原宿へ行ったときにふと見上げた空に飛行船が浮かんでいた。飛行船は小さなプロペラが推進力なので(これは別のものにしても良いのではと以前から思っている)、小さく柔らかな音がする。天気が良かったので即座に撮ったが、電線が邪魔だ。なんとも・・・。電柱埋設化はどうなっているのか。最近は「昭和」もレトロの範ちゅうにくくられるようになってきて、そのうち自分も何か化石のようなものに分類でもされるのだろうか、と思ってしまうのだが、この昭和の風景の象徴というと直ぐにこれが使われる。電柱のある街の風景が・・・。特に下町など。それも夕焼けぞらの・・・。安易だ。夕焼けぞらは今だって同じだ。人それぞれの記憶の中で違うだけだ。これもまた、映像として繰り返し使われるうち、人々の間にいつの間にか定着していくのだろう。何か違うのだけれど・・・。電柱電線は今、映像の中ではそんな扱いだ。
しかし、原宿・表参道でも裏に入ると実際にまだこんな感じなのだ。建築物をフォトに撮るときなどできるだけ電線を除けることが多い。この私のほとんど何も考えていないフォトにしても・・・。美人が歩いてくると無意識にフレームに入れることが多い。何も考えていなくても・・・。
飛行船は、空に浮かんでいるのを見るのはとても良いのだが、「何のためにあるのかな、あのでかい部分」といつも分かっていながら思うのである。でかい部分というのは、あの全体である。それ以外の部分が、人の乗っているあの小さな、下から見るとあるのか無いのか分からない、あの部分である。「ほとんど無駄な部分が浮かんでる」という印象を受けるのだ、いつも。