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☆国史跡となった鷹島神崎(こうざき)遺跡の潜水調査☆

<あきの公造・一直線!127号>

 長崎県松浦市の鷹島沖の海底で元寇船がほぼ完全な形で発見されたことから、昨年11月国会にて、教科書に掲載されている史実を証明するものとして国の文化財保護を求めました。その結果、本年3月27日に海域ごと「鷹島神崎(こうざき)遺跡」として文化財保護法に基づく国史跡の指定を受けました。日本で初めての海底遺跡であり早期の実現を嬉しく思っています。

 昨日10月7日、元寇船の保存計画について更なる提案を行うために、実際に鷹島神崎遺跡に潜って調査を行いました。


文化財となった元寇船は暗くて冷たい水深23mの海底に静かに眠っていました。ライトを照らしてこの目で見た元寇船はあまりにも巨大で、船の背骨と言われるキール(竜骨)と外壁となるフレームが砂を被りながら横たわり、左右の重さを調整し上陸した後の城つくりにも用いたとされるレンガが大量に散乱していました。


 調査を行っている琉球大学の池田榮史教授によると、キールとフレームをつなぐ漆喰が大変に貴重であるとのことです。海底では手作業による調査が丁寧に行われていました。

 私が国会で質問した時には直ぐにでも引き上げられる状態も想定していました。しかしながら世界に類を見ない貴重な元寇船をこのまま、まずは海底で徹底的に調査する必要があるということは、海の底まで行かなくては実感できないことでした。

 このような大発見がなされていても我が国には国公立の水中考古学の調査研究を行う機関や専門の博物館がありません。ならば鷹島は水中考古学の拠点になりうるところではないでしょうか。巨大な船の調査には今後も時間がかかります。引き上げの際には迅速な保存処理を必要とすることを考えるならば、文化財・元寇船の調査はこれまで独自の資料館も備え過去の実績がある鷹島で行うべきです。

 また元寇の折には安全を求めて伊万里湾に集結した元の大船団が台風により一隻残らず沈められた史実に対して伊万里湾に眠る元寇船は本当にこの1隻だけなのでしょうか。探知機が開発され、700年前の中国や韓国の元寇船まで調査が進むならば夢は拡がります。そして奇しくも9月末に長崎大学の一員として訪れたモンゴル国の方々が700年前の自らの国の船が日本の海底で宝として保存されていることに大変喜んでくれたことを考えると、元寇船の調査がモンゴル国との友好に寄与し、いつかモンゴルからの観光客が鷹島大橋を渡って元寇船を見に来られるような姿まで想像してしまいます。

 保存計画について具体的な提案を行えるようこれからも調査を続けてまいります。


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