二代目の格言88

2019-04-24 07:07:29 | 二代目の格言

電話を掛ける人は用があって掛けるが
電話に出る人にとってその用は不必要だったりする

この時期多くなる勧誘の電話がまさにそれかな

ただ、この逆の場合もある
こちらには用があっても
相手にとっては時間の無駄と思えるような内容だったり....


自分の都合は諌めるように!

っと解いてみました

 

それにしてもやはり気になるのが
最後に出てくる

「声はすれども 姿は見えず ほんに.....」

 

調べてみた

江戸初期の「山家鳥中歌 和泉の項」という歌に
『声はすれども姿は見えぬ 君は深山(みやま)のきりぎりす』
という一節があるらしい

静寂の中に”きりぎりす”の声だけが耳に入る 
そんな風情をうたっているようだ


ところがその歌がいずれ

山中で姿を見せないで鳴く閻魔コオロギに
男を待つ女の切なさを擬した歌に変化し
(”きりぎりす”は”コオロギ”の古称らしい)

吉原の遊女が歌えば

”噂にあなたの名前はよく聞くけど
 ちっとも訪ねて来てくれないのね”

という解釈で歌われるようになり

それを又、講談師や落語家さんが

「声はすれども姿は見えぬ
ほんにお前は屁のような」

っと洒落るのである....

 

 

あ~ こっちの勉強がもっとしたい

 

 

 


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