カッキーYAMA   akihiko tange

手始めに、日常的なことを気の向いたときに載せていくつもり。

何かの音が音楽に聞こえるとき part2

2014-12-02 | エッセイ

思い出してみると、何かの音が音楽に聞こえたときというのは、はっきりしているときであと2回ほどあると思う。静かなところで水の流れる音などを聞いているときに起きる。自分でも不思議なのだが、そうなのだ。昨年のこと。立山へ行った。頂上へ登り、室堂平まで降りてきて疲れをとるために温泉に入った。他に人はいなかった。温泉の湯は常に出ていて、どこかに流れ落ちる音がずっと聞こえていた。広々とした浴場で一人、湯船に浸かっていると、その流れ落ちる湯の音が音楽に聞こえるのだった。湯の音そのものというより、その音に混じってシンクロした感じで聞こえてくる。この時は明らかにどういう種類の音楽か分かった。アメリカのカントリーウエスタン調のもので、明るいロックのリズム。これも不思議な気がして何度も耳を傾けてみたのだけれど、そう聞こえた。そこも、気圧は低めの所ではあるけれど、それが関係しているかどうかは分からない。はっきりとはどういう曲か分からないものの、メロディーも分からないものの、曲調は分かるのである。そういう聞こえ方。この時は、かなり明瞭に聞こえた。

あと一度は、どこでだったかは思い出せない。そういった状況に頻繁に遭遇できるわけではないのだ。この時も、やはり何かの音に混じって聞こえた。水か何かの音だったように思う。思い出すことができれば良いのだが。これは比較的不明瞭だったのだが、曲調ははっきりしていた。日本の曲。演歌ではなく、民謡のようなそんな感じだったと思う。どういったことなのだろう? 曲調、雰囲気ようなものだけは明確に伝わってくるのだ。

最近になって、ふとこの自分の体験から連想したことがある。ショパンの曲に「雨だれ」というのがあるらしい。彼が自分で付けたタイトルではないようだ。昔一度聴いたくらいでほとんど何も知らないけれど、その曲は雨の降る中で書かれたものではないかと言われている。そこからはこれはあくまでも想像なのだが、雨の音からイメージを受けつつ書いたと考えるのももっともだが、もしかしたら自然の雨の音あるいは雨だれの音と重なって聞こえる、ある曲調の音のようなものを彼のような人は聞こえるそのままに譜面に軽く簡単に書いただけなのではないかと、そういうことを連想したのである。考えたり練ったりイメージしたりしてというのではないのではないか、と。ショパンという人が自分の作った曲に一般的名称しか付けなかったというのも今少し調べていて初めて知った。何か分かる気がする。



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