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20100831 大人の社会科見学 vol.8@防衛省市ケ谷地区見学(市ケ谷台ツアー)

今日は、防衛省の見学です。


見学ツアーは、午前・午後の各1回あり、
私が今回参加したのは9:30に始まる午前のツアー。
受付は、9:10からなので、時間に間に合うように、
集合場所の正門面会受付所でツアー受付を待ちます。
時間になるとツアーガイドの人達がやって来て、
ツアーの受付です。
てっきり面会所の中で受付をするのかと思いきや、
外のカープールで受付でした:-p
今日は晴れていましたが、雨の時は、どうするんでしょうね?
恐らく、自衛隊お得意のテントを設営するのだと思いますが。

受付を済まして手渡されるのは、立入証。
こちらは表。


そして、こちらが裏です。


見学で最初に向かうのは、そのA棟前の儀仗広場。
ここで、敷地内のA棟・B棟・C棟の説明を受けます。
大臣・副大臣・政務官の執務室は、A棟にあるそうです。
で、このA棟前の儀仗広場は、国家元首などの賓客が来た際に、
栄誉礼などの式典を行うところだそうです。
って言うか、儀仗広場は、D棟前にもあるんですが、
A棟前なのか、D棟前なのかって、賓客の格に依るんですかね?
聞けばよかったな。

で、立入証のオモテ面に
『A棟通過』と言うテプラが貼ってありますが、
市ヶ谷記念館へは、そのままA棟前を通過しても行けるのに、
何故かわざわざ、A棟内を通過していくんですよね~。
これって、わざと?
B棟やC棟の正面に、見せたくない何かがある?
ちなみに、この見学ツアーでは、ほぼ全てのところで、
写真撮影OKなんですが、A棟内部は不可になっています。

で、儀仗広場の次は、市ヶ谷記念館。

これは、当時の防衛庁が六本木から市ヶ谷に移転するまで、
使用されていた旧1号館の、特徴的な主要部分を移築・復元した建物。
移築・復元されたのは、大講堂・旧陸軍大臣室・旧便殿の間です。
なので、それぞれの部屋は正確に復元されていますが、
方向や、建物内での場所は、旧1号館当時とは異なっています。

玄関ホールには、旧1号館の大時計と桜が展示されています。
これらは、元々付いていた、玄関上の塔は復元されていないので、
外されて、玄関ホールでの展示になっています。
こちらが、大時計。

そしてこちらが、桜。

これは、陸上自衛隊になってからのもので、
旧日本陸軍のころは、菊だったそうです。

そしてその玄関ホールには、防衛庁時代の看板もあります。

木製の看板の揮毫は、中曽根康弘元総理だそうです。
って言うか、この人、防衛庁長官もやっているので、
その時に書いたんじゃないかな。

さて、その玄関ホールの直ぐ先が、大講堂。

先にも記したように、移築・復元にあたっては、
元々の方向・場所とは違っているのですが、
まず、復元の際、元々とは、東西方向で180°変わって復元され、
且つ、旧1号館では2階にあったのですが、1階に復元されています。

さて、この大講堂は、極東国際軍事裁判の法廷としても使われたところ。
それに関連する、写真類が展示されています。
この写真は、判事席を撮したものです。


そしてこちらは、全景写真。

写真右が判事席、その正面の写真左が被告席。
写真正面の1階は記者席、そして2階は被告家族・傍聴人席。
この写真は、大講堂の正面ひな壇にあたる(GHQの)
VIP席方向からの写真になると思います。

ここで初めて知ったんですが、森山眞弓元法相って、
この極東国際軍事裁判で翻訳の仕事をしていたんですね。

この写真の正面を向いている人が、ご本人だそうです。

大講堂には、他にも様々な品が展示されています。
極東国際軍事裁判関連では、裁判時に使われたものと
同じ地図があったりします。

これは、ゼンリンからの寄贈らしいです。

その他、戊辰戦争の頃からの軍服類も展示されているのですが、
それはさておき、ここの展示で気になったのは、
栗林中将(って言うか、大将)の手紙類の写。


栗林中将の娘たか子氏の子供、
新藤義孝氏(衆議院議員)から寄託され、
写真で接写したものだそうです。
これは、手紙の類です。


そしてこちらは、本人の写真等。

右端の写真は、よく見る栗林中将の写真だと思います。
って言うか、孫が衆議院議員になっているとはね。

ここは、嘗て陸軍士官学校としても使われていたこともあり、
昭和天皇が何度も行幸したことがあるそうで、
ひな壇には、天皇専用の階段があります。これがそれ。

最初の段の高さが少し高くなっていたり、
上の方の4段は、階段の面が少し下側に反っていて
足がのりやすいようになっていたりと、
いろいろ工夫されています。

1階は、これで終わり、2階へ向かいます。
2階には、旧陸軍大臣室と旧便殿の間が復元されています。

まずは、旧陸軍大臣室。

ここは、その後、陸上自衛隊東部方面総監室としても使われ、
三島由紀夫が起こした三島事件の現場となった部屋です。

ドアには、総監を救出しようとした自衛官に抵抗した際、
三島が付けた傷が残っています。

写真の、白丸の辺りに、その傷があります。

そしてこれは、旧陸軍大臣室に置かれている、
旧大本営陸軍部の看板(左二つの木製)と
旧陸軍士官学校の看板(右端)です。

旧陸軍士官学校は、その後、座間に移転するんですけどね。

で、その旧陸軍大臣室の隣にあるのは、旧便殿の間。

この、旧便殿の間とは、天皇が行幸した際の
休憩所に使われていた部屋だそうです。
この建物のドアは、基本的には内側に開く作りなのだそうですが、
この旧便殿の間だけは別で、外側に開く作りになっています。
内側に開くのは、人を招き入れるという意味からなのだそうですが、
この部屋は、天皇が使う部屋であり人を招き入れると言う事は無い
と言う事で、外側に開く様になっているそうです。

それから、実はこの部屋の壁は、内側に隙間があるのですが、
これは、地下から冷気を通して、夏の暑い時期に天皇が快適に
過ごせるようにした設備だそうです。
窓枠を見ると、空気の噴出し口があり、地下からの冷気は、
その窓枠の噴出し口から出て部屋を冷やしたそうです。
ちなみに、陸上自衛隊時代は、陸上自衛隊幹部学校長室として
使用していたそうです。
って言うか、それって、東部方面総監より、幹部学校長の方が、
良い部屋を使っていたと言う事?

市ヶ谷記念館は以上。厚生棟で、一時休憩です。
厚生棟には、スターバックスとか、サブウェイとかがありました。
スタバでは、自衛隊仕様タンブラーがありました。
って言うか、売っていました。
クリエイト ユア タンブラーに、自衛隊の写真を
入れたものなので、自分でも作れますがね。
また、厚生棟なので、食堂があります。
ですが・・・、ツアー中の食堂の利用は不可でしたorz。
(終わってからも、直ぐ外に出されたので、使えなかったです。)

休憩後は、市ヶ谷記念館から見て敷地のちょうど反対側にあたる
屋外ヘリ展示場方向に向かいます。

こんな姿の女性が、ツアーガイドです。
このほか、広報班の自衛官と事務官?も、
ツアーには同行します。
この日のツアー参加者は私を含めて5名。
対して、ツアーガイド・自衛官・職員含めると、
総勢5名以上居ましたね。
団体が、急遽キャンセルになったということらしいのですが、
それなら、マンツーマンでツアーして欲しかったよ(笑)

屋外ヘリ展示場のあとは、メモリアルゾーンへ。

ここは、殉職者の慰霊の為のゾーン。
慰霊碑の形は富士山を模していて、
その前にある球は、球だと、角が欠ける事が無いので、
「(これ以上、仲間が)欠ける事が無いように」
と言う意味があるそうです。
そして、その球の上は、平和の象徴鳩。
1800柱以上の名簿が、銅板に刻まれて、
慰霊碑に納められているそうです。
その他、様々な記念碑類が、防衛庁の市ヶ谷移転に伴い、
この周辺に移設されています。

最後に。
E棟まえから、正門方向を見下ろしたところ。

防衛省って、こんな高台にあるんですね。
ちなみにこの市ヶ谷台は、
都内では、新宿の箱根山44.6mに次いで、
標高が高い(31.4m)ところだそうです。

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防衛省 市ケ谷地区見学(市ケ谷台ツアー)のご案内 http://www.mod.go.jp/j/publication/events/ichigaya/tour/index.html
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