今回のテーマは、「瞑想 (考えるものを捉える)」についてです。
瞑想 (考えるものを捉える)。コレを実践することで、想念は消えていきます。
M.: The objects or feelings or thoughts are all mental conceptions. The mind rises after the rise of the I-thought or the ego. Wherefrom does the ego rise? From the abstract consciousness or Pure intelligence.
M:物事 (objects:オブジェクト) や感情や想念 (thoughts:思考) は、すべて精神的な概念です。心 (mind) は、私という想念 (I-thought:私-思考) や、自我 (ego) の台頭の後に発生 (上昇) します。自我 (ego) は、どこから発生 (上昇) しますか?抽象意識、または、純粋な知性からです。
抽象意識、または、純粋な知性に、留まるとき想念は、消えます。至福の状態です。心の中 (内面) に入り、沈黙を感じるまで修練します。
1. 自己同一化を止める
真我は、常に今ここに在ります。執着や険悪な感情 (想念) は、想念を掴ん (つかん) でいるだけです。想念は、実在ではない。ことを意識すれば、消えます。
無意識 (潜在的にある、潜在意識にある) 思考や記憶に伴う感情を、意識して掴むのを止めます。
思考や感情や記憶を掴むのを止めると、想念は増えません。消えていきます。
身体 (想念) との自己同一化は、「思考や感情や記憶を掴むのを止める」ことで消えていきます。
Talks with Sri Ramana Maharshi 8th September, 1936
1936年9月8日の対話より 抜粋
Talk 245.
“I understand that the Self is beyond the ego. My knowledge is theoretical and not practical. How shall I gain practical realisation of the Self?”
「真我 (Self:自己) が、自我を超えていることを理解しています。私の知識は、理論的で体験 (実用的) ではありません。真我 (Self:自己) の、実践的な実現を得るには、どうすればよいでしょうか。」
M.: Realisation is nothing to be got afresh. It is already there. All that is necessary is to be rid of the thought: “I have not realised.”
M:実現は、新たに手に入れるものではありません。それは、すでにそこにあります。必要なのは、想念 (thought:考え) を払い去る (取り除く) ことだけです:「私は、実現していません」という。
D.: Then one need not attempt it.
D:それでは、それを (実現しようと) 試みる必要はありませんか。
M.: No. Stillness of mind or peace is realisation. There is no moment when the Self is not.
M:その必要は、ありません。心の静寂 (静けさ) や平和が、実現です。真我 (Self:自己) が、そうでない (存在しない) 瞬間はありません。
So long as there is doubt or the feeling of non-realisation, attempt must be made to rid oneself of these thoughts.
しかし、疑わしい、または、実現していない (非実現の) 感覚がある限り、これらの想念 (thought:考え) を取り除くために試みる必要があります。
The thoughts are due to identification of the Self with the non-self.
想念 (thought:考え) は、真我でないもの (non-self:非真我、非自己) と真我 (Self:自己) を、同一視すること (識別すること) によるものです。
When the non-self disappears the Self alone remains. To make room anywhere it is enough that things are removed from there. Room is not brought in afresh. Nay, more - room is there even in cramping.
真我でないもの (non-self:非真我、非自己) が消えたとき、真我 (Self:自己) だけが残っています。空間 (room:部屋) を創りだすためには、そこから物事を取り除くだけで十分です。新たに空間 (部屋) は、持ち込まれていません。いや、それ以上に - 物が一杯だった所でさえ (there even in cramping)、空間 (room:部屋) は存在します。
注記:cramping (痙攣:けいれん)。
painful involuntary contraction of a muscle or muscles, typically caused by fatigue or strain. (筋肉や筋肉の痛みを伴う不随意収縮は、一般的に疲労や歪みによって引き起こされます。)
cramp:restrict or inhibit the development of. (の開発を制限したり、阻害します。)
cramped:cramped (狭苦しい、手狭)
例文:
in cramped surroundings (ぎゅうぎゅう詰めの環境で)、窮屈な環境の中で
in a cramped space (窮屈な「狭い」空間「スペース」(の中) で)
live in cramped quarters (窮屈な住居「部屋」に住む)
Absence of thoughts does not mean a blank. There must be one to know the blank. Knowledge and ignorance are of the mind. They are born of duality. But the Self is beyond knowledge and ignorance.
想念 (thought:考え) がないことは、空白の状態を意味しません。空白の状態を知るものがあるはずです。知識と無知は、心のものです。それらは、二元性から生まれています。しかし、真我 (Self:自己) は、知識と無知を超えています。
It is light itself. There is no necessity to see the Self with another Self. There are no two selves. What is not Self is non-self. The non-self cannot see the Self. The Self has no sight or hearing. It lies beyond these - all alone, as pure consciousness.
これは、光そのものです。真我 (Self:自己)を、別の真我 (Self:自己)で見る必要はありません。2つの真我 (Self:自己)はそこにありません。真我 (Self:自己)ではないものは、真我でないもの (non-self:非真我、非自己) です。真我でないもの (non-self:非真我、非自己) が、真我 (Self:自己) を見ることはできません。真我 (Self:自己) には視力や聴覚がありません。それは、これらを超えてあります - 純粋意識として、唯一 (すべて一人で) 存在します。
Blankness is the evil result of searching the mind. The mind must be cut off, root and branch. See who the thinker is, who the seeker is. Abide as the thinker, the seeker. All thoughts will disappear.
空白 (Blankness) は、心を検索するという悪い (悪の) 結果です。心は、根と枝を切断しなければなりません (心を遮断する必要があります)。探求者 (seeker) が誰であるか、思考者 (thinker:思想家、考えるもの) が誰であるかを参照してください。思考者 (thinker:思想家、考えるもの)、探求者 (seeker) として遵守します。すべての考えは消えます。
D.: Then there will be the ego - the thinker.
D:そして、自我があるだろう - 思考者 (thinker:思想家、考えるもの)。
M.: That ego is pure Ego purged of thoughts. It is the same as the Self.
M:その自我は思考の純粋なエゴ (自我) です。それは、真我 (Self:自己) と同じです。
So long as false identification persists doubts will persist, questions will arise, there will be no end of them. Doubts will cease only when the non-self is put an end to. That will result in realisation of the Self. There will remain no other there to doubt or ask.
疑いの識別が持続する限り、質問が発生しますが、それらの終わりはありません。疑問は、非自己が終わりを置くときだけ、中止されます。それは真我実現 (自己の実現) をもたらすでしょう。他にはありません。疑うか尋ねるための、他者はいません。
All these doubts should be solved within oneself. No amount of words will satisfy. Hold the thinker. Only when the thinker is not held do objects appear outside or doubts arise in the mind.
これらすべての疑問は自分の内 (中) で解決されるべきです。いかに言葉をついやしても満たされません。考えるものを捉えて (思想家を持って) ください。考えるものが捉えられていないとき (思想家が開催されていないとき) のみ、事物は (物体が) 外に出るか、疑問が心の中で起こります。
2. 心を消す
D:どのようにして、心を消すことができますか?
M:考えるもの (思想家) を求められれば、想念 (thoughts:考え) は消えます。
Talks with Sri Ramana Maharshi 29th August, 1936
1936年8月29日の対話より 抜粋
Talk 244.
D.: How can the mind be made to vanish?
D:どのようにして、心を消すことができますか?
M.: No attempt is made to destroy it. To think or wish it is itself a thought. If the thinker is sought, the thoughts will disappear.
M:それを破壊する、いかなる試みもありません。考えたり、望んだりする、それ自体が、想念 (thought:思考) です。考えるもの (思想家) を求められれば、想念 (thoughts:考え) は消えます。
D.: Will they disappear of themselves? It looks so difficult.
D:それらは、自ずから (自分自身から) 消えるのでしょうか?とても、難しく見えます。
M.: They will disappear because they are unreal. The idea of difficulty is itself an obstacle to realisation. It must be overcome. To remain as the Self is not difficult.
M:それらは、実在ではない (非現実的である) ために消えます。難しいと考えること (困難の考え方) 自体が、実現の障害です。それは、克服する必要があります。真我 (Self:自己) として留まることは、難しくありません。
D.: It looks easy to think of God in the external world, whereas it looks difficult to remain without thoughts.
D:外側の世界では、神のことを考えるのは、簡単に見えますが、思い (thoughts:思考) なしに、とどまることは、困難に見えます。
M.: That is absurd; to look at other things is easy and to look within is difficult! It must be contrariwise.
M:それは、ばかげています。他のことを見るのは簡単で、内面 (中) を見るのは難しいです!それは、反対である必要があります。
D.: But I do not understand. It is difficult.
D:しかし、私は理解していません。それは難しいです。
M.: This thought of difficulty is the chief obstacle. A little practice will make you think differently.
M:この、難しいと考えること (困難の考え) は、主要な障害です。少し修練 (practice:練習) すれば、あなたは、違った考え方をします。
D.: What is the practice?
D:修練 (practice:練習) は、どうしますか?
M.: To find out the source of ‘I’.
M:「私 (I)」の源 (source:ソース) を見つけることです。
D.: That was the state before one’s birth.
D:それは、誕生 (出生) 前の状態でした。
M.: Why should one think of birth and death? Are you really born? The rising of the mind is called birth.
M:なぜ、誕生 (出生) と死を考えるべきですか?あなたは、本当に生まれていますか?心の生じること (上昇) は、誕生 (出生) と呼ばれます。
After mind the body-thought arises and the body is seen; then the thought of birth, the state before birth, death, the state after death - all these are only of the mind. Whose is the birth?
心の生じた後、身体が想念 (thought:思考) され、身体が見られます。それから、誕生 (出生) の想念 (thought:考え)、誕生 (出生) 以前 (前) の状態、死、死後の状態 - これらは、すべて心の領域のものです。誰の誕生ですか?
D.: Am I not now born?
D:私は今、生まれていないのですか?
M.: So long as the body is considered, birth is real. But the body is not ‘I’. The Self is not born nor does it die. There is nothing new.
M:身体に関して (身体が) 考慮されている限り、誕生 (出生) は本物です。しかし、身体は「私」ではありません。真我 (Self:自己) は、生まれていないし、死んでいません。新しいものは、何もありません。
The Sages see everything in and of the Self. There is no diversity in it.
Therefore there is neither birth nor death.
賢者は、真我 (Self:自己) の中にすべてを (注:真我として) 見ています。それには、多様性がありません。したがって、誕生 (出生) も死もありません。
D.: If sleep be such a good state, why does not one like to be always in it?
D:眠り (睡眠) が、そんなに良い状態であるなら、なぜ人は、いつもそこにいることを好まないのですか?
M.: One is always only in sleep. The present waking state is no more than a dream. Dream can take place only in sleep. Sleep is underlying these three states.
M:人 (1つ) は、常に眠りの中にいます (睡眠の中です)。現在の目覚めた状態は、夢に過ぎません。夢は、眠りの中 (睡眠の中) にのみ、起こることができます。眠り (睡眠) は、これらの3つの状態の根底にあります。
Manifestation of these three states is again a dream, which is in its turn another sleep. In this way these states of dream and sleep are endless.
これらの3つの状態の現れ (顕現) は、再び夢であり、それは、別の眠り (睡眠) にあります。このようにして、これらの夢と眠り (睡眠) の状態は無限です。
Similar to these states, birth and death also are dreams in a sleep.
Really speaking, there are no birth and death.
これらの状態と同様に、誕生 (出生) と死は、眠り (睡眠) の中の夢です。
真実は (本当に言えば)、誕生 (出生) と死は、ありません。
3. 参考サイト:バーナデット・ロバーツ『自己喪失の体験 』より
- 『自己喪失の体験 』より
究極の目標-9「基本的な欲求を手放す」 2020-02-19 06:09:05 | 目次付きの記事(1~10)
『‥‥広く開けた谷間の風景を眺めて丘を下ってゆくとき、ふと内部に注意をむけたところ愕然として思わずそこに立ち止まりました。
私の内部にあるはずの中心がなく、そこは空っぽなのです。それを知った瞬間、静かな喜びがあふれて来ました。無くなったものが何かやっと分かったのです。それは私の自己でした。』
『‥‥とにかく自己の客体化の機能は永遠に止まってしまったのです。後から考えると、これが通常の意識から純粋主観性への移行の第一歩だったのです。』
『自己がなくなれば事物を差別相において見る相対的な心も無くなって、「それ」だけが残るのです。
それは時に非常に強烈にもなりますが、何か異常なものではなく、自然で平明なので、どこを見てもあるという意味でむしろ通常なのものなのです。』
『旅が終わった後では、現在の瞬間に生きることしかできません。心はその瞬間に集中していて、過去や未来を顧慮 (こりょ) することがないのです。
注記:こりょ【顧慮】とは。ある事をしっかり考えに入れて、心をくばること。例:「相手の立場を―する」。
注記:「それ」とは。基本に在る、気づき。思考 (感情、欲求、欲望、執着、険悪など) のない気づき。現れるもの (想念) のない気づき。
「気づき (注:純粋主観性)」の中に、留まるようになります。無であり、空 (くう) である、在るもの。
2022-11-23 06:03:55〜2022-11-23 07:21:30 「自己同一化を止める」を記述しました。
2022-12-12 19:34:35 「心を消す」を記述しました。
2022-12-20 05:22:08 見出しに「ラマナ・マハルシの言葉」を記述しました。
2023-01-20 07:29:49〜2023-01-20 08:05:55 「バーナデット・ロバーツ『自己喪失の体験 』より」を記述しました。