カッキーYAMA   akihiko tange

手始めに、日常的なことを気の向いたときに載せていくつもり。

Tarzanを久々に買って・・・・

2010-02-04 | エッセイ


                                  Tarzan
                    
                                       

 雑誌のTarzanを買った。この類の雑誌を買ったのは何年かぶりである。「肩こり・腰痛」と書いてあったので直ぐ買ってしまったのである。私は腰痛もでる。骨のずれというより筋肉・腱系、神経系、という診断を受けている。表紙に「今すぐスッキリ」などと小さく書いてあるところがかえって効くかもと思わせる。腰痛に効果てきめん!というようだといいのだが。これまではMSNマガジンサーチでTarzanも取り上げられていて、無料である程度見れたのだがそれが昨年末で残念ながら打ち切りになった。いい企画だなと思い楽しみに見ていたのだが、理由はともあれMSNのこの判断については、軽い失望を覚える。住宅雑誌のCasaなども掲載されていた。
 
 出版社のマガジンハウスは私の20代の頃と重なって、隆盛を極めた雑誌社である。ポパイ、オリーブなどもこの頃だったか。Tarzanもそれと重なる。世代論で括ってみると、私の世代はTV世代である。また、ディズニー、ポパイなどを見つつ、というより共に育った。TVアニメ、ディズニー、共に幼稚園、小学校低学年ころからの話だから、まさにその成長と歩を合わせていたのである。テレビっ子と言ってもその前、その後の人々と異なり、まさに自分たちの成長とシンクロしていたのである。だから結構その変遷の話に詳しく、かつその話になると、TVの特徴で全国版の話としていろいろな人と話が通じるのである。俺はアトム派だ、俺は鉄人派だ、というように。鉄人28号など最初の頃は、4コマ漫画の早送りか、というくらいカクカクとした拙い動きで、しかしそれを生き生きとした動きとして食い入るように見ていたのである。大体幼稚園児数人が打ち揃ってTVの前に横一列に並び、正座をし(行儀が良いのではなく、そうしないと画面の高さに目が合わないのだ)全員口を開けて見入っていたのである。
 
 アトム、鉄人の2系統だけを取り上げるとすると、私は鉄人派である。アトムももちろん面白く見たが手塚治虫のヒューマニティ好き、テーマがいつも文明、科学などを含むそのあたり、に子供としては分かりにくさ(子供は理解するものです、分かりにくさとして、本能的に)を感じるのだった。分かりにくさというのは、後から思うと、アニメとしての分かりにくさ、ということだったと思う。なぜ、アニメでそういうストーリーを? 子供に・・・といった感じである。子供なので言葉でそう言えたわけではなく直感的なものだった。手塚治虫がアニメに託して大人の考えをそこに盛り込んでいたのを、本能的に感じていたのかもしれない。その点、鉄人は簡単であった。「いいもん、と、悪いもん」がほぼキッチリと分かれ、その悪いもんと鉄人が戦うわけだ。強い敵が現れると鉄人の腕などがもぎ取られ、見ている者全員で頑張れと言い、それでも一言も発しず戦う鉄人に何とも言えない感動と、ロボットというものに対する悲哀のようなもの(これも子供は理解します)にジンときたりしていたのである。敷島博士のもと、その壊れた腕の修理が悪いもんの次の横暴までに間に合うか、と徹夜で修理作業する人々の姿にまたジンとくるのであった。これ、TVの前、横一線、皆同じ思い。単純なエンターテイメントで迫力があった。今見るとカクカクだけれど。
 
 ディズニーにもいろいろと話は尽きぬ。
 Tarzan、ポパイときて話がそれた。
                                            

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 年賀状・当たりくじのこと・... | トップ | 今、近所の麻生川で »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。