エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

ソリチュード 光り輝く

2014-08-09 13:32:49 | エリクソンの発達臨床心理


光の続き

2013-08-09 01:50:16 | エリクソンの発達臨床心理

 

 1人静かな時間(とき)の中、声が

 ささやく。 声の温もり

 肌身にしみて、僕の心は

 遊びだす。

 

 1人静かな時間(とき)の中、光

 輝く。 あの輝ける

 東目ざして、僕の心は

 旅に出る。

 

 光の時間(とき)ほど

 僕らを生かしてくれるものは、ない。


 ソリチュード。このブログでも何度も触れてきましたね。

 一年前に作ったこの詩、われながら、うまくできました。

 ソリチュードは、自分が生きていることを肯定してくれる時です。

 それは光の時間(とき)。

 「何のために生まれて 何をしているのか?」に指針をくれる時でもあります。

 それは、自分を、自分たちを肯定してくれる、ヌミノースの時なんですね。

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父なる神 日本社会の特殊性

2014-08-09 11:39:22 | エーリッヒ・フロムの真まこと(の行い)

 

 母なる神は、子どもを掛け値なしに大事にしてくれます。今の日本では、これ以上大事なことはないでしょう。

 p61の5行目から。

 

 

 

 

 

 人間の進化の次の段階は、私どもは徹底的な知識を持つ唯一の段階であり、推定することも、復元することもせずに済む段階なんですが、それは、父なる神の段階です。この段階では、母親は王位を奪われますし、父親が神様になります。これは宗教的な意味でもそうですし、社会的にもそうなんですね。父親が子を思う気持ちの性質は、要求し、方針と法を定めるものですし、息子に対して思う気持ちは、こういった求めに子どもが従順であることを求めるものでもあります。父親は、自分のことを大事にする息子を一番大事にします。そういう息子が最も従順ですし、自分の後継者、自分の財産の相続者として、最もふさわしいからです(この父性的な社会の発展は、私有財産の発達とパラレルです)。結果として、父性的社会は、階級社会ですし、兄弟の間の平等は、競争と競い合いに道を譲ります。インド文化、エジプト文化、ギリシャ文化、あるいは、ユダヤ・キリスト教、イスラム教のいずれを考えても、私どもは父なる世界の中にあります。その父なる世界には、父なる神々がおられて、1つの大事な神の国を治めるか、あるいは、全ての神々が追い出しを食ったけれども、1人の神、唯一神だけが存在します。

 

 

 

 

 父なる神は、人々に様々なことを求めます。掛け値なしで存在を認めてくれる母なる神とは大違いですね。父なる神は、ですから、人々の競争を認めます。私有財産も父なる神が治める社会に成立する、というのも、おもしろいですね。古代文明~現在の社会に至るまで、多くの社会は、父なる神が治める社会です。

 かたや我が日本。そのような父なる神が歴史上一度も治めることがなかった、極めて特殊な社会です。しかも、母なる神が認める掛け値なしの存在肯定の力も弱く、むしろ、激しい競争を認める社会でもあります。二重の特殊性が、日本社会にある、と言えるでしょう。

 でもねこれが分かると、私どもの自己理解が進みますよね。

 

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≪時空の境界線≫が心の中で果たす、驚くほどの役割。イスラエルの隔離壁を見よ!

2014-08-09 05:49:42 | アイデンティティの根源

 

 私どもは、どのようにヴィジョンを再生すればいいのでしょうか?

 p333の第2パラグラフ。

 

 

 

 

 それで、私どもは結論に達します。すなわち、1人の民族がどのような地理的・歴史的場にあっても、その大多数(あるいは、その指導的なお役人)は、たくさんな支配的な時空の特質に頼っても大丈夫だと確信している、ということです。その時空の特質とは、実際は、≪私≫という感じに求めに対応していますが、それは同時に、その時空の特質が、1つの集団の≪私たち≫において、一貫性もある、ということでもあります。その中から、これまで私どもは≪ヌミノース≫という感じに触れてきました。今やそこに、私どもは、≪行動≫、≪1つの場の中心≫を選択するという1つの選択を付け加えます。それは、同時に、時間の≪一貫性≫と、すべてのものについた、強烈な≪境界線≫の印も、付け加えているんですね。この≪境界線≫の概念は、今後、ユダヤの領地の攻撃されやすい境界線に近い地域と、ヤーウェと言う名の神の世界の、ハッキリとしていて、しかも、全てを包み込む範囲とを比べるのに、なくてもならないものになるでしょう。もちろん、この≪境界線≫の概念は、≪私≫という感じに対しても、≪私たち≫という感じに対しても、衝撃になりうることに触れる際にも、なくてはならないものになるでしょう。1つの集団の時空を描く際に、私どもが強調しなくちゃならない形とは、その時空の特質すべてを高めもし、逆に、時空の特質を、死んでる状態、端っこの状態、行き当たりばったりの状態などにする恐れを抱かせもする、そんな形なんですね

 

 

 

 

 

 時空が示す境界線。時間の一区切り、国境線、ユダヤとパレスチナを分ける、あの高い壁…。それらが、人間の心に及ぼす影響がいかに大きいのか、それをエリクソンがハッキリ教えてくれているところですね。

 一例をあげれば、イスラエルによるガザの空爆や地上戦。これは、ユダヤとパレスチナを分ける、あの高い壁と、今の圧倒的で悲惨な暴力の無力との関係。これが、密接に関係していることに思い至るとき、エリクソンの主張の正確さを、不幸なことながら、証明することになっています。

 

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