エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

人間は、内在的にバラバラになりやすいもの

2015-07-23 09:07:59 | アイデンティティの根源

 

 ルターは「人生は終わった」という魔坂の中で、「天にも昇る感動、悦び」を味わったのでした。

 Young Man Luther 『青年ルター』p214の9行目途中から。

 

 

 

 

 

人生の縦糸と横糸の二律背反がこんがらがるのは、このように、人間がもともと2つにバラバラになりやすいところに見出せます。The two regna、すなわち、「二王国説」は、神の恵みという現実面と、ケダモノのような自然主義的側面がありますが、これは、人間の心の葛藤のことですし、同時に実存的な二律背反のことでもあります。Die zwo Prosonen oder zweierlei ampt 「(ドイツ語で)2つの人格、あるいは、2様の働き」とは、キリスト者がこの世で守らなければならない、2つの人格と、2つの天職になります。

 

 

 

 

 

 人間は、本来バラバラになりやすいものらしい。ルターはそれを「二王国説」によって、認めてしまいました。「神の領域」(あの世)と「王の領域」(この世)です。それは、ルターが人の弱さをよくよく知っている証拠なんですけれども、これは危険な考え方でしたね。

 それはナチスの時代に明確になりました。バルトやボンヘッファーは、この「二王国説」に反対し、この世の課題にも、神様が深く関わることを認めて、政治的課題にも深く献身したわけですね。

 

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賢者の《叡智》はどこですか?

2015-07-23 08:08:43 | エリクソンの発達臨床心理

 私どもも、integrity 「試練に何度も出くわしたけれども、“人生上手く出来てるなぁ” という感じ」を持ちたいものですね。

 The life cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』、p61の後半の第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 

 私どもは、人生千秋楽の二律背反を理解しようとする前に、よく考えてみる方が良いのは、あらゆる発達には歴史的相対性がある、ということと、特に、あらゆる発達理論には歴史的相対性がある、ということでしょう。たとえば、人生千秋楽の舞台。私どもがこれを定式化したのは、私どもが「人生の半ば」を迎えた頃でしたね。それは、私どもが実際に中年になっているとは、思ってもみなかった(あるいは、そう考えることができる想像力もない)頃のことであるのは、確かな話です。これは、ほんの2・30年前のことですよ。でもね、人生千秋楽の一番強いイメージは、全く違ってました。「年寄り」という言葉に、男でも、女でも、数少ない賢者を想像できましたからね。そういう賢者は、その人らの千秋楽の舞台に相応しい割り当てまで、心静かに生き残り、長生きは、限られた者にだけ与えられた天与の恵みだし、特別な責務であると思われた文化の中において、尊厳をもって死んでいく死に方を知ってるものでした。

 

 

 

 

 

 「年寄り」と言ったら、賢者、物知り、と思われた時代がありましたね。年寄りの数が実際に今よりもはるかに少数であった時代でした。今は?「年寄り」と言われることそのものが少なくなりました。その代わり《高齢者》と呼ばれることが増えるにつれて、《高齢者》の数もたくさんになりましたね。すると、賢者、物知りという意味は衰え、社会的な弱者、すなわち、社会に知恵をもたらすよりも、負担をもたらす存在と見なされる場合が増えてきましたね。

 賢者の《叡智》はどこですか?

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息の話

2015-07-23 03:13:19 | エリクソンの発達臨床心理

 

 今晩は、「息」を考えます。

 1)息は、命そのものです。

 命があることを「息がある」と言います。反対に、死んでいることを、「もう息をしてない」とも言いますね。息は命そのものだと言えるでしょう。また、命がある証拠が息だ、と言えます。

 2)息は、心の状態を表わす。

 「息」という漢字の語源を調べますとね、「心の状態が気息にあらわれる意である」(白川静『字統』p554)と出てきます。落ち着いているときには、息がゆっくりと深くなりますが、怒りの時は、息が早く浅くなりますよね。落ち着きたいとき、あるいは、リラックスしたいときには、意識的に「深呼吸して」などと言われる場合もあるくらいでしょ。

 3)息は、平和を表わします。

 「怒りの時は、息が浅く早くなります」と申し上げましたでしょ。逆にその息を意識して、「そうだ、今は怒っているから、その怒りを鎮めよう」とすることもできます。ティク・ナット・ハーンさんによれば、そうやって、自分で「怒りの面倒を看るようにすることは、平和の行動になります」と言いますね。私どもが犯しやすい過ちは、その怒りを意識しないままに、御他人様や物にその怒りをぶちまけてしまうことではないですか? そしたら、御他人様とは喧嘩になるでしょうし、物でしたら、破れるか壊れるか、するでしょ。戦争は、その拡大版でしかありません。NHKの7時のニュースで、中国がガス田開発を進めている写真を見せられれば、毎日の生活の中で「怒りの面倒」をあまり看ていない私どもは、知らず知らずのうちに、自分の怒りを中国にぶつけることにもなりかねませんね。そして、「戦争法案」に賛成するように誘導されかねませんでしょ。ですから、日々の中で、自分の息が早くなったら、意識的に呼吸をゆっくりと、深くすることをすれば、「怒りの面倒」を見ることになりますし、「平和の行動」にもなりますよね。

 4)息は、生きる力になります。

 息はギリシア語では、プネウマ πνευμα と言います。プネウマはもともと「動いている空気」のことですから、「風」という意味にも「息」という意味にもなります(織田昭『新約聖書ギリシア語小辞典』p473-474)。そして、この息は動いているので、「生きるエネルギー」になるんですね。

 これを「火の息吹」「火と混じった息吹」と言ったのが、シモーヌ・ヴェーユでしたね(シモーヌ・ヴェーユ『根をもつこと』春秋社版,p.334)。シモーヌ・ヴェーユによれば、この意味での息は、善をなそうとするエネルギーであり、人を大事にするエネルギーにもなります。

 このように考えてきますとね、自分の息を意識することが大事になりますね。それは平和の行動ともなるからですし、善や人を大事にすることにも繋がっているからですね。そして、息は自分の命そのものですから、その息を意識することは、まさに自分の命、「ありのままの自分」を大事にすることになるからなんですね。

 きょう、あなたも自分の息を意識して、「ありのままの自分」を大事にしてくださいね。

 

 

 

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