会津天王寺通信

ジャンルにこだわらず、僧侶として日々感じたことを綴ってみます。

伝教大師最澄と道忠教団   柴田聖寛

2019-07-03 20:27:11 | 天台宗

 私は2011年の震災前から法相宗の僧徳一について色々と調べるようになりましたが、そこで最澄に支援の手を差し伸べた道忠教団に関心を抱くようになりました。とくに参考になったのは、田村晃裕先生編の『最澄辞典』です。

 道忠(735~800)は徳一と同じ時代の律宗の僧です。最澄との関係でよく知られているのは、経論2000余巻を助写したことです。東大寺で受戒した後、比叡山で修行していた、31歳の若き日の最澄の要請に応えたのでした。これが縁となって、道忠門下が次々と最澄の弟子となり、第二代天台座主円澄、第三代天台座主円仁、第三代天台座主安慧と、続けて三代にわたって道忠系から天台座主が出たのです。

 道忠は『元亨釈書』では「鑑真につかえて戒学をうく、真、持戒第一と称す」と書かれています。鑑真の「持戒第一」の弟子となることができたのは、中国語を話せたからではないかと思います。

 最澄は還学生(げんがくしょう・直ちに帰国すべき学生)でした。中国の天台山で天台の法門を学びましたが、滞在期間が限られていたために、密教を完全にマスターすることはできませんでした。通訳として義真が同行したことからも、言葉の壁があったのは確かです。

 道忠系の円仁は、通訳を伴っていないにもかかわらず、中国では胎蔵経、金剛経、蘇悉地経の三部大法をマスターし、比叡山に新しい密教の法門を伝えたのです。道忠から中国語を教わっていたために、自由に中国語を使いこなせたからだと思います。

 道忠ゆかりの寺としては、下野の大慈院が有名ですが、道忠教団の勢力範囲は埼玉、群馬県にも及び、会津を拠点とする徳一の教団と競い合っていたのでした。

 来月あたりから、道忠の足跡を訪ねて、関東のお寺様をお参りしたいと考えています。ブログでも紹介しますので、何卒よろしくお願いいたします。

 

                      合掌


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