エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

悪から生まれる、善なる力

2015-07-13 18:14:01 | アイデンティティの根源

 

 自分が苦しいと思うことから逃げ出したい、と思うのが人情ですね。でもね、逃げないことです。

 Young Man Luther 『青年ルター』p211の、下から6行目途中から。

 

 

 

 

 

ルターが、それはそれは、死に物狂いになって、長い間、反抗し、克服しようとしてきたものを、ルターは神様の恵みとして受け入れました。それは、完全に見捨てられた感じでした。sicut jam damnatus 「あたかも、いま、追放されたような」感じは、まるで、すでに地獄にいるかのよう、ということでした。最悪の誘惑は、何かの誘惑に合うことではない、とルターは言う訳ですね。神様が一番怒っているのは、神様が全く怒っていないように見える時だ、とハッキリ分かるでしょ。ルターは、良い意味での熱心な信者すべてに警告します。その熱心な信者は、「自分ができることをするように」と人を励ましますし、気の効いた計画を立てて罪を侵さないようにしますし、いろんな礼拝を守ることで救いを忘れませんし、収入の限界まで献金することも忘れなませんし、自分達は「ありのまま」で、謙遜で平安だと感じます。そんなものの代わりに、ルターは、上司たちがルターの悪徳と見なしたものから、力を得たのでした。

 

 

 

 

 

 熱心な信者たちは、教会生活を真面目に、熱心にやっていたわけですね。今もそうですよね。神様は、しかし、怒っていないように見える時に、一番怒っているんでしたね。熱心な信者たちが、真面目に教会生活をしているときに、神様は一番怒っている、と、ルターも、エリクソンも、ついでに、私も、言いたげですね。ルターは、当時、悪と言われていることの中から、力を得たと言います。どんな悪から力を得たんでしょ。

 

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直感とガッテン

2015-07-13 07:20:39 | エリクソンの発達臨床心理

 

 今日は直感のお話。

 時々、直感が当たったいたことを、今更ながら、「直感は正しかったんだね」と感じることがあります、けれども、みんさん、そういうことってありませんか? 1度ならず、そう言う経験をされた方が多いんじゃぁないかしらね。

 私もごく最近、そう言う経験をしましたので、そのご報告かたがた、直感について考えたいと、思った訳ですね。

 私は、大学に入ったころからか、歌手のEPOさんの歌が好きだったんですね。竹内まりやさんや山下達郎さんが大好きでしたし、EPOさんも同じレコードレーベルで、まりやさんや達郎さんと一緒に音楽をやっている人だからかなぁ、って、はじめは思っていました。それに、あの爽やかな透き通るような歌声が、自分に元気をプレゼントしてくれる感じでしたからね。ワンゲルで山登りをしながら、EPOさんの曲を何度も口ずさんだ記憶があります。

 それでも、ずっと長い間、EPOさんのコンサートに行ったことはありませんでした。つい先ごろ、EPOさんのコンサートに行くチャンスに恵まれて、行ってきました。それで、ガッテンとなりましたね。EPOさんは、いま、音楽活動の傍ら、セラピストとしての仕事もしていると言うんですね。葉山にセラピーの部屋をお持ちとか。それは、「子どもの頃、自分の話を向き合って聞いてくれる人が、中学の体育の先生しかおらず、自分も人の話を共感して聴ける大人になりたい」とのことでした。EPOさんは、アメリカでNLP(神経言語プログラミング)というセラピーのセラピストの資格を取得したとのことです。家族に境界性人格障害が疑われる人が2人いたと言うんですね。これでガッテンです。私自身まさに「家族に境界性人格障害が疑われる人が2人」いるからなんですね。EPOさんの歌声にかんじていたことは、こういうことだったのか、と「ガッテン」した訳ですね。

 直感と言うと、何か根拠がない「いい加減」と考える人もいるかもしれませんね。でもね、細部に囚われずに、全体を俯瞰してみて、その本質的なところを捕まえる力が、本来の直感だと私は考えます。私はユングのタイプ論で言えば、(人は、「意外ネッ」と言いますけど)内向直感タイプですから、直感に相当程度頼って生きてる訳ですけどね。このタイプでなくても、直感的に理解したことが大事な場合が少なからずあるはずですよ。

 

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スポーツ根性ものとは真逆です。

2015-07-13 05:27:46 | エリクソンの発達臨床心理

 

 ある意味、育ちがうまくいくのは、繰り返し気付きを与えられて、無意識の暴力から解放されていくことだ、とも言えますね。

 The life cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』、p59の第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 ところで、ここで、表2でお示ししたように、ライフサイクルの視点から見た発達のハシゴの上にある、一連の舞台を思い出してみることは役立つかもしれませんね。特に、「始から始めること」を示す代わりに、成人期の最後のレベルの高い心理社会的舞台から議論を始めるつもりですから、その最後に至るハシゴ全体を、ざっと確かめて見ることが大事だと思います。人間力のリストを完成するために、hope「困難があっても、希望を失わないこと」とfidelity「困難があっても、信念に忠実であり続けること」の間に、will「困難があっても、自分の意志を保つこと」,  purpose「困難があっても、『何のためにするのか』を忘れないこと」,competence「困難があっても、やり遂げること」の段階を提案しますし、fidelity「困難があっても、信念に忠実であり続けること」 とcare「低みに立たされている者を大事にすること」の間に、love「助けを必要としている人を見つけ出して、大事にすること」を提案します。care「低みに立たされている者を大事にすること」の後は、wisdom「闇の中に光を見つけ出す叡智」の呼ばれる何某かのものを主張しさえします。

 

 

 

 

 発達危機から得られる倫理的態度は、一言でいえば、困難にめげずにやっていく、という、至極当たり前なことなのかもしれませんね。日本人も好きな態度かもしれません。スポーツ根性ものとも、相通じる部分があるでしょう。

 でも、ちょっと違いもあるんですね。スポーツ根性ものですと、「自分を殺して、自分を出さないで、自分は我慢して…」、「みんなが認める者になろう」と言うニュアンスが濃厚だと思うんですね。しかし、ここでエリクソンが展開している倫理的態度・倫理的強さは、真逆で、「自分を生かすこと」、「内なる声に従って生きること」と、「人の評価は、ひとまず棚上げにしても、自分が納得する者になろう」ということが濃厚です。見た目は似ているようで、心の態度は真逆ですね。

 

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