エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

「人類を上下2つに分けるウソ」と 理不尽な人権破壊(不正)

2014-08-07 12:15:16 | エリクソンの発達臨床心理

 


望みがあるヴィジョン <生きていく方向(オリエンテーション)>と声

2013-08-07 01:37:44 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

  ヴィジョンは、日常生活の具体的なことにも、人々をやり取りの中でまとめ上げる物の見方と価値にも妥当する、整えられた事実に基づく、と言うエリクソンの主張も極めて重要です。日常生活の儀式化にはヴィジョンが必要だからです。また、その「整えられた事実」と言う時、いったいどうやって人は事実を整えるのか?という課題もありますね。


 ヴィジョン。いろんなヴィジョンがあるのだろうと思います。民主主義のヴィジョン、社会主義のヴィジョン。≪神の支配≫のヴィジョン…。

 エリクソンが挙げる代表的なヴィジョンは2つ。1つは「人類を上下2つに分けるウソ」。もう1つが、「人類は1つ」

 「人類を上下2つに分けるウソ」。これを信じ込んで込んでいますと、その人たちの組織では必ず「いじめ」が起こります。なぜなら、「人類を上下2つに分けるウソ」では、「下」の者、自分より立場の弱い者には、いじめる、エバる、嘲笑う、そして、「上」の者、自分より立場が強い者には、媚びる、取り入る、おべっかを使う、がことの常だからです。

 こういう組織、こういう社会は、今の日本のように、民主主義が滞ります。平気で理不尽な形で、人間らしい暮らしの破壊を、不正を、権力がしでかします。福島原発が今も継時的に放射能漏れを起こし、死の灰を撒き散らし、人間の暮らしを壊し続けていることを見れば、日本の権力、お役所仕事が、人間を平気で殺していることが分かるでしょう。

 この状況を、一歩でも改善するためには、「一つの人類」、「すべて国民は 個人として尊重される」、「みんな違って、みんないい」などの、新しい規範に従った生き方が是非とも必要です。

 

 

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神様の発達段階

2014-08-07 10:46:35 | エーリッヒ・フロムの真まこと(の行い)

 

 アニミズムだと原始人と馬鹿にする向きもあるかも。しかし、アニミズムにだって、ヴィジョンや社会秩序もしっかりあります。それに比べたら、日本住む現代人は、ヴィジョンは無くしていますし、社会秩序を支える制度も今や滅茶苦茶です。どっちが原始人か分かりませんね。 

 p59下から2行目途中から。

 

 

 

 

 

発達の後半の舞台では、人間的な技術が、芸術職人とか芸術家とかの段階まで来る時、つまり、自然の恵み、たとえば、人が見つけた果実とか、人が殺した動物だとか、に排他的にはもう頼らない時、人は、自分の手になる製品を1人の神に変えますね。これは、土くれや銀や金からできた偶像を拝む偶像崇拝の舞台です。人は自分が作ったものに自分自身の力や技術を表現します。このようにして、混乱した形で自分の勇気と持ち物を拝みます。さらに後半の舞台では、人は神に人間の形を与えます。このようなことが起こるのは、人が自分自身にさらに気づく時だけでしょう。その時には、人は自分がこの世で最も高貴で最も深い尊厳がある存在だと気付きます。人間の形をした神を拝む神礼拝の舞台では、2つの次元の発達があることに気付きます。1つ次元では、その神々の女性性、あるいは、男性性に触れます。もう1つ次元では、人間が成熟した範囲に触れるか、その人の神の性質とその人が大事に思う神々の性質を決定する成熟の範囲に触れます。

 

 

 

 神様にも、人間同様に、発達段階があるんですね。フロムはこの後、どんな展開をしてくれるのか、楽しみですね。

 

 

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歴史の中の時空と、心の中の時空

2014-08-07 05:10:52 | アイデンティティの根源

 

 イエスとその弟子たちは、ユダヤ後では、危ない外国人と見なされがちだったことが分かります。

 p332の第2パラグラフ。

 

 

 

 

 

 私どもが、「ディアスボラ、四散の民」という独特な時空の心構え、それは民族が存在するという意味では、誠に曖昧模糊としていますが、これを調べようとするときには、アメリカ史の中での「フロンティア、辺境」という、極めて重要な事実を短くても考え直しておいた方が良い。フロンティアは、徐々に、西に、北に、移動して、太平洋まで行きついた、それでも、フロンティアが姿を見せるのは、たくさんな人生の計画であったり、冒険であったり、もちろん、思い出の中だったりします。言うまでもありませんが、日常的に口に上る話題です。ちなみに、移民という形も見逃さないでくださいね。移民という形は、長らく(移民は今、イスラエルであるように)、移民をする新参者の熱心さを表します。それはどこから来たのかに、関係ありません。「フロンティア」が重要な役割を演じたのは、「ニューディール政策(新規巻き直し政策)」という暗黙の心構えにおいてでしたし、「ニューフロンティア政策」という隠れたスローガンにおいてでした。同じことは、アメリカ人が持つ戦争に対するイメージに対しても真実(真実だったん)です。アメリカ人が持つ戦争に対するイメージは、軍隊とは外国で戦う遠征部隊であって、敵になるかもしれない者が侵入することは意味しない、と決めてかかっています。運命に対する個人的意味は、それは人と分かち合っている時空に対する心構え次第ですが、それは、あらゆる守りの姿勢に中でも、もっとも単純な態度からできています。たとえば、私にしたことを誰かができるし、人々が私に何かをすれば、私も同じことをその人々にできる、ということです。

 

 

 

 

 

 歴史の中にあった、ディアスボラやフロンティア。それは外的な歴史的事実であると同時に、多くの人の心構えにもなりうる。この視点、目の付け所が実に面白ですね。

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