音信

小池純代の手帖から

雑談15

2021-08-12 | 雑談

北杜夫『幽霊』に、主人公の「ぼく」が蛾を殺す場面がある。
「少女にもなりきらない年齢の姉」が病臥する部屋を出て、
裏庭のミズキの幹に卵をうみつけている蛾を見つける。

 やがてぼくは臆病な手つきで蛾を地面にはらいおとし、
 ちからをこめて下駄で踏みにじってしまった。黄いろい
 汁が白い腹を汚し、そのうえを泥土が汚した。蛾の形が
 すっかりなくなってしまうと、ぼくはようやく安堵した
 ような気になった。
  とにかく、それから半日とたたないうちに、姉が死ん
 でいったのは事実である。(*ルビ略)
                北杜夫『幽霊』第二章


作中、「姉」の死以前に「父」が東北の辺鄙な町で病死し、
出奔したとされている「母」がおそらく亡くなっている。
さまざまな「死」への意識が幼少期の「ぼく」に去来するなか、
産卵中の蛾を殺す場面。

『幽霊』もそうだが、『赤光』にも「死」が頻出する。
『赤光』初版の巻頭「悲報来」では、伊藤左千夫の訃報を受けて
茂吉は夜道をひた走る。(その際、飛ぶ蛍を手で殺している)。
左千夫の死を皮切りに、受け持っていた患者の死は一再ならず、
「母」の死、目をかけていた「おくに」の死、正岡子規の十周忌、
夭折した「堀内卓」。

北杜夫『青年茂吉「赤光」「あらたま」時代』によると、筆者は、
父・茂吉の歌によって文学への目を開かされ、『赤光』『あらたま』の
歌を大学ノートにびっしり筆写した、という。
筆写によって転写されるものは文字や情報だけではないだろう。

  

なお、この本に「ゴオガンの自画像見れば」の一首への
筆者自身による解説、鑑賞は見つからない。




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