カッキーYAMA   akihiko tange

手始めに、日常的なことを気の向いたときに載せていくつもり。

函館の駅舎について・建築のこと、街のこと

2011-11-03 | 旅行

 数年前、函館へ行った。鉄道を使った。30年ぶりに降り立った函館の駅は以前とは違って、鉄と金属製の新建材でできた新しいものへと建て替わっていた。一言で言うと、風情が全くない。以前の駅舎は木造であったかどうか、若いころ旅の途中で何回か訪れただけなので明確には覚えていないが、いずれにしろ風情だけはあったように思う。新しいものに風情を求めるのは酷であると言われるならば、デザインが上手いとはとても言えないと言い換えてもいい。年季が入れば何かしら良くなるなどという問題ではない。木造だったから良くて、鉄骨に新建材だから悪いということでは断じてない。どこがやったかは知らないがデザインが、要は下手なのである。駅前にはロータリー的な駅前広場が設けられているが、これもなんだかよく分からない。「駅前広場?、ハイ、設けました」といった感じだ。これから有効に使うところを見せて、あっと言わせるということだろうか。現段階で、この駅前広場に取り付いた建物はあまり良い景観を作り出せてはいない。
 駅舎は、ホールの部分の天井が高く設計され、そこの吹き抜け的なところにブリッジが渡されていた。しかし、その高く設定した天井もブリッジも全く効果が上がっていなくて取って付けたような感じだった。吹き抜けとブリッジをデザインとして設けました、と言えば言葉としてはそれはそうなのだろう。しかし建築は、物である。言葉で言う前にそれが上手く効果的にそうなっているか、それがそうなっているときまったく違和感なく言葉に置き換えられるはずのものだ。言葉を下手なデザインに置き換えただけである。ここを見ただけでデザインのことを、建築のことを知らない人がやったのでは、と疑った。函館と言えば鉄道での北海道への玄関口である。結構重要なポイントになる街のはずなのに、と首を捻りたくなるのだった。かといってそれ以上、やったのがどういう人たちなのかなど調べる気もないのだった。自分の見た印象だけで十分だと思った。たとえそれが名のある人の手になるものであり、それをもってこちらの言っていることが多くの人に否定されたとしても・・・。
 以前blogに函館へ行ったときのことを書いたときに、駅を出て右手の残り少なくなった朝市、レンガ倉庫群、シーサイドのショップ、そこから少し歩いての函館山のあたりのことしか書かなかったのは、そこが懐かしかったり好いなと思ったりしたこともあったし、駅舎や駅前広場の思考停止で開発されたかのような様子を書く気にもならなかったからでもある。駅舎はもう出来上がってしまっていてこれから何かを望むことはできそうもない。駅前広場は何かうまく使われると好いなと願うばかりだ。

 函館は、つまらぬ駅の建物だ。
  もう無理だとは思うが、できればすぐにでも作り直した方が良い。





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