![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/61/f13150f0483e1ae26ce146c74514be6d.jpg)
さてさて。
いろいろお宝があった中で、ゴマがもっとも感激したのはこちら(ただし色はもっとキレイだった
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/down.gif)
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武田勝頼ファミリーの図
(正式名称は不明。図録高かったから(
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「か、勝頼さまーーーっ!!!」
もう…もう…もう…
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だって、武将の肖像画で子どももいっしょの、ましてや奥さんつきって他にあります?
(あったらゴメンね。こっち方面うといもんで
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しかも、なんかアットホームというか、お互い信頼しあったいい家族っぽいんだな、これが(泣ける~
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武田氏のことになると、どうしても先代の信玄アゲー
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(どうしたんだよ、いきなり熱くなって
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そもそも、オヤジの時代と勝ちゃんの時代では、武田家を取りまく状況がガラッとかわっていたんですっ!
オヤジのころは、あの信長もまだ周囲を敵に囲まれてヒーヒーいってた時代。
「信玄上洛!オレのとこにも来るー
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そのうえ、もうひとりの戦巧者・上杉謙信もほどなくポックリ
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戦国一、二を争う両雄の死で、信タンは周辺の敵を各個撃破する余裕ができたのです。
なので、勝ちゃんのころには、以前とは比べものにならないくらい強大になった織田(&徳川)軍とモロに向きあうハメになっていたわけです。
そして、これは案外盲点かもしれませんが、信玄時代の軍資金だった甲府金山が勝ちゃんのころにはあまり取れなくなってきていたらしく…ダブルパンチっすね。
さらに、武田信玄には成人した男子が七人ほどいましたが、
長男は廃嫡され、二年後に死亡。
次男は盲目。
三男は二十歳で夭折。
四男が勝ちゃんで、諏訪氏(高遠諏訪氏)に養子に出されたため、最初は「諏訪四郎勝頼」と名のっていました。
ちなみに、勝頼の「頼」は諏訪氏の通字で、「勝」は信玄の幼名「勝千代」からもらったものだそうです。
おつぎの五男は他家を継承(=仁科盛信)。
一族・重臣が情け容赦なく勝頼を裏切る中、この異母弟は信長の甲州征伐の際、最後まで抵抗し討死しました
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六男も駿相国境の領主・葛山氏の養子となっていましたが(葛山信貞)、信長の甲州征伐で兄・勝頼が自刃したあと、甲府で自刃。
七男は最初オヤジの命令で仏門に入っていましたが、オヤジの死後、勝ちゃんの命で還俗。
武田氏滅亡後は姉さんの嫁ぎ先(上杉家)を頼って落ち延び、そのまま上杉さん家の家来になりました。
こんなにズラズラならべて何が言いたいのかというと、ようするに、
「こんなに何人も息子がいたのに、あのオヤジは後継者育成をうまくやれなかった!」
ということっすよ
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なにしろ、信玄なきあと勝ちゃんが家督をつぐと、養子先から本家に出戻ってきたことをよく思わない家臣も多く、「勝頼は、勝ちゃんの息子・信勝が大きくなるまでの中継ぎだから、ね?」と言ってなんとなく納得させたという話も伝わっています。
そんなアゥェイ感いっぱいの家中を勝ちゃんは必死でまとめ(古参のジジイばっかで、やりにくかったろうなぁ)、日に日にデカくなる織田に対抗していたんですねぇ
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お疲れさまですぅ
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なのに、最後はみんなに裏切られ……ぅぅ……
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NHK的にはこちら「武田勝頼役・平岳大」
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でもさ、しつこいようだけど、やっぱあのキャスティングはダメだよね。
前にも書いたけど、
武田勝頼 37歳
真田昌幸 36歳
つまりほとんど同年。
ドラマの第1回で、真田パパが、
「うちの城(岩櫃城)にいったん退却して、いっしょに再起を計りましょう!」と言ったのに、勝頼は小山田信茂の岩殿城を選ぶ
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「なんで真田の方に行かなかったんだ?」と思ったけど、小山田は信玄の親戚筋(従甥)でちょっと年上(42、3歳)だったから、いちおう顔を立てなきゃ的な部分もあったのかなぁ……なんて思っちゃいました(ぐすん)
そんな報われないことばっかの勝ちゃんですが、なんと
「勝頼はじつは死んでなかった説=土佐落人伝説」
ちゅーのがあるんですねっ!
それによると、死んだのは勝ちゃんの影武者で(オヤジだけじゃなく、君にもいたんかい
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香宗我部という名でわかるように、ここはかの有名な長宗我部氏の支配地で、元親さんも勝頼たちの素性は承知の上でかくまったとか。
そして勝ちゃんは土佐という新天地でそこそこ活躍し、64歳で亡くなったそうな
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この話が本当だったら、ちょっと救われる……(合掌)
(……すいません、真田丸展なのに勝ちゃんオンリーになってしまい、真田的要素は皆無でございました
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