが
一番の収穫ではあったが。

で、何よりもやっぱりこのメンバーでいくのは気楽である。
きっと子供たちもそう思っているに違いない。
これを機会に定例にしようと一人目論む母なのであった。
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フライドチキンの悲劇

2005-01-23 19:29:34 | 家族
今日はとても寒い一日だったが長男の受験も一段落したことだし、と
3人でカラオケに出かけることになった。
で、カラオケのあと長男の希望により大きな本屋さんに寄り
次男の希望によりゲームショップに寄り
じゃ、あとはフライドチキンでも買って家でノンビリしようということになり
6ピースパックとツイスターを二つ購入して帰路についたのだった。
と、ここまでは和やかないいムードだったのである。

最初に異変に気付いたのはやっぱり次男だった。
空腹のあまり姿だけでも拝もうと袋を開けてみると
ツイスターが一個しかないというのだ。
あちゃーこれはよくあることだ。
二つと一つを聞き間違えたのだろう。
まるでこの世の終わりをむかえたかのごとくうなだれている次男に
長男と分け合うことを提案し、とりあえずこの場は渋々ながら納得させることができた。

しかしである。
家に着き箱を開けるとなんとチキンが4つしか入っていないのだ。
これには私もたまげてしまった。
だがこれは6ピースと頼まずにMを1つなどと慣れない頼み方をした私の責任に違いない。
ならば仕方ない、と心の中では号泣しつつ(だってフライドチキンは私の好物なのだ)
でもかろうじて親の面目を保たせ
チキンは子供たち二人で食べるように指示しその場を納めた。

ところがである。チキンがすっかり私たちのお腹に収まった頃
何の気なしにレシートを確認してみると
なんとレシートにはちゃんとチキン6ピースと書いてあるではないか!
私のチキンを返せーーー!!!!
もうアドレナリンが全開である(`_´)
大好きなチキンを食べ損ねたあげくしっかり代金を取られているのだ。
私の中で戦いのゴングが高らかに鳴った。
次男の「グッドラック」にも励まされ猛然と受話器をとったのである。

ま、結局さすが大手である。
代金か現物をお持ちします、と平謝りされ
私は平常心に戻ることができた。
どうやら今日はこの手のミスが頻繁に起こっていたらしい。
気の毒な店長である。

そして、なんだかんだいいつつも
気の毒だからまた近いうちに買いに行ってやるかなどという大義名分を盾に
なんとかチキンリベンジを謀る私なのであった。



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1日1.5リットル

2005-01-22 14:50:07 | Weblog
1日1.5リットルというのは
美容と健康のために飲んだ方がよいとされる水の量である。
もっともどこかの大学教授が研究の結果発表したわけではなく
知り合いのエステティシャンのお姉ちゃんが教えてくれたものだ。
ちなみに1.5リットルというのは最低ラインらしい。

健康はもとより美容面におおいに気を使った方がよい体型の私は
なにはともあれとりあえず飲みなさいって感じなんだろうが
もともと水分を取らない私にとっちゃ1.5リットルという数字は
あり得ない数字なのだ。

だいたいマグカップ1杯のコーヒーですら
飲み始めがホットでも飲み終わる頃にはアイスになっているのだ。
んなの無理に決まってるじゃんと、聞いたときは思った。

しかし、やはりこの体型はまずいと
とりあえず1.5リットルのお茶を無謀にも用意してみた。
仕事が休みだったのでペットボトルをキッチンの目のつくところに置き
気がつきゃ飲むを繰り返したところ
夜布団に入る頃には意外にもほとんど飲むことができたのである。

ただ、気になったのはあれほどの水分を取ったのに
トイレに行く回数や量はいつもとあまり変わらないのだ。
あの水分はいったいどこへ?という疑問を胸に眠りについた。

しかし、やはりあの水分は確かに私の体内にいた。
たぶんこの大量の水をどうしたものかととまどっていたに違いない。
それが、そうだ出せばいいんじゃんってことに体が気付いたのは
あろうことか夜中だったのだ。

結局私は夜中中水分排出作業につくことになった。
まあ出るわ出るわ・・・心なしか腎臓がきれいになった気がする。

今日もめげずに1.5リットルに挑戦しているが
なんとかコツを掴んでくれた体は
しっかり昼間から排出作業に取り組んでいてくれる。

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