年齢を重ねると共に不眠症に悩まされることが多くなり、時にお薬に助けてもらったこともありやした。でもね、そんな時に医者が言ったんです。できるだけお薬は飲まない方がって・・。
で、考えましたよ、“よく眠れる音楽(CD)”ってやつに助けてもらおうかと。
最初はね、やっぱアマデウスになりますね。アマデウス・モーツァルト。明るくて、軽やかで癒される感じ。
バッハも試しましたけど、ちょっと僕には合わない。というかクラシックの素人には合わないでしょう。
モーツァルトの楽曲を使ったセラピー集CD(6枚入り)なんちゅうのもありましてね。「認知症の予防」とか「循環器系疾患の予防」とか色々ありましたが、僕の欲しかった「不眠症に効く」というのは無かったです。そんな中一番眠れたのは「アレルギーの予防」に効くというCD。僕には特に困ったアレルギーはないんですが、ま、その予防も出来て不眠も解消してくれるんなら御の字です。
静かなジャズもいいですが、色々試して分かったのは結局好きな音楽を聴くことですね。
自律神経についての本を多く出している或る医師はハードロックを聴いてるらしいです。
最近のブームは寝付く時はバート・バカラックのベストヒット20。
中途覚醒した時は山下達郎のスローテンポの楽曲ばかりを集めた自作CDです。
バカラックの曲には難しい所がなくて、知らないうちに眠ってしまってる感じなんです。
それでは、毎夜ベッドに入った時に最初に聴いている曲をご紹介(↓)しましょうか。
で、考えましたよ、“よく眠れる音楽(CD)”ってやつに助けてもらおうかと。
最初はね、やっぱアマデウスになりますね。アマデウス・モーツァルト。明るくて、軽やかで癒される感じ。
バッハも試しましたけど、ちょっと僕には合わない。というかクラシックの素人には合わないでしょう。
モーツァルトの楽曲を使ったセラピー集CD(6枚入り)なんちゅうのもありましてね。「認知症の予防」とか「循環器系疾患の予防」とか色々ありましたが、僕の欲しかった「不眠症に効く」というのは無かったです。そんな中一番眠れたのは「アレルギーの予防」に効くというCD。僕には特に困ったアレルギーはないんですが、ま、その予防も出来て不眠も解消してくれるんなら御の字です。
静かなジャズもいいですが、色々試して分かったのは結局好きな音楽を聴くことですね。
自律神経についての本を多く出している或る医師はハードロックを聴いてるらしいです。
最近のブームは寝付く時はバート・バカラックのベストヒット20。
中途覚醒した時は山下達郎のスローテンポの楽曲ばかりを集めた自作CDです。
バカラックの曲には難しい所がなくて、知らないうちに眠ってしまってる感じなんです。
それでは、毎夜ベッドに入った時に最初に聴いている曲をご紹介(↓)しましょうか。
(2015/ジェイ・ローチ監督/ブライアン・クランストン、ダイアン・レイン、ヘレン・ミレン、ルイ・C・K、エル・ファニング、ジョン・グッドマン、マイケル・スタールバーグ、アラン・テュディック/124分)
“トランボ”=ダルトン・トランボですね。
“ハリウッドに最も嫌われた男”というのは言いたいことは分かるけど、命名者が悦に入ってる感じがするな。端的に言えば“彼は如何に赤狩りに立ち向かったか”ということなんですよ。
僕がトランボの名前を知ったのは1971年の映画「ジョニーは戦場へ行った」の時で、本職は脚本家であった彼の初めての監督デビュー作でありました。時にトランボ66歳。そして「ジョニーは戦場へ行った」はトランボ自身が1931年に書いた小説の映画化でした。
その後トランボが1950年代にアメリカを席巻した赤狩り(レッド・パージ)の被害者であった事、ハリウッドで実名で仕事が出来なかった為に匿名で書いた「ローマの休日 (1953)」、「黒い牡牛 (1956)」で2度もアカデミー脚本賞を獲った事を知りました。
という事で、実話が元になっているし、人間トランボも殆ど知らないので興味津々で鑑賞に入りました。ジェイ・ローチ監督には全然馴染みはありませんがネ。
尚、「ローマの休日」の裏事情については“「ローマの休日」の秘密”という記事を書いてますのでご笑覧を。
まずは映画の冒頭に説明される時代背景について。
<1930年代、大恐慌とファシズム台頭を受けて数千人のアメリカ人が共産党に入党。第二次世界大戦で米ソが同盟を結ぶと更に入党者は増加した。労働運動の旗手だった脚本家ダルトン・トランボは1943年に入党。だが、冷戦が始まり共産主義者には疑惑のまなざしが向けられるようになる>
米ソの冷戦が始まり、朝鮮戦争も勃発し、アメリカ人にとっては不気味な存在だったんでしょうな、共産主義者というのは。
さて下記にてストーリーを紹介しますが、これはウィキを参照、加筆修正したものです。
<ダルトン・トランボは、その才能によってハリウッドの売れっ子脚本家の一人に数えられるようになっていたが、アメリカ共産党員として積極的に活動していることから、コラムニストのヘッダ・ホッパーや俳優のジョン・ウェインなどのエンターテイメント業界における強硬な反ソ連の人物からは嫌われていた。一緒に映画を作った監督のサム・ウッドからもハリウッドの裏方の賃上げ運動に参加するのを止めるように言われたりもした。
トランボは、ハリウッドにおける共産主義のプロパガンダに関して下院非米活動委員会(HUAC)で証言するよう召喚された十人の映画人(ハリウッド・テン)のうちの一人となる。彼は質問に直接答えることを拒否し下級審で議会侮辱罪で有罪判決を受ける。トランボ達はたとえ一審で負けても上訴すれば最高裁で多数派を占めるリベラルな判事たちがそれを覆すことを確信していた。ところが、リベラル派とされる二人の判事の予期せぬ死去によりトランボの上訴の計画は叶わぬこととなった、1950年、トランボはケンタッキー州アシュランドの連邦矯正施設で11ヶ月間服役する事になる。
「ハリウッド・ブラックリスト」の対象が拡大し、より多くの共産主義者や共産主義シンパが業界から排除される中、トランボの仲間であった者たちも自分の仕事を守るためにリスト対象者との繋がりを否認するようになる・・・>
▼(ネタバレ注意)
<トランボは刑期を終え刑務所から釈放されたが、依然としてブラックリストに載っており、彼の経済状況と家庭生活はますます逼迫していった。トランボは友人のイアン・マクレラン・ハンターに書き溜めていた「ローマの休日」の脚本を渡し、ハンターが脚本の名義と報酬の一部を得るという手段をとる。のどかな湖畔の家を売り、都会の家に引っ越した彼は、低予算のキング・ブラザーズ・プロダクションでペンネームを使った上で脚本家として働き、ブラックリストに載っている仲間の作家たちにもB級映画の脚本執筆の仕事を回してやった。妻のクレオと10代の子供たちにも仕事を手伝わせ、家庭内不和が大きくなる事もあった。そんな中、「ローマの休日」がアカデミー賞で脚本賞を受賞し、3年後には仮名で書いたオリジナル脚本の「黒い牡牛」がまたもアカデミー脚本賞を受賞する。
業界ではトランボがゴーストライターとして脚本を沢山書いてきているという疑惑が浮上するが、彼はそれを肯定しないように注意を払った。1960年、俳優のカーク・ダグラスが大作映画「スパルタカス」の脚本を書くよう彼に依頼し、オットー・プレミンジャー監督は「栄光への脱出」の脚本を依頼する。ホッパーはダグラスを脅してトランボを降板させようとしたが、ダグラスとプレミンジャーの二人はトランボが脚本を書いたと新聞に公表した。ブラックリストの効力は、1961年の初めには新大統領ジョン・F・ケネディが「スパルタカス」を称賛するほどまでに下落しており、漸くトランボ達は自分の名前で仕事を再開出来るようになったのだった>
▲(解除)
う~ン、まずは出てくる業界人が全て実名っていうのが凄いですね。過去のニュース映像をそのまま使ってるシーンもあって、改めて人の見方が変わりそうです。
序盤の賃上げデモにハンフリー・ボガードやローレン・バコール、ダニー・ケイが参加していたり、ラジオで赤狩り反対を冷静に喋っているグレゴリー・ペックやルシル・ボールがいたり。
レーガンは当然だけど、ロバート・テーラーが聴聞会でタカ派の発言をしてたのは意外だったな。
主演のブライアン・クランストンは馴染みがないんですが「アルゴ」や「リトル・ミス・サンシャイン」に出ていたようです。
ダイアン・レインはトランボの奥さんクレオ役。典型的な良妻賢母でしたな。
ヘレン・ミレンは今回はトランボの最強の敵、コラムニストのヘッダ・ホッパー役。彼女の憎々しさあってこその終盤の逆転劇の痛快さでありますね。
「アルゴ」のジョン・グッドマンはキング・ブラザーズ社の社長役。プレッシャーをかけに来た非米活動委員会の男をバット一本で追い返すシーンが最高。今回も適役でした。
お薦め度は★三つ半。
堅実な演出と上手い脚本で見応えあるけれど少し長い。幾つか端折っていいシーンがあったし、後半のダグラスとプレミンジャーのエピソードに入る辺りもなんか変化球が欲しかったな。
いずれにしても良い映画でした。
“トランボ”=ダルトン・トランボですね。
“ハリウッドに最も嫌われた男”というのは言いたいことは分かるけど、命名者が悦に入ってる感じがするな。端的に言えば“彼は如何に赤狩りに立ち向かったか”ということなんですよ。
僕がトランボの名前を知ったのは1971年の映画「ジョニーは戦場へ行った」の時で、本職は脚本家であった彼の初めての監督デビュー作でありました。時にトランボ66歳。そして「ジョニーは戦場へ行った」はトランボ自身が1931年に書いた小説の映画化でした。
その後トランボが1950年代にアメリカを席巻した赤狩り(レッド・パージ)の被害者であった事、ハリウッドで実名で仕事が出来なかった為に匿名で書いた「ローマの休日 (1953)」、「黒い牡牛 (1956)」で2度もアカデミー脚本賞を獲った事を知りました。
という事で、実話が元になっているし、人間トランボも殆ど知らないので興味津々で鑑賞に入りました。ジェイ・ローチ監督には全然馴染みはありませんがネ。
尚、「ローマの休日」の裏事情については“「ローマの休日」の秘密”という記事を書いてますのでご笑覧を。
まずは映画の冒頭に説明される時代背景について。
<1930年代、大恐慌とファシズム台頭を受けて数千人のアメリカ人が共産党に入党。第二次世界大戦で米ソが同盟を結ぶと更に入党者は増加した。労働運動の旗手だった脚本家ダルトン・トランボは1943年に入党。だが、冷戦が始まり共産主義者には疑惑のまなざしが向けられるようになる>
米ソの冷戦が始まり、朝鮮戦争も勃発し、アメリカ人にとっては不気味な存在だったんでしょうな、共産主義者というのは。
さて下記にてストーリーを紹介しますが、これはウィキを参照、加筆修正したものです。
*
<ダルトン・トランボは、その才能によってハリウッドの売れっ子脚本家の一人に数えられるようになっていたが、アメリカ共産党員として積極的に活動していることから、コラムニストのヘッダ・ホッパーや俳優のジョン・ウェインなどのエンターテイメント業界における強硬な反ソ連の人物からは嫌われていた。一緒に映画を作った監督のサム・ウッドからもハリウッドの裏方の賃上げ運動に参加するのを止めるように言われたりもした。
トランボは、ハリウッドにおける共産主義のプロパガンダに関して下院非米活動委員会(HUAC)で証言するよう召喚された十人の映画人(ハリウッド・テン)のうちの一人となる。彼は質問に直接答えることを拒否し下級審で議会侮辱罪で有罪判決を受ける。トランボ達はたとえ一審で負けても上訴すれば最高裁で多数派を占めるリベラルな判事たちがそれを覆すことを確信していた。ところが、リベラル派とされる二人の判事の予期せぬ死去によりトランボの上訴の計画は叶わぬこととなった、1950年、トランボはケンタッキー州アシュランドの連邦矯正施設で11ヶ月間服役する事になる。
「ハリウッド・ブラックリスト」の対象が拡大し、より多くの共産主義者や共産主義シンパが業界から排除される中、トランボの仲間であった者たちも自分の仕事を守るためにリスト対象者との繋がりを否認するようになる・・・>
▼(ネタバレ注意)
<トランボは刑期を終え刑務所から釈放されたが、依然としてブラックリストに載っており、彼の経済状況と家庭生活はますます逼迫していった。トランボは友人のイアン・マクレラン・ハンターに書き溜めていた「ローマの休日」の脚本を渡し、ハンターが脚本の名義と報酬の一部を得るという手段をとる。のどかな湖畔の家を売り、都会の家に引っ越した彼は、低予算のキング・ブラザーズ・プロダクションでペンネームを使った上で脚本家として働き、ブラックリストに載っている仲間の作家たちにもB級映画の脚本執筆の仕事を回してやった。妻のクレオと10代の子供たちにも仕事を手伝わせ、家庭内不和が大きくなる事もあった。そんな中、「ローマの休日」がアカデミー賞で脚本賞を受賞し、3年後には仮名で書いたオリジナル脚本の「黒い牡牛」がまたもアカデミー脚本賞を受賞する。
業界ではトランボがゴーストライターとして脚本を沢山書いてきているという疑惑が浮上するが、彼はそれを肯定しないように注意を払った。1960年、俳優のカーク・ダグラスが大作映画「スパルタカス」の脚本を書くよう彼に依頼し、オットー・プレミンジャー監督は「栄光への脱出」の脚本を依頼する。ホッパーはダグラスを脅してトランボを降板させようとしたが、ダグラスとプレミンジャーの二人はトランボが脚本を書いたと新聞に公表した。ブラックリストの効力は、1961年の初めには新大統領ジョン・F・ケネディが「スパルタカス」を称賛するほどまでに下落しており、漸くトランボ達は自分の名前で仕事を再開出来るようになったのだった>
▲(解除)
*
う~ン、まずは出てくる業界人が全て実名っていうのが凄いですね。過去のニュース映像をそのまま使ってるシーンもあって、改めて人の見方が変わりそうです。
序盤の賃上げデモにハンフリー・ボガードやローレン・バコール、ダニー・ケイが参加していたり、ラジオで赤狩り反対を冷静に喋っているグレゴリー・ペックやルシル・ボールがいたり。
レーガンは当然だけど、ロバート・テーラーが聴聞会でタカ派の発言をしてたのは意外だったな。
主演のブライアン・クランストンは馴染みがないんですが「アルゴ」や「リトル・ミス・サンシャイン」に出ていたようです。
ダイアン・レインはトランボの奥さんクレオ役。典型的な良妻賢母でしたな。
ヘレン・ミレンは今回はトランボの最強の敵、コラムニストのヘッダ・ホッパー役。彼女の憎々しさあってこその終盤の逆転劇の痛快さでありますね。
「アルゴ」のジョン・グッドマンはキング・ブラザーズ社の社長役。プレッシャーをかけに来た非米活動委員会の男をバット一本で追い返すシーンが最高。今回も適役でした。
お薦め度は★三つ半。
堅実な演出と上手い脚本で見応えあるけれど少し長い。幾つか端折っていいシーンがあったし、後半のダグラスとプレミンジャーのエピソードに入る辺りもなんか変化球が欲しかったな。
いずれにしても良い映画でした。
・お薦め度【★★★★=友達にも薦めて】
ポートレイト問題、第200弾。
40年代、50年代のハリウッド西部劇のファンならば「デューク」というだけで誰だか分ろうってな問題ですな。
1979年6月、72歳で没。
ウィキによると、<入院期間中には、当時の大統領であるジミー・カーターが見舞いに訪れた。現職の大統領が映画俳優を見舞うのは異例のことであった。そして死去の際、アメリカ各地では半旗が掲げられた>との事。
実は先日「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男 (2015)」を観ましてね。トランボと対峙するシーンを観て改めてやはりそういう男だったのかと思った次第。元々好きな俳優ではないんですがネ。
40年代、50年代のハリウッド西部劇のファンならば「デューク」というだけで誰だか分ろうってな問題ですな。
1979年6月、72歳で没。
ウィキによると、<入院期間中には、当時の大統領であるジミー・カーターが見舞いに訪れた。現職の大統領が映画俳優を見舞うのは異例のことであった。そして死去の際、アメリカ各地では半旗が掲げられた>との事。
実は先日「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男 (2015)」を観ましてね。トランボと対峙するシーンを観て改めてやはりそういう男だったのかと思った次第。元々好きな俳優ではないんですがネ。
ポートレイト問題、第199弾。
1948年3月、ニューヨーク生まれの75歳。へっ、もうそんな歳なんですねぇ。
クリスマス・イブの夜に大変な事件に巻き込まれちゃう刑事の奥さん役の映画が大ヒットし、続編でも同じ役で出てましたね。
イニシャルはB・B。
そういえば甥っ子の子役スターのヒット作もクリスマスが舞台だったような・・・。
1948年3月、ニューヨーク生まれの75歳。へっ、もうそんな歳なんですねぇ。
クリスマス・イブの夜に大変な事件に巻き込まれちゃう刑事の奥さん役の映画が大ヒットし、続編でも同じ役で出てましたね。
イニシャルはB・B。
そういえば甥っ子の子役スターのヒット作もクリスマスが舞台だったような・・・。
映画を観る機会が段々減っていて、かといって思い出の作品について書く気も持続せず、相変わらずポートレイト記事が続いているテアトル十瑠です。何か新しい記事が書きたいなぁ、
ということで今日は久々に「日々の雑感」です。
先月、息子の所に第1子が生まれましてね。そのご尊顔を拝しに25日から3泊4日で愛知県まで出かけました。勿論夫婦で。
その女の子は明らかにママ似のキリっとした可愛らしい赤ん坊でした。っていきなりの爺バカですいません。ジジイが孫の事を喋っても面白い話が聞けるわけもなく、さっさと切り上げ、今記事のタイトルの話に移りましょうかね。
博多から名古屋まで新幹線でおよそ3時間半。25日は女房は彼女のアイドル、野口五郎のコンサートを見るために大阪で途中下車し、僕はそこから一人で息子が待つ名古屋へ向かいました。女房はコンサート後に名古屋へ時間差でやって来るという訳です。
女房は2回目ですが、僕は息子の家に行くのは初めて。十数階建てのマンションの部屋は壁も床も白を基調にした内装で、広いリビングには我が家のよりは一回り大きい薄型テレビがありました。
ひとしきり近況など語り合った後、TVを見ていたら、アマゾンプライムだのなんだのと通信アプリが目に入り、そういえばロバート・レッドフォードとジェーン・フォンダが共演した映画が確かNETFLIXで配信されてたなぁと思い出しました。
しかしタイトルが思い出せない。息子に俳優名で検索してもらい、「夜が明けるまで」に辿り着きました。
女房がやって来るまでには数時間あり、息子は自分の部屋でやることがあるというので、一人ゆっくりと炬燵に入ってNETFLIX初体験を堪能しました。
映画については別途記事を残そうと思いますが、1回しか観てないので評価は暫定です。といいつつも、すぐには書けないのでひょっとしたら忘れてしまうかも。
ということで今日は久々に「日々の雑感」です。
先月、息子の所に第1子が生まれましてね。そのご尊顔を拝しに25日から3泊4日で愛知県まで出かけました。勿論夫婦で。
その女の子は明らかにママ似のキリっとした可愛らしい赤ん坊でした。っていきなりの爺バカですいません。ジジイが孫の事を喋っても面白い話が聞けるわけもなく、さっさと切り上げ、今記事のタイトルの話に移りましょうかね。
博多から名古屋まで新幹線でおよそ3時間半。25日は女房は彼女のアイドル、野口五郎のコンサートを見るために大阪で途中下車し、僕はそこから一人で息子が待つ名古屋へ向かいました。女房はコンサート後に名古屋へ時間差でやって来るという訳です。
女房は2回目ですが、僕は息子の家に行くのは初めて。十数階建てのマンションの部屋は壁も床も白を基調にした内装で、広いリビングには我が家のよりは一回り大きい薄型テレビがありました。
ひとしきり近況など語り合った後、TVを見ていたら、アマゾンプライムだのなんだのと通信アプリが目に入り、そういえばロバート・レッドフォードとジェーン・フォンダが共演した映画が確かNETFLIXで配信されてたなぁと思い出しました。
しかしタイトルが思い出せない。息子に俳優名で検索してもらい、「夜が明けるまで」に辿り着きました。
女房がやって来るまでには数時間あり、息子は自分の部屋でやることがあるというので、一人ゆっくりと炬燵に入ってNETFLIX初体験を堪能しました。
映画については別途記事を残そうと思いますが、1回しか観てないので評価は暫定です。といいつつも、すぐには書けないのでひょっとしたら忘れてしまうかも。
■ YouTube Selection (予告編)
■ Information&Addition
※gooさんからの告知です:<「トラックバック機能」について、ご利用者数の減少およびスパム利用が多いことから、送受信ともに2017年11月27日(月)にて機能の提供を終了させていただきます>[2017.11.12]
●2007年10月にブログ名を「SCREEN」から「テアトル十瑠」に変えました。
●2021年8月にブログ名を「テアトル十瑠」から「テアトル十瑠 neo」に変えました。姉妹ブログ「つれづる十瑠」に綴っていた日々の雑感をこちらで継続することにしたからです。
●コメントは大歓迎。但し、記事に関係ないモノ、不適切と判断したモノは予告無しに削除させていただきます。
◆【著作権について】 当ブログにおける私の著作権の範囲はテキスト部分についてのみで、また他サイト等からの引用については原則< >で囲んでおります。
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●映画の紹介、感想、関連コラム、その他諸々綴っています。
●2007年10月にブログ名を「SCREEN」から「テアトル十瑠」に変えました。
●2021年8月にブログ名を「テアトル十瑠」から「テアトル十瑠 neo」に変えました。姉妹ブログ「つれづる十瑠」に綴っていた日々の雑感をこちらで継続することにしたからです。
●コメントは大歓迎。但し、記事に関係ないモノ、不適切と判断したモノは予告無しに削除させていただきます。
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◆【管理人について】
HNの十瑠(ジュール)は、あるサイトに登録したペンネーム「鈴木十瑠」の名前部分をとったもの。由来は少年時代に沢山の愛読書を提供してくれたフランスの作家「ジュール・ヴェルヌ」を捩ったものです。
◆【著作権について】 当ブログにおける私の著作権の範囲はテキスト部分についてのみで、また他サイト等からの引用については原則< >で囲んでおります。
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バナー作りました。リンク用に御使用下さい。時々色が変わります。(2009.02.15)