カッキーYAMA   akihiko tange

手始めに、日常的なことを気の向いたときに載せていくつもり。

今日の夕陽・あるいは漂流のことなど

2012-06-20 | エッセイ


今日の夕陽

昨日は台風で風雨強く、雨戸を閉めた。反対に今日はこの天気。暑かった。


夕陽。 この近くで今、ホームセンターとなる建物の工事が進んでいる。

 今回描いていたdrawing(これから載せるつもり)にはtotem poleという名を付けてもよいと思う。そんな感じに仕上がったからだ。totem poleは原義に照らすといろいろな意見、意味が出てきそうだが、それらはさておき、そう呼んでみたい気分なのだ。ところで、totem poleというのは元はというと北西アメリカの原住民たちが作っていたものらしい。だが言葉としては人々に既に知られ、かなり一般化してる。宗教絡みと捉えたい向きも多いかもしれないが、もともとは違うもののようだ。そんなことも大いに嬉しく、そして色や形にとても感覚が喚起される。これらを作った彼らはモンゴロイドだそうだ。遠い昔ユーラシアから渡ったと言われ定説となっている例の人々である。インド、中国、東南アジアあたりの衣装、絵画、装飾などと北米西海岸部から南米西海岸地域のそれに共通のものがあるのはそういうことである。以前そういった文化の伝搬に興味があり、ごく初期のものの一つとして「漂流」というのがあるのではと思い、調べていたことがある。「漂流」とは、はからずも、という意味である。冒険などという勇ましいものとは違う。最初の伝搬者というのは事故か何かではからずも流されてたどり着いてしまった、というとても弱気の、計画性のない、自分がそれと意識すらしないような何とも情けない人々だったのではないか、と思うのである。船で釣りをしていたら流されてしまったとか、食べ物を追っているうちに何かの拍子でそっちへ行ってしまったとか、ある意味とても切実ではあるが、未知の地へ行く動機としてはとても間抜けなものだったのでは、ということなのだ。

 ここ数日、ネット上の関連したものを少し読んでいたら、・・・アジアの日本辺りからアメリカ西海岸辺りへ「漂流」して行くには「黒潮」というのがあり、青森の東辺りを経由して云々・・・と書かれたものも一つと言わずあったのだが、実際はそうなってはいない。青森の東辺りは「黒潮」は通らないのである。調べてみると黒潮は北からの親潮と千葉沖で衝突しているのである。黒潮の流れではいずれにしても青森辺りを北上し島伝いに、とはいかないのである。

 ところで「黒潮」で「漂流」したとするとどうなるかというと実際は千葉沖辺りからいきなり太平洋を東方の沖へと出発してしまうのである。出発したくない所で陸から離れ太平洋へ出てしまう、といった感じだ。これだと次の陸地(アメリカ西海岸、あるいはハワイなど?)まで遠くてたどり着く前にほとんど死んでしまうだろうし、それでも奇跡的に命からがらたどり着いた者もごく稀にいるかもしれない、とそんな感じだ。 アジアから南米へかけての文化などの流れはアリューシャン列島の島伝いにじわじわと伝わっていった、というのが大きいだろうし自然な考えだと思う。いきなり東へ流れて行き、生きてたどり着いた者がいたかどうか、その人間がその地に小さくとも世にも珍しい足跡を残したかどうか、想像とロマンは尽きないけれど・・・。
 はからずもの「漂流」者は冒険、「じわじわ」の者たちの想像を超えるところに、ポツッと次の点を残したりしているのだろう。次の到達点が見えて知っていれば、あるいはその行程に何らかの予測がつけば、さあ冒険だ、となるが、未だ誰も見ぬ、ともなれば、始めにたどり着いたのは「漂流」者だったかもしれないのである。



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