横浜27団ローバー隊

ローバー隊の現スカウトや近況とOBとの連絡所

母べえ                   小山

2008-02-17 11:33:41 | 投稿

映画「母べえ」を観てきました。昭和の本当に存在した家庭の話です。         末っ子の子供(野上照子:1927年生まれ)が「父へのレクイエム」という題で書いた本を映画にしたものだそうです。

ストーリーは、戦時中、父親が思想犯で入獄している間、 2人の姉妹をかかえて励ましあってくらす母(吉永小百合)の子の姿を描いていきます。

投獄されている主人のことで、警察が母べえ(吉永小百合)に              「ご主人に転向させてみないかい?」と諭したり、                      母(吉永小百合)の父親で広島の県警の所長も                       「あんな思想犯のだんなと別れろ!別れなければ勘当だ!」と迫ったりするのだが、 母べえは、いつも「お断りします。」「勘当されてもいいです。」と言って主人の帰りを待っている。

強くて愛情いっぱいの昭和初期の母親の姿が感動的でした。でも戦争は、人も心も自然もすべて減退、消失させてゆく最悪のできごとですね。


人生と社会の基本は労働者                  小山

2008-02-17 11:03:25 | 投稿

今年は、「蟹工船」を書いた小林多喜二の没後75年にあたると先日の朝刊にあった。

小林はプロレタリア文学の代表的な作家で社会の教科書にも紹介されている有名な作家だ。プロレタリア文学自体が労働者のための文学だけに、一般の人たちはあまり関心なく、しかも苦痛の叫び声に興味をそそられる人もいないので、マイナーな文学になっている。ここらがアメリカと違う。

スタインベックが書いた「怒りの葡萄」は、大ベストセラーになって歌や映画や演劇に、そして政治にも影響を与えた。民主主義の歴史の差なんだろう。多喜二は思想犯にて連行され、「母べえ」のお父さんのように獄中死するわけだが、自ら乗り込んだ蟹工船の実態のルポが小説になったようなもので、何も政治批判していたわけではなかったのだが、時代が悪かった。ただしいつの時代に生きていても主張する人は変わらない。きっと今も生きていたら、また労働者や圧力をかけられている人々の側にたってルポするのだろう。

働いている人がいて社会があるのだから、いつの世でも働いている人を中心に、そして大切にしてもらいたいものだ。


映画「陰日向に咲く」               小山

2008-02-07 19:52:05 | 投稿

先日、映画「陰日向に咲く」を見てきて、V6の岡田君のファンになりました。       私に似て短足ですが、私に似ないイケメンでした。                      内容はというと、やや浪速節調のストーリーでしたが、演出家:劇団一人の特色出てて 結果、おもしろかったです。

 黄色いパラソルが監督の演出でなく、劇団一人のアイディアだったら、 こりゃすごい!と感じましたが、本を読むと出てこないんで当たり前ですが、やはり監督の演出でした。画面を通過する黄色のパラソルが、我々の脳裏に余韻を与えます。黄色って子供が一番好きな色だそうで、実は子供が集まって来てほしいので私の職場も黄色を多く使っているのです。

この黄色のパラソルを見て、白黒映画「シンドラーのリスト」の中の真っ赤なバラを連想してしまいました。映画を見終わって時間が経っても、このパラソルやバラが網膜にライトの残像のようにちかちかと点滅する。

表ではないような社会というより、浮かばれない、どうしようもないやるせなさみたいなものを表現しようとしたのかな?劇団ひとりも同じ境遇にいたことは事実だろう。なんかでも弱い人やさびしい人にスポットライトを当てている映像や本なんかを見るとついほっとする。

公園で寝泊りするホームレスのおじさんは、大ほら吹き男の役だったけど、脳の研究の本を読むと、私たち人間は記憶の大半を表現しようと言葉に出そうとすると、そのほとんどがあいまいで事実無根な話しばかりだそうだ。もちろん、記憶も目で捉えた映像もすべてあいまいだからこそ、毎日めくるめくる異なる天候や場所や人に対応できるのであって、600万画素の映像やロボットのような記憶を備えていたら、生きては行けぬだろうと研究者は説明する。

人生を長く歩むほど、こんな映画ほど余韻が残るようだ。


幸福度

2008-01-28 15:38:38 | 投稿

フランスの哲学誌に掲載された幸福度の比較から。幸福を数値化したらどうなるか?という興味深い記事。

まず幸福とは、理性と知性をあわせもった生活をとおして思索に没頭できることと唱えたアリストテレス的幸福度を数値化すると、1位は安全で教育熱心で軍事費も少ないデンマーク。コロンビアが最低。日本は真ん中。

庭園を耕して節度ある生活をすることがすべてと唱えるエピクロス的幸福度では、オランダが1位だが、食生活に節度があり平和な日本はかなりの上位。またもコロンビアが最低。

そして最後に人の心を惑わすのは出来事ではなくて出来事に対する判断そのものであり、試練に耐えることが大事と唱えるストア的幸福度では、逆にコロンビアが1位。この国は一年中不安定な争いが続いている中で、常に前向きな国民を評価するからだという。

日本は平均寿命が長いのに国民の生活満足度が低いから最下位に近い低ランクらしい。やはりストイックな考えは、いつの時代でも必要なのだろうか?


相模原市駅伝競走大会      吉川 純

2008-01-20 21:39:03 | 投稿
 今日、毎年恒例の相模原市の駅伝に出場しました。2区で2.8km11分52秒でした。区間順位は、聞かないでください。「教走会」という市内の有志のチームです。ちなみに、写真は「原万里子(現在久原)」=同僚で、世界的に有名な選手(高橋尚子にも勝ったことがある!!)さんのブログでどうぞ!!

 そういえば、昔シニア(現在のベンチャー)でこの時季、トライアスロンをやったっけ・・・。自転車で走り回り、清掃工場近くの温水プールで泳ぎ、大池公園でランニング。私は当然、自宅から=自転車の往復+40km、スカウトと競っていましたね、小山隊長のキャンプで自転車みたいです。20年以上前の話。離島遠征もこの頃から・・・。

地球の行く末            小山

2008-01-15 14:51:12 | 投稿

今、「アース」という映画が封切されており、これは様々な地球上の生き物や自然界を捉えたすばらしい映像シーンだった「ディープブルー」の続編らしい。見に行きたいと思ってます。

ところで「不都合な真実」を観ましたか?今すぐにでも何かをしなければならないとあせってしまいませんか?私も昨年DVDで観て、地球と今の子供たちの将来を案じました。この映画でのゴア元副大統領のたくさんの警鐘を我々の今の立場でどうしたら良いのだろうか?この問題ほど一人一人が考えなければならないし、それぞれのライフスタイルの改善の早急な努力が必要だ。

単一製品を大量に生産する資本主義社会の経済のおかげで、 私たちは一年中快適な生活をすることができるようになった。BS活動でのテント生活を柱を建てた家屋の中で続けるようなものだった。しかも長い歴史の人類生活の過程でもやっとこの1950年代になってから、電気や家庭電器製品のおかげで衣食住の基礎が固まった。その恩恵の反動あるいは反面教師が自然界で生まれ、それを人類が敵に回したんだね。いつか宇宙人が地球をせめてきて地球を滅ぼすかもしれないという恐怖は消えてはいないのかもしれないが、宇宙人が攻めてきたときには地球は全滅しているのかもしれない。

私はこの英語のタイトルから、対策の一つがあるなと感じました。             ‘AN INCONVENIENT TRUTH’というからには、コンビニエンスストアは都合のいい店となる。もちろん本当の意味は違うのだけれど、今私たちは自分にとって都合のいい物や行動をできるだけ遠慮して違う形を模索することが大切なんだろうね。

観ていない人は必ず見てください!                         


こんな人知ってる?   小山

2008-01-15 14:05:09 | 投稿

今日は、レオナルドダヴィンチの書いたあのモナリザのモデルがようやく確定したとニュースで聞いた。予想どおりではあった。ところでみんなは、アルベルティという人を知ってますか?世界中で、ダヴィンチのことは有名ですが、実はイタリアルネッサンス時代を語るのにダヴィンチに影響を与えたもう一人の天才万能人が、このアルベルティという人なんです。私も偶然に昨年この人の存在を知って、実は天才がたくさんいるんだなと痛感しました。ダヴィンチの幸運さは、モナリザの存在でしょう。

ダヴィンチと同じ天才だけど、アルベルティは真面目な人のようです。ダヴィンチは、同姓愛好者だったり、多方面でいたずらを続けた、茶目っ気のあった変人と扱われていましたね。

レオン・バッティスタ・アルベルティ1404年2月14日 - 1472年4月25

 初期ルネサンスの人文主義者、建築理論家、建築家である。専攻分野は法学、古典学、数学、劇作、詩作であり、また絵画、彫刻については実作だけでなく理論の構築にも寄与する。音楽と運動競技にも秀で、両足を揃えた状態で人を飛び越したと伝えられる。

彼は多方面に才能を発揮し、ルネサンス期に理想とされた「万能の人」の最初の典型と言われた天才。確実に彼に帰属するとされる絵画、彫刻は現在のところ伝わっておらず、建築作品についても少数ではあるが、芸術理論は様々な分野で後世に影響を与えた。


カタルシス        小山

2008-01-15 09:22:55 | 投稿

朝青龍が稀勢の里に負けた解説で、これから‘カタルシス’が増えますねと語っていたので、思わず‘語る指数?’なんて思いながらネットの辞書を調べた。

【どういう意味?】「精神の浄化作用」のことです。

【もう少し詳しく教えて】カタルシスという言葉は、「心の中に溜まっていた澱(おり)のような感情が解放され、気持ちが浄化されること」を意味します。もともとは、アリストテレスが『詩学』に書き残した悲劇論から、「悲劇が観客の心に怖れと憐れみを呼び起こし感情を浄化する効果」をさす演劇学用語です。転じて、精神医療においては「抑圧されていた心理を意識化させ、鬱積(うっせき)した感情を除去することで症状を改善しようとする精神療法」をさします。さらに、一般化して、「心の中にあるわだかまりが何かのきっかけで一気に解消すること」をいいます。

【どんな時に登場する言葉?】哲学思想分野で用いられます。演劇学概論では、最初にならう専門用語のひとつです。ということからもわかるように、演劇・映画をはじめとするパフォーマンスや文芸関係に頻出します。例えば、「仮構の世界に陶酔することよってカタルシスをおこなう」とか、「アリストテレスが悲劇の効用として論じたカタルシス」といった表現は珍しくありません。 心理学・精神医学・カウンセリングなどでも登場します。「サイコドラマにおけるカタルシス」「カタルシスの必要性」といった言い方がされます。 また、俗に「苦痛を吐き出して解消すること」程度の意味で、個人的独白を綴った個人ページのタイトルなどにも見受けられます。

【どんな経緯でこの語を使うように?】 アリストテレスは『詩学』で、悲劇の効用としてカタルシス論を展開しましたが、「カタルシス」が意味するものを『詩学』の中で明確に定義していません。語源的には「カタルシス」は「排泄(はいせつ)」「浄化(作用)」を意味し、「体内の有害物質を瀉出(しゃしゅつ)すること」または「宗教的な浄め」をさすことから、学術研究領域では定義をめぐって、「瀉出(排泄)説」、「教化説」などさまざまな説が展開されています。 精神科医のS=F=フロイト(1856-1939)が、催眠療法と「悲惨な話を聞いて泣くこと」をあわせて用いて行なったヒステリー治療法における除反応を「カタルシス」と呼んだことから、精神療法の用語となりました。 日本では、演劇活動を展開した島村抱月(1871-1918)が、『囚われたる文芸』の中で「其の浄化(カタルシス)の説」と書いています。精神療法が日本に入ってくると、その意味でも用いられるようになります。

 【カタルシスの使い方を実例で教えて!】アリストテレスのカタルシス論 アリストテレスは『詩学』で、作品としてまとまりがあり、演技者の再現代行行為によって、観る人が「あわれみ(エレオス)とおそれ(ポボス)を通じて、そのような感情の浄化(カタルシス)を達成するものである」(1449b)と、悲劇を定義しています。 カタルシスを○○する 「言語化によるカタルシスを体験する」「観客をカタルシスへ誘う」「カタルシスを喚起する」「カタルシスを味わう」という使い方をします。 「カタルシス」 CDや本の題名に用いられています。松本英子のアルバム「カタルシス」、桑沢アツオの漫画『鉄拳のカタルシス』など。また、村上龍は『奇跡的なカタルシス―フィジカル・インテンシティ』の中で、サッカーのカタルシスは爆発的で宗教的ですらある、という中田英寿選手の言葉を伝えています。


チビ 小山

2008-01-14 17:29:36 | 投稿

千葉の流通経済大学付属柏高校がサッカー日本一になった。                 得点王に輝いた大前選手は身長166センチ。とても小柄だが、シュートはもちろん、ドリブルもうまい。玉への終着心もすごい。今が楽しみだ。Jリーグの清水エスパレスに入団が決定している。因みにあいての藤枝東校のエースも163センチ。こちらは、慶応大の法学部に推薦入学するとのこと。

マラドーナも小さかったが166センチ。南米の選手の中ではとても小さかった。

映画バックトュザフィーチャーの主人公だったマイケルフォックスは、あの大きなアメリカ人の中でたった163センチでハリウッドスターだったんだからすごい!

私みたいにチビにとって、とてもうれしいことだ。長身は良い。顔もちっちゃくてもてる。でかいからよく目立つ。アピールという点でもとても有利だ。

でも内村鑑三いはく、不利な環境にあることが幸運だと言っている。不利だからこそ闘志がわき、負けん気が出て、そういうものが人生には不可欠だと言っている。

皆さん、不利な環境や逆境を経験した者こそ、すばらしい人生が待っているのですよ。


富士山                小山

2008-01-13 11:04:29 | 投稿

1月3日河口湖へ行った時の早朝の富士山を撮影したのでアップします。やはりこの姿を見ると心もしゃんとするものだ。

河口湖駅そばのカチカチ山にも登って270度のパノラマ展望を満喫した。ここはどんな小さな子供もケーブルカーで行ける楽しい空間であり、かちかち山の童話にも触れて愉快な小山だ。

忍野に行って名水に選ばれている池を眺め、湧き水に触れ、池底の植物の揺られる姿を見て、その悠々たるリズムに見とれていたが、いいお正月の時をすごしたと感じた。

帰途の道すがら、私の大好きな、そして富士山を撮らせたら右に出る者なしといわれた岡田紅葉の写真館に寄ってきた。この方が撮った富士山の姿を皆さんは、どこかで必ず出会っているはずだ。館内で富士山を20万枚撮影したと知り驚愕したし、関東大震災の画像記録のほとんどを紅葉が写していたと知り、やはりねえとも感じた。

紅葉の富士山には人間の心というものが含まれているようだ。このブログにアップした富士山の姿には爽快な姿はあっても人間の存在は微塵にも感じないだろう。不思議だ。富士山を収める空間にどうして人間を感じるのだろう?

一方、私は土門拳も好きだ。彼がまとめた有名人の写真集をうちの子供たちに見せて何百回も笑ってきたが、私は、ことのほか彼の風景写真は格別に好きだ。紅葉の写真を眺めて行った時、‘あ、土門拳は彼から影響を受けたな’と感じた。

紅葉や土門拳の画像には、何か中心の被写体とはべつの意図やメタフォーを感じる。そしてそれが何かは分からないが、穏やかな心の安堵を伝えてくれるし、一方で自然や寺社の存在している意味と主張をおぼろげに受け取る。ストレートに伝える現代のメディアの中だからこそ、存在感がひとしおだ。