「レスター・レヴェンソンのリリーシング」- I'm trying to show you the entire way.

Lester:「私は、あなたに全ての道を案内しようとしています。」 2015-10-04-09:45JST

セドナメソッドベーシックコース - 7 - 現実を創造(想像する)ためのガイド、 -1

2014-01-26 04:44:36 | releasing
セドナメソッドベーシックコース - 7 - 現実を創造(想像する)ためのガイド、 -1

 始めに、

 「レスター・レヴェンソンのリリーシング」では、独学で最終ステップまでいけるように、世界中のリリーシングをしている人の記事を参考に引用しています。

 リリーシングではなく、瞑想で「平安」の状態まで到達した、Bernadette Roberts (バーナデット・ロバーツ) 1931~ ... (無自己の体験をした)も、紹介しています。

 「レスター・レヴェンソンのリリーシング」は、現在はレスターの生徒であった、スティーブ・セラタン(スティーブン・セレタン)、ヘイル・ドゥオスキン、ラリー・クレイン、ヴァージニア・ロイドによって、英語圏で教えられています。

 日本では、ヘイル・ドゥオスキンの講義を受けた「セドナメソッド日本語版」の監修者が、教えています。

 独学で最終ステップまでいける

 リリーステクニックの教材の宣伝に使用されている、カム・バクーシが、自由の状態まで到達したといわれています。

参考記事:

完全な自由と悟りの段階 (悟りの階梯) - 01
(2013-06-30 08:28:39 | 話題 (opinion))


悟りの段階 (悟りの階梯)

預流果 (よるか) - (◎『後進のため、悟りは説き明かされた』)

 最初の悟り・預流果では、細かく分ければ千五百もあると言われる煩悩の中、たった三つ(三結)だけが消えています。でもそれは、悟りを決定付ける三つです。

 一つ目は、「有身見」と呼ばれる煩悩。
これは欲でも怒りでもなく無知に分類される、誤った見解・邪見です。「私の身体」「私という心身集合体」など、どう呼んでもいいのですが、とにかく何か 「私」というものがいると錯覚している煩悩が、まず根こそぎ消えます。瞑想したり集中して仏法の話を聞いたりしている最中に、一瞬でも「私」がいない、何 もない瞬間を「体験」して、「ああ、『私』がいるわけではないのだ」と納得した智慧が生まれ、有身見が消えるのです。

 「無常を悟る、無我を悟ることが仏教だ」と言われる、その無常、無我を一瞬だけでも「体験」して、「我がある」という邪見・煩悩が、単なる知識として分かるのではなく、本当に消えるのです。

 二つ目と三つ目は、一つ目の有身見が消えれば、自然に消える煩悩です。
この二つも無知に基づく邪見です。「疑」と「戒禁取」です。

 「疑」とは、「何が真実か分からないままぐずぐずウジウジしていること」です。預流果に悟ると、このウジウジ状態や真偽を見誤ることがなくなります。
釈尊は、「八回目にはもう生まれ変わりません。七回生まれ変わる間には完全に悟れます」と限定しておられます。
お釈迦様は念のため、「預流果の人は天界か人界にだけ生まれ変わり、地獄、畜生、餓鬼界に生まれることは決してない」ともおっしゃっています。


注記:
「レスター・レヴェンソンのリリーシング」では、9つの感情の状態を自分で識別できるようになります。
 9つの感情の状態の (AGFLAP) が、エゴとマインドの状態です。身体が私だと信じている状態です。
 9つの感情の状態の (CAP) が、ビーイングネスの状態です。身体が私だと信じていない状態です。「私」というものがいると錯覚している煩悩(注記:考え・思い・信念など)が、まず根こそぎ消えます。
(私は、心の働きにより創造された、イリュージョンの世界に住んでいる。この世界にのみ過去・現在・未来という時間がある。)
 「レスター・レヴェンソンのリリーシング」を信じて、続けていると経験を通して、「私はいない」と自覚するようになります。

----------
 「真我の自覚と無知」の章で、シュリー・ラマナは、身体と心を通して機能している個人が存在するという観念をただ捨て去るだけで、真我の実現は起こりうると主張しつづけている。 ほんのわずかな熟達した帰依者たちだけがこれをすばやく容易に為し遂げたが、他の者たちにとって、何らかの形式の霊的修練を積むことなしには、それはほとんど不可能に見えた。 シュリー・ラマナは彼らの苦境を理解し、真我の自覚を促す霊的修練を指導するように頼まれたときは、真我探究(ヴィチャーラ)と呼ばれるテクニックを勧めたのだった。 この修練は彼の実践的哲学の礎となっている。

 シュリー・ラマナは、個人という概念はただ「私」という想念がさまざまな形で現れているだけだという見解を支持している。
 彼はさまざまな心の活動(自我、知性、記憶など)を分離した個別の機能として見なす代わりに、それらを「私」という想念のさまざまな表現形式だと見ている。
 彼は個人と心、そして心と「私」という想念を同一のものとして見ているため、個人という感覚の消滅が心と「私」という想念の両方の消滅を暗示することになる。

 彼は真我だけが唯一存在する真理であると主張し、「私」という想念は、それ自体では存在をもたないひとつの誤った仮定だと見なしている。
 彼はその現れについて、「私」という想念は対象物と同一化することで存在するように見えるだけだ、と説明している。 思考が活動するとき「私」という想念は、「私は考える」「私は信じる」「私は行為する」といった思考の所有を主張する。
 しかし、同一化した対象物に依存せずに存在する分離した「私」という想念はない。
 それはただ、絶え間ない自己同一化の流れによって、現実に継続して存在する実体のように見えるだけである。
 こういった同一化のほとんどすべては、「私」が身体に限定されているという根本的な想念にその源をたどることができる。
 この「私は身体だ」という観念が、絶え間なく起こる誤った同一化の根源であり、そして「私は身体だ」という観念の終焉こそが真我探究の根本的な目的なのである。

----------

----------
「トランサーフィンの補助輪的な運命のコントロールノート」の理論的なベースになっている個所をトランサーフィン第6巻、ルーラー・オブ・リアリティから引用します。
 
・・・私は、いつも、コージマ・プルトコフの格言のことを気にしていました。それは、「幸せになりたければ、幸せになれ。」という格言です。この表現は、仮面みたいに、一面は白く、もう一面は黒いのです。。この表現はちょっとおかしいと思いませんか。全部は正しいですね。反論することはありません。でも、その表現は役に立つと思いますか。
今、困難な状況でしたら、自分自身を楽観主義者にさせることは、まず、できません。でも、この石化した真実を復活させる方法があります。それは意図の調整(コーディネーション)の法則です。
自分を楽観主義者にさせる必要はありません。でも、いろんなことへの自分の態度を変える必要があります。

あなたとあなたの態度は同じではありません。というのは、自分自身を変える必要はありません。その忌々しい状況へのネガティブな反応は反射です。慣れている癖です。しかも、一番、悪い癖かもしれません。反射的なネガティブ主義は牡蠣の存在の方法です。それは無意識な夢です。その夢の行方にあなたは影響を与えることができません。あなたの理性は、忌々しい状況と遭ったら、直ぐに暗くなります。そして、あなたの人生のラインはネガティブな線の方に入ります。結局、状況は、もっともっと暗くなります。そして、そのネガティブな線のチェーンで、あなたは暗闇に落ちます。
回りの状況をコントロールするためには、自分の態度を意識的に操作することが必要です。状況が悪い時に、「全部はいいです。」とか「全部はうまくいきます。」ということを繰り返して言わなくてもいいです。
私が言いたいのは、先ず、夢から目覚めることです。というのは、その状況を横から眺めることです。そして、その状況への自分の態度を意識することです。・・・一番、大事なのは、私が意識して行動をとることです。
そして、ネガティブな線に行かないことです。・・・そうしたら、あなたは、本当に、その出来事をコントロールするようになったのです。あなたは状況に影響されるのではなく、その状況があなたの利益のために働くのです。・・・

-----


 初心者は、

具体的な目標をゴールに設定します。
 小さな、成功体験を重ねることで、「レスター・レヴェンソンのリリーシング」を信じて、続けていくようになります。


続きます。
セドナメソッドベーシックコース - 7 - 現実を創造(想像する)ためのガイド、 -2

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« セドナメソッドベーシックコ... | トップ | セドナメソッドベーシックコ... »
最新の画像もっと見る

releasing」カテゴリの最新記事