hanana

二度目の冬眠から覚めました。投稿も復活します。
日本画、水墨画、本、散歩、旅行など自分用の乱文備忘録です。

●上野公園のわき道

2017-09-04 | 日記

芸大美術館の帰り、ふと芸大と上野公園の間の道を右折してみた。

よく通るのに、道を変えたのは初めて。
今工事中の「旧東京音楽学校奏楽堂」の壁が、仮囲いの上から見える。
う、動物っぽい臭いがすると思ったら、上野動物園の裏手。見上げると、そびえる金網の鳥舎に大きな鷲?コンドル?がとまっていた。

クラシックな建造物は、動物園の「旧正門」

現在の表門と池之端門の他にも門があったとは。
明治44年に建てられたもの。門番小屋、切符売り場も見える。現在は、一般には使用されておらず、皇族方が来園する際などに開けられるそう。

植え込みで見つけた小さな花


全て名前がわからない、、



↑この形、なにか見た覚えのある形状だと思ったら、これか。(ウィキペディアから)



 


●藝「大」コレクション第二期ーパンドラの箱が開いたー

2017-09-04 | Art

藝「大」コレクションーパンドラの箱が開いたー 第二期 

あっという間に9月。第二期は10日までです。(一期の日記

藝大美術館は金曜日でも17時閉館。もうあまり時間がないっていうのに、上野駅内の浅野屋で遅いランチ。パンダ印の黒糖あんぱん。

ずっと前からあるけど、テレビで見る子パンダの映像がかわいいせいか、この日ついに手に取ってしまった。子パンダ、ちょっと前までお茶碗サイズだったのに、今日の体重測定のニュースではお鍋サイズになっていましたね。


さて、芸大コレクション二期、今回も目移りしてしまう品ぞろえでした。「パンドラの箱が開いた」の意味を考える間もないほどでした。いいもの見たなあと思ったものを、以下、羅列します。

■名品編

狩野芳崖の「観音下図」明治21年ごろ。大きな羽で宙を舞う天女の下図数点と、天女の裸体の下図が数点。衣を身に着けた天女を描くにも、中身?の身体を意識して描いている。平櫛田中が五代目尾上菊五郎の鏡獅子を彫るのに、裸体の試作品まで彫っているのを思い出す。おおこの観音下図、芳崖が病で亡くなったその年の作だ。悲母観音を描き上げたのが、11月の死の4日前というから、それより前ということだろうか。次の作品の構想だろうか。もっともっと画を極めたかっただろうな...

 

「孔雀明王像」鎌倉時代、13世紀、妙な迫力がお気に入り。

孔雀明王の4本の手は、倶縁果、吉祥果、蓮華、孔雀の尾を持つ。孔雀は害虫や毒蛇を食べるので、厄災を取り除くと信仰の対象になったそうだけども、とりわけこの孔雀は真正面を向いて、前を見据える。明王とダブルで、たいへん目ぢから強し。楕円のバランス力もよし。お腹のあたりの羽毛も細密、立体感とお肉感があったのが印象的。

 

・「観音堂縁起絵」室町時代 英語のScenes of the Life of Gensei syonin」で源誓上人を描いたものと分かった。

下のほうの小僧さんは、源誓上人の下積時代だろうか?。中ほどでは街の神楽や獅子舞の様子が描かれ、頭光をつけた仏たちの姿も。上部のほうのりっぱな法衣の僧侶たちを率いているのが源誓上人だろうか。最上部には彼方の海も描かれている。

 

土佐光起「貝尽図」江戸時代

土佐派でこんな細緻な写実画もあるのかとびっくり。貝の模様は針のごとく細密な描線で描き出されていた。光起は院体花鳥の学習も行っていたとのこと。

 

若冲「鯉図」

比較的初期のものらしい。でもやっぱりおもしろい。口からは泡がでていて、鯉の目は意志をもって泡を見ているみたい。

 

小堀鞆音「経政詣竹生島」明治29年

平経政が枇杷を弾くと、明神が龍に姿を変えて現れた。龍は灯りを巻き込むように、遠慮がちに訪問してきている。経政と龍の目が合っていて、音楽を愛する者どおし気持ちが通じ合うふたり。さすが安田靫彦の若いころの師、細部まで丁寧で、木や毛の質感もばっちり、上手いなあ~。

 

伊東深水「銀河祭り」昭和21年

七夕に、水に映った星明りで針に糸を通し、裁縫の上達を願う。赤い糸と赤い短冊、わずかに見える赤い鼻緒、少しだけの赤の点在がいいなあ。着物の柄で季節を表すのも、なんだかほっこりする。月見草だろうか。

 

少し離れたところには二帖以上ある大型の掛け軸が並んでいた。

上村松園「草紙洗小町」昭和12年は、思い切りのいい大胆な構図に見惚れる。

この大胆さと人物の繊細さがあれば、背景なんてなにもいらないんだなあ。大きく、三角に画面を分断する。そこに小三角、小四角でリズムがつく。一すじ流れ、くるんと巻く髪は、女性のしなやかな動きの軌跡なんだろうか。上にあげた手、下に下げた手も、とても動きに満ちた掛け軸だった。

陰謀を知って草子を洗い流す小野小町の謡曲。この女性もかすかに微笑み、目線は艶っぽく生き生き、機知に富んでいる。松園の描く女性には、美しいだけの女性なんていないと、またしても実感。

 

・橋本雅邦「白雲紅樹」明治23年

人の入らない深い自然。墨にちょうどよい分量の紅い葉と緑の樹。圧倒的な雲と岩山の下のほう15%くらいのところに、サルがいる。流れには紅葉が浮かんで、風流を愛でるのは猿二匹のみ?。狩野派の達筆で描かれた樹の中にはファミリーの猿たちが遊んでいた。雅邦は美校の教授として遠近を取り入れ、新しい日本画を目指したそう。

 

河合玉堂「鵜飼い」昭和6年、これは先日の探幽の風流な鵜飼い見物屏風と違い、荒々しい波にもまれている。かがり火は金で描き、夜のすごみがあった。多くの人が鵜飼いを描くけれど、そんなにいいのかな。一度見に行かなくちゃね。

 

松岡瑛丘「伊香保の沼」大正14年、しどけない着物や髪、どこかこの世ならぬものような姫。葉は先が茶色く枯れ始めている。榛名湖畔に入水した姫が、実は白蛇になっていたという伝説に基づく。赤いあやめが不思議な感じだけど、画像検索したら、赤いのも確かにあった。

 

曽我蕭白「柳下鬼女図屏風」

嫉妬に狂う女が元夫を呪い殺そうとする、謡曲の鉄輪の場面ではと解説に。鬼の顔貌だけれども、手や足は若く滑らかで女性らしい。なぜか恐ろしいとも醜いとも思えない。安倍晴明に追い返されるらしいけれど、この鬼女はどうしようか次策に途方にくれているように見える。

 

他には、尾形光琳「槙楓図屏風」、肉眼では判別不能なほど超絶模様の後漢時代の「狩猟文銅筒」など。

 

■美校の仏教彫刻コレクション

破損仏の断片が並んでいる。布がむき出しになった乾漆像の断片、仏手の断片など。破損物も大事な研究教育資料として活用している、と。作る人らしい言葉。

 

■「平櫛田中コレクション」

前期には展示されていなかった田中の「尋牛」大正2年が!。ずっと見たかった。

 禅の「十牛図」のうちの「尋牛」。真の自己は牛の姿で現され、真の自己を追う自己が牧者の姿で。

オーラがすごい。気持ちが前へ走っている。前側の手も牛を捕まえてやるという気持ちで、すでに動いている。後ろに回り込んで見てみても、後ろ姿から前へのベクトルがめらめら。片目を見開き、片目はつぶっているのは、牛を見つけようという気持ちだろうか。

新美術館で展示中のジャコメッティの歩く人を思い出す。あの彼は歩いている。この牧者は、「さがす」人だった。

 

田中太郎「ないしょう話」に再会。やっぱりひきよせられる。

改めて、三人の密閉感がすごい。なのに耳は出ている。もはや話すこと聞くことよりも、三人で結束していることの確認のほうが、重要なんだろう。

 

■記録と制作ーガラス乾板・紙焼写真資料からみる東京美術学校

・小川一馬の写真がみもの。以前東博で1893年のシカゴ万博に出品された品々が展示されていた時に、日本館の「鳳凰殿」が素晴らしかったことを知った(日記)けれど、小川一馬はその内部の障壁画を撮っていた!。「障壁画扇面流図」の写真は、絵の詳細までは見えにくかったけれど、鳳凰殿は戦後に焼失してしまったので、これは貴重。鳳凰殿の建築に携わった日本人大工の素晴らしさは現地で話題となったようだけれども、その設計、装飾、調度品を請け負ったのは、東京美術学校だった。この扇面流図を描いたのは誰なのだろう?

同じく一馬の「セントルイス万博出品本校各教室」明治37年ごろ も展示されていた。当時の藝大の教室風景。着物や洋服の学生たちがイーゼルを立てて、ギリシャ風の石膏像をデッサンしていた。後ろからの写真だったけれど、きっと後に知られる画家もいるんだろう。

 

■藤田嗣治資料 

藤田の手紙やパスポート、写真などが展示されている。

中でも、私の好きな近藤浩一路からの手紙。二人は美校の同級で親友だったのだそう。1949年のもの。こたつでフジタの妻の君世が本を読んでいる挿絵付き。この年に念願かなってパリに戻ったフジタに、奥さんも出発できるのを待っているよ、と近況を知らせている。

フジタの1947年の日記も展示。戦犯として裁かれることはなかったものの、戦争画を描いたことを非難される。1947年にパリ行きが決まり、「フランスに行ける。パリに行ける。今度は長くいる。死んでもいい。パリの土になる覚悟だ。」と、にじみ出る喜びを記しているけれども、なんやかんだで実際には出発は二年後になってしまったのだそう。

 

■藝大コレクションの修復ー近年の取り組み

修復を終えた葛揆一郎「外科手術」明治37年が印象的。手術室の清潔で静謐な空気。ボウル(っていうのか?)、台の脚など金属類の質感が素晴らしかった。

 

他には、ラグーザの「ガリバルディ騎馬像」1882~1892、小磯良平「彼の休息」昭和2年、など。

 

■石膏原型一挙公開

石膏と同型のブロンズが並び、比べられる。解説に、口元や衣のひだなどの違いを比べてくださいとあったので、しげしげ見比べてみた。

・中でも高村光太郎の「獅子吼」。石膏とブロンズではずいぶん印象が違い、石膏のほうがずっと生々しい。白いぶん表情に陰影が加わり、ひだや口元など細部も繊細に感じられる。

 

淀井敏夫の「聖マントヒヒ」昭和41年は、なんでしょうこれは!。石膏とブロンズが並んでいるけれども、違い云々の前に、その原始的な異形さ!その向こうの「聖」に達する域。古代エジプトでは、ヒヒは知恵の神の化身なのだそう。カイロ博物館で見た木や石膏のマントヒヒが、動物園のマントヒヒと重なって見え、その感動をモチーフにした、と。石膏のほうは、石膏でも黒っぽく、ところどころに黄土色の点のような剥落か着色かが見え、それが金色に輝いて見えて、神々しいオーラを増していたのだった。大ファン

 

■真似から学ぶ、比べて学ぶ

勝川春章「竹林七妍図」向井大祐「風俗12か月図」平成29年が並ぶ。向井のは、MOA美術館所蔵の重要文化財、勝川春章筆「風俗12か月図」のうち、失われた1月と3月の幅を、想像して復元したもの。残りの10か月は模写したもの。

風俗12か月図の1~6月

7~12月

右から1,2,3月。

下図も情報もないものを、場面や登場人物から生み出すって、そんなことが可能なのか。向井さんの膨大な研究の結果なんだろう。この12幅には全然違和感がない。見下ろす視線の角度もそろえ、線や色調など画風が似ているだけでなく、春章の指向まで。

1月は、向井は母子3人を登場させた。少女のたらいの中には、亀が元気よく。母に抱かれた赤ちゃんは手を伸ばして伸びあがり、好奇心いっぱい。この赤ちゃんのやんちゃぶりは、6月の水浴び中の赤ちゃんと同テンション。たらいの外にはお魚のおもちゃが飛び出していた。盆栽やついたての画も抜かりない。建具の角度も6月の幅と合わせてあるような。

3月は、潮干狩りの様子。貝が鮮やかな浜辺には、なんとカレイがぺろんと。女の子は持ち帰ろうとして、母や侍女?もびっくり。

他の月に勝川春章が盛り込んだ要素を、向井は多すぎず少なすぎず、盛り込んであるのでしょう。基本には、平凡な日常の生活の中の、女性や子供の生き生きと楽しみに満ちた姿。そして2~3人でおりなすラインの美しさ。例えば赤色なら、時にはたっぷりと、時には差し色として少し入れるなどの色の使い方。窓の外の景色や植栽で現す季節感。人物のしっかりした会話の設定。

そして細かいとこにちょっと入れておく遊び心。無難にうめてもつまらない。春章の大胆ぐあいも検証し、しかも自分らしさも織り込む。

向井さんの大成功の仕事、すごいと思う。もっと私なんかには気づいていないポイントがいっぱいあるんだろうな。博士審査展のこちらに評がある。1988年生まれ、若っ!

 

■現在作家の若き日の自画像

前期に続き、卒業時の自画像。俺はこっちの方向へ進むぞ、って決意が見えるようだった。

気になったのは、大竹えり子さん(ねじれた天狗の鼻)、川俣正さん(ゴムシートがひとまき置いてあった・・)、宮島達男さん(神田川の遠景や人影などのビデオ。数字のインスタと速度が似ているような)。前期に見た、松井冬子さん、村上隆さんなどは展示が平置きになっていて、角度が変わるとさらに印象深かった。

 

■卒業制作ー作家の原点

建築系が興味深い。今和次郎「工芸各種図案」が。写生をもとにしたドローイング。

吉田五十八「レクチュアホール」も。1/20の建築図面。タイルや壁、床など西洋建築の意匠のドローイング。モダン建築への興味が見て取れるというようなことが解説にあった。私にとっては、小林古径邸など和風建築のイメージだったのだけれど、確かに和とモダンがうまく組み合った堂々とした建築が多い。五島美術館、成田山新勝寺、旧歌舞伎座、青梅の玉堂美術館もそうだったのね。見たことがない所では中宮寺本堂なども。

絵では、下村観山「熊野御前花見」をみられてうれしい。

熊野の池田宿の長の娘が、熊野の国司であった平宗盛に見初められ寵愛を受ける。背景の山は熊野とのことなので、これは出会う前?それとも寵愛を受けた後?。人々は噂しあい、熊野御前は心もとなさそう。これはこの先の運命を暗示しているのかな?。山間の宿場町の庶民的な街の様子。表情や、町並み、小物類まで、細やかな描写。人物や顔の表情への深い描きこみは、晩年の中国の歴史人物画へと脈打ち続けていたんだろうか。

このかわいい丸ぽちゃな犬はなんでしょう

高潔な絵を描く観山だけど、たまに動物愛がこぼれてしまう一面を見つけてしまう。鹿やメジロは人間みたいに心ある顔をしている。それとも古典研究の成果ゆえ宗達や応挙に倣ったのかな?。

 

他には、杉山寧「野」、晩年のものより好きかも。

山本丘人「白菊」、「一人の少女に託しての青春の歌」と。興味ある画家のひとり、回顧展があるといいのに。

 

現代の活躍中の作家のものに心打たれるものがあった。

坂井直樹さん(平成15年)「考・炉」、「作り手は求められる美に対し、つくる喜びを手に入れた」と。見る私も心楽しくなるような造形たちだった。

野澤聖さん「見立ての図像たちー家族ー」(平成26年)、大きな等身大のハリボテ?が林立。写真かと思っていたら、コンテの手描き。

前期は通り過ぎたのに、今度はお父さんやお母さん、おじいさんたちの顔をみていると、じわっと心がいっぱいになってしまった。モデルになった家族のちょっと恥ずかしそうな、でも愛情にみちたやさしい顔。「(略)生きた痕跡を絵として記録できるのは、絵描き冥利。描くことがどんな意味を持つのか、当時の精いっぱいの表現」と。

 

吉野貴将さん「~森~」、菅亮平さん「White Cube」、山脇洋二さん「犬」も印象深かったもの。

 

最後に残った時間ででもう一度、前期もあった高橋由一「鮭」「花魁」へ。鮭は少し展示位置が高く、鮭頭のあたりをよく見たかったので、もう少し下げて展示していただけたら...ぼそっ 。