hanana

二度目の冬眠から覚めました。投稿も復活します。
日本画、水墨画、本、散歩、旅行など自分用の乱文備忘録です。

●京都国立博物館:渡辺始興、干支コーナー

2019-01-27 | このブログについて

関西に行く用があったので、京都で途中下車。

4時間ちょっとしかないので、京博と建仁寺へ行くことにしました。

京博は、1月27日まで公開されている渡辺始興の襖絵と干支特集の部屋だけに絞って、他の部屋では足を止めないことを決意。誘惑のなかでこれは苦行に近いものがあります。

建仁寺は、「京の冬の旅 非公開文化財特別公開」のうち、建仁寺塔頭の正伝栄源院で狩野山楽の障壁画を。

という弾丸プチトリップを試みました。

京都国立博物館

京博は、特別展じゃないので撮影可かと思っていましたが、東博と違ってこちらは不可なのですね。

 *

まず京博の干支企画。

全11点と、小ぶりな展示ですが、あれもこれもとお気に入りの作品だらけ。東博と関連する作品もいくつかありました。

ここでも望月玉泉のいのしし登場。東博のイノシシは眠っていたけれど、こちらはうりぼう。

花卉鳥獣図巻 国井応文・望月玉泉筆(部分)

応文が鳥、玉泉が獣を担当した図巻。画像では切れているけれど、手を口に当てて笑っているようなクロクマもいた。ちょっと怖そうなくろやぎについていくうりぼう。草をはむのほほんとしたしろやぎ。毛並みまで細密に冴え冴えと描かれていながら、なんとなくほのぼの感が漂っている。イノシシは秋の季語で、リンドウ、つゆ草、秋牡丹、萩の秋の花とともに。玉泉は花も美しい。

 

森狙仙は、深い銀世界のなかの動物たち。さるはもちろん、鹿、イノシシ、雀もかわいくて、寒いけど楽しい。

雪中三獣図襖 森狙仙筆 京都・廣誠院

 ふかふかのサルの毛並みに比べ、イノシシの毛は硬そうな。毛の手触りも伝わるのはもちろんのこと、外隈で現した雪までもしっとり濃厚な質感まで手に感じてしまう。鹿の毛並みも惚れ惚れするほどで、白い斑点は地を塗り残してある。

 

東博で、"狸vs.十二支動物軍"の戦いの絵巻が展示されているけれど、その発端が描かれた絵巻があった。東博で「狸が恥をかかされた」とあったのは、歌合わせの席でのことだったのだ。

重文 十二類絵巻

皆りっぱに盛装している。着物の柄も気を使って、イノシシは秋らしい萩の模様の着物。職業絵師によるものとのこと。

 

サロメのイノシシ版?と思ったら、狩野山雪の筆。中国にイノシシの頭を好んで食べる「猪頭和尚」がいたそうな。

猪頭像 狩野山雪筆

中国では干支の猪というとブタのことだそうなので、豚の頭をもって伝わったのだろうけれど、これはどちらかな?。蛭子和尚らと三幅対だったと考えられるそう。達観した感のある面相。衣文線は、強く勢いをもってかすれつつも、おおらかさを含むように思った。

 

新羅十二支像護石拓本のうち亥像

西遊記に仲間入りさせてあげたいキュートな彼は、お墓の護石のレリーフ。

 

渡辺始興(1683~1755)のコーナー

江戸中期の京の絵師は、応挙、大雅、若冲と個性的な面々ぞろい。始興は、彼らの前、光琳のあとと、ちょうどはざまに活躍した。

応挙、大雅、若冲は見る機会も多いけれど、始興はたまに一点ずつみる機会がある程度。今回は4点まとめて展示されてる貴重な機会。

これまでの日記に検索をかけてみると、何度か登場している(・畠山美術館「四季花木図屏風」、・岡田美術館「松竹梅群鶴図屏風」「渓上遊亀図」、・東博「春日権現縁起絵巻 陽明文庫本」、・東博「吉野山図屏風」、・根津美術館「梅下寿老人図」、・三井記念美術館「鳥類真写図鑑」)。見るたびに、始興の違った面を知らされてきたのだった。

狩野派を学び、乾山と交流があり、近衛家煕の命で写実からやまと絵まで幅広い画風をこなした始興。今回の4作品に、それら全ての画風が入っていた。

「四季耕作図屏風」、やまと絵のような鮮やかな色彩で細密に描かれた耕作図。中国の風俗ではなく、日本の四季と人物が描かれている。人も動物も生き生き、行動に細やかな設定がされている。「春日権現縁起絵巻」の復元絵巻を3年かけてあれほどにすばらしく描き切れるのだから、始興にはこれくらいは苦でもないだろうか。着物の柄や店の商品まで緻密。それにしても庶民の暮らしをよく観察している。

《右隻》には爽やかな春夏の風景。街では、神楽、茶店、草履売りなど。店の奥では赤い針刺しの前で女性が着物か何か縫物をしている。農村では、牛で田おこしをしたり、子どもも天秤棒を担いで苗を運んでいる。あぜ道では火をおこしてお茶タイム。お社やつばめまで、芸が細かい。

《左隻》は稲刈り。綿の摘み取りも行われていて、名主さんの屋敷に積まれた白い綿のなかに猫がまみれている。普請に来た役人や、建築中の家の大工など、ひとの様子も細かい。渡辺崋山の耕作図にもあった脱穀機?は、”唐箕”といい目新しいものだそう。

 

松に百合図襖(霊屋障壁画)(部分) 奈良興福院は多様な画風が併用されている。松は狩野派、写実的な百合、波の意匠は光琳風。でもどの画風にもとくに引っ張られることなく、全体として始興の世界になっている。始興の世界といってもわずかしか見ていないのだけれど、吉野山図屏風のようにリズムに富んで明晰な感じが始興らしい。

おおいかぶさるような松の大木の下に、小さな百合が負けていないのが印象的。花鳥や風が会話をするような抒情的な風ではないのだけど、各々内在するエネルギーを放っている。

 

四季草花図屏風力強い抑揚のある線と鮮やかな彩色で描かれた草花。これもいろんな要素が取り込まれている。特に個人的に興味深いのは、樹の幹が水墨で描かれ、おおらかで自由な省筆が、たしかに狩野尚信を思わせるものであること。尚信好きとしてはうれしい。尚信は近衛家煕が高く評価していたそう。そして桐の幹や菊の葉などはたらしこみ。これは宗達風で、ゆったりおおらかな感じ。ウコンは、家煕が親密にしていた島津家由来のものでは、とのこと。写実的に細密に描かれた花々は、其一を思い出す、じっとりとした存在感。といって、マニエリズムというほどではない。金と銀の砂子や切箔の美しい背景は琳派風か。地が雲がゆらめくようで美しかった。

 

竹雀図屏風 文化庁解説では、これは「浜松図屏風」の裏面であったもので、雀は応挙につながる要素が見受けられるとのこと。

竹のカサカサした皮?まで写実的。荒い筆致ながら雀も的確で動きに満ちている。筆の勢いあるはらいで、鳥の羽ばたきのスピードが見える。紙の継ぎ目が見え、これは立てて描いたのだろうか?丘の部分の薄墨がかすかに垂れている。細やかな写実なのに、全体として即興で描いたのではと思うスピード感。こんな一面もあるとは。

 

4作品に、それぞれ違う始興が見える。職人としての凄み。さまざまな影響・要素を垣間見せつつ、それらは始興の感性にとりこまれ、どの流派でもない始興独特の絵画となっている。人間味ある風俗も描くけれども、過多な詩情は盛らず、明晰。自然を冷静に見つめた、始興独特のリアリズムなんだろうか。

始興ってどんな人だったのか、全貌はやっぱりつかめない。特定できる始興の作品も、文献に登場するのも、家煕に仕えるようになってからのことらしい。それまではどんな絵を描いていたのだろう。

どこかで「渡辺始興展」を開催してくれないかな。

 *

そのほか、足を止めてはならぬと誓っていたのにつかまってしまった品々。

塩川文麟の雪の日の空気の色につかまる。

平等院雪景図屏風 塩川文麟筆

解説には、和歌のイメージのを絵画化し、円山四条派仕込みの空間把握、描法による実感に富んだ景観描写と。

金や銀砂子で表された、しんしんと重い空気。でもどこかふわりと平等院とまわりの風景を包む。凍てつく水の色もなんともいいなあ。芝舟や船頭の笠にも積もっている。文麟の弟子・「幸野楳嶺が伝えたこと」展(岡山竹喬美術館)にも文麟の作品も展示されているようなので、ますます行きたくなる。

 

花鳥蒔絵螺鈿角徳利及び櫃17世紀大航海時代、西洋人のために日本で造られた葡萄酒用のとっくり。注ぎ口のねじを切る技術は、ポルトガル人の小銃から学んだとのこと。

 

捻梅蒔絵野弁当(ねじりうめまきえのべんとう)は、ドット模様に散らされたねじりうめがかわいらしく、現代でも人気の出そうなお弁当箱。

 

厳島縁起絵巻は、マーカーのような赤い着色の味のある絵も印象的だけど、ストーリーに目が点。かつての東海テレビの昼ドラマになりそうな愛憎うずまく展開に、これが霊験あらたかな神社の縁起とは。。

天竺のせんさい王と妻・あしひきの宮はそろって美貌。せんさい王の父王の妃たちはあしひきの宮に嫉妬し、あれこれ陰湿な嫁いびりをする。人形を埋めて呪詛するシーンなどは、等身大の人形を二人がかりで運んで地中の穴に入れていて、もはや刑事事件レベル。妃たちの企みで薬草を取りに出されたせんさい王が鬼たちから草を受け取るシーンは、鬼たちのかわいいこと。と思っていたら、そのあいだに、妃たちは宮と若い男との不義密通をでっちあげ、なんと宮は斬首。宮が連行されるシーンは気の毒で。宮は死の間際に男の子を生み落とす。せんさい王は愛と執念で、山中で生きていたその子を見つけ出し、紆余曲折あって、父子協力のもとに、宮の蘇生に成功し、親子三人幸せに暮らす。。。

が、そのあとにまだ続きが。。せんさい王~~~っ怒

 

狩野元信「浄瓶踢倒図」サントリー美術館の元信展以来の再会。

瓶をけって立ち去る霊裕の気骨ある表情と、ぽかんとした百丈の顔が見もの。手前の善覚だけは、そんな霊裕を理解しているような顔。さわさわとした葉の流れとまんなかの絶妙な余白が、この想定外の出来事の間合いを演出している。ササや小枝の柔らかでハリのある筆使いは、腕と筆が一体になったようで、ほれぼれ。

 

他には、慧可断臂図豊干図、などもあったけれど、横目に見ながら、建仁寺へ。続く。

 


●東博2 18室から浅井忠、古径、青邨

2019-01-20 | このブログについて

年が明けて最初の美術館は、東博の常設。

東博の空は広い

だんだん閃光めいてきた

18室

この日は、浅井忠(1859~1907)のプチ特集。7点のうち4点は、高野時次のコレクションからの寄贈。高野時次は 名古屋にあった高野精密工業株式会社(現・リコーエレメックス株式会社)の社長。

明治の巨匠と知ってはいても、まとめてみるのは初めて。今回は1900~02年にフランスに留学する前までの初期の作と、留学中の作品。留学前とあとでは大きく画風が変わっている。

留学する前の作品がとくに心に残る。技巧的なことはよくわからないけれど、油彩の重さが、日本の風景、さほど明るくない色調とうまくあわさっているような。100年前の風景を見ているという自分の心情が、無意識に作用しているのかもしれない。

田舎家炉辺  1887年

惹かれる作品なのだけど、映り込みで良く見えなかったのが大変残念。どう角度を変えても、後ろの展示物の鏡となり果て...涙。予算は限られていると思うけれど、なんとかならないものだろうか...

 

(重文)春畝  1888年

中心になって創設した明治美術会の第一回出品作。人物は写真からの引用とのこと。

 

房総御宿海岸 1899

かすかに人が見える。簡素な村の自然な情景。

昔ある画家がフランス留学から一時帰国して描いた自宅付近の風景画を見て、洋皿にフォークとナイフで秋刀魚の塩焼きを食しているような不思議な感覚を覚えたことがあったけれど(それがまた忘れられない絵になっているのだった)、 これらの絵にはそんな感じはしなかった。

浅井忠は、1876~78年にかけて工部美術学校でフォンタネージに学ぶ。小山正太郎、山下りんなど、フォンタネージに学んだ明治初期の画家には心に残る人が多い。日本の油彩画についてよく知らないけど、フランス帰りの外光派が幅を利かせる前に活躍した油彩画家の作品は個人的に魅力的。

 

留学中の作品は、うってかわって、まさにフランスの洋画という感。真摯な学びの日々だったのでしょう。

でも深く情感のある静かさは変わらないのかもしれない。

ちょうど今ヤマザキマザック美術館で「アール・ヌーヴォーの伝道師 浅井忠と近代デザイン」を開催中。

工芸で印象深かったもの。シカゴコロンブス博出品作は力の入ったものばかり。

「銅蟹蛙貼付蝋燭立 」百瀬惣右衛門 1873年

枯れた蓮にうごめく生命がなんとも。ガレのような。台にはしっかりと種が表現されている。

 

雪中南天樹鵯図額  正阿弥勝義作 1892 は刀工らしい細やかさ。

 

猿猴弄蟷螂図額 香川勝広1892

毛、指先の皮膚まで細密なこと。小さくても目線の強さまでしっかり伝わる。

 

戸張弧雁。ネコって時々液体になるよね。でも骨格と肉感はしっかり、

 

海士玉採図石菖鉢 山尾侶之1873 

好きな作品に再会。真横から見ると、一匹だけぶら下がっている兎がいる。

 

人長舞図花瓶 紹美栄祐作 

火。人の写実、立体、陰影、どこか怖いくらい

 

遠目からはく製かとおもった、森川杜園作の鹿 1892

鹿って雄々しくも、どうしてこう抒情的な表情をするんだろう。

せっかくなので、向こうの青邨の獅子とともに。堂々たるコラボ。

 

ご退位や年頭の御挨拶など、陛下のお席のうしろになにかと青邨(1885~1977)の獅子図が映る最近。私があの実物を見られることはないだろうけれど、山種美術館に続いて、ここでも青邨の獅子を見ることができた。

ユーモラスなものと神的なものを併存させることが叶うのが、日本の美術のすばらしいところだろうか。ぐいぐいくるこの存在感とまるみ。

「唐獅子」20世紀 大正時代 

これが個人蔵とは。しかもこの迫力は後年の作だろうと思ったら、大正期なので少なくとも41歳までの作。

3頭の表情がすばらしい。父母と、一人前になった息子かな?

この線に見惚れきってしまう。

線を塗りのこしたところや、薄墨の線のうえに、たらしこみ。透明感すら感じ、獅子の存在の神秘性が見えるような。

一本の線で、重量感、神的なもの、ふくよかさ、肉感、おおらかさ、すべてを表す。全ての線がなくてはならないものであり、余計な一本はない。

しっぽもいいなあ。青は透明でクール、赤はまるで火のような。

新年そうそう、爽快な気分になれました。

青邨は、絵巻もおおらか。そしてこちらの線も見もの。青邨は絵巻のほぼすべてのものを、多種多様な長短の「線」だけで描き上げている。

「朝鮮の巻」1915  巻物の左から右へと歩いてゆく人々。のどかな風情。

藁ぶき屋根や瓦ぶき屋根の線のリズムと、人物の洒脱なラインがおもしろい。

おおらかに上から見る目線だけど、細かい描写。韓国の町がにぎわっている。おお韓国ドラマで見る輿だ。担ぎ手の腰が心配になるやつ。

女性たちは棒でせんたくをしているのかな

船着き場の人物が遠く指さすほうへ、さらにその先へ、河をゆうゆうと視線が流れていく。

旅人の気分になれました。

 

青邨とともに渡欧した小林古径(1883~1957)はこの日のお目当ての一つ。今回は渡欧前の作品。

異端(踏絵)」1914 

悲壮感は強調されず、なんというか、インナー世界。蓮の花は美しく、仏画の天上界のような色調。

踏み絵との距離感が、なんとも。3歩先の命運。キリスト像を見つめる3人は、この状態はもはや強制されたものではなく、まさに自分と向き合った極みにいる。

二人目の女性の表情は、おそらくもう自分の中に答えを見出しているのだろう。でもその手は、もしかしたら最後の一片の迷いがあらわれているのか、もしくは今消えようとしているところなんだろうか。

 

3人目の表情からは、はっきりした感情は読み取れない。今まさに自分の心を自らに映しているところなんだろうか?彼女の目と手からしばらく目が離せなくなってしまった。

 

一人目の女性は、信仰心の極みのなかに立ち、自分の心に曇りがないことを自覚し、むしろ信仰の悦びのなかにいるのかもしれない。

当時の女性の立場がどのようなものか知らないけれど、人として意志のもとに自立した存在であり得ているといえる。

彼女たちはきっと自らの意志を全うしたのだ。

そのほか、心に残った作品

富岡鉄斎「二神会舞」1923 90歳の作

アメノウズメと、もう一人は天狗?サルタヒコ?。安田靫彦も描いていた、口を開かないサルタヒコに対し、アメノウズメが胸をあらわにして道案内をさせたという場面かな?

天上界の雲は不思議なエネルギーに満たされている。

 

肉筆浮世絵の二作。

小林永濯「美人愛猫図」にも再会。確か2~3年前にも同じ場所で見た記憶が。興味尽きない永濯だけれど、東博の所蔵は、この作品と「黄石公張良」のみなのかな?。永濯展はまだまだ遠いかな…

 

落合芳幾(1833~1904)「五節句」明治時代19世紀  隅から隅まで見どころ満載。

おとぼけイヌ

四季と富貴の着物の柄の美しいこと。牡丹、なでしこ、菊、あじさい、水墨のような月と梅。

ちさかあや「狂斎」を読んだところなので、登場する芳年の兄弟子と思うと感慨深いものがあったりする。

2に続く

 

 

 

 

 


●東博1「博物館に初もうで イノシシ勢いのある新年」

2019-01-16 | このブログについて

恒例の「博物館に初もうで」の干支特集(2019年1月2日(水)~1月27日(日))

ここ数年の干支特集を振り返ると、猿は猿社会のなかのコミュニティー性、鳥は装飾性、イヌはひとの暮らしの中にとけこんで、、とざっくりそんな概観だった。

さてイノシシは美術の中でどんなキャラクターなのか。

タイトルには「勢い」とある。多くの展示作も、予想を裏切らないイノシシの勇猛な姿だった。そんな絵を通して、日本人の中に猪突猛進なイメージが刷り込まれてきたということなのかな。

イノシシの装飾品は少ないのだそうだけど、その分縄文から、そして多方面からのアプローチだった。こんなとこにも登場していたの、という意外性もあり、楽しい展示だった。

毎年思うのだけれど、猪が主役の大作はもとより、重箱の隅をつつくようなところに小さな猪の絵を見つけ出してくる、東博の学芸員さんたちを尊敬してしまう。

パネルの解説に、日本のイノシシは、まだ大陸と陸続きだった時に渡来し、二ホンイノシシとリュウキュウイノシシがいるとある。

積年の謎だった、中国の干支ではなぜイノシシではなくブタなのかも解決。中国語では猪・亥はブタ(家畜化されたイノシシ)のことだそう。中国では漢時代にはブタの飼育が一般化していた。日本ではイノシシの家畜化は進まなかったのね。

そのようなわけで、1章:イノシシと干支では、中国のブタ製品が並ぶ。多産や財の象徴であるブタに願いを込めて、死者と埋葬された、手のひらサイズのブタたち。

前漢(前2~前1世紀)「灰陶豚」くるんとしたしっぽがすてき。

 

日本では、縄文時代の出土品から展示が始まっていた。

2章:イノシシと人との関わりでは、縄文から弥生時代、古墳時代へと、イノシシと人とのかかわり方から社会形態の変化を示していたのが興味深く。中国と違い、「イノシシ=狩り」という”対野生”の姿勢が一貫している。

縄文時代の土のイノシシは、犬型土製品と組み合わされて出土されることから狩りの成功を祈ったのではとあるけれど、うりぼうにきゅんとして思わず造形しちゃったのでは、と思うかわいさ。子孫繁栄、狩りの安全などさまざまな解釈がなされるらしい。

猪形土製品 青森県つがる市木造亀ヶ岡出土 縄文時代(後~晩期)・前2000~前400年

 

弥生時代では、袈裟襷文銅鐸伝香川県出土 弥生時代(中期)・前2~前1世紀。高床式の建物に、杵でうすをつく様子も描かれ、農耕社会の様相。イノシシはまさに弓矢で狩られるところ。

 亀もかわいい。 

 

古墳時代には、古墳の副葬品の埴輪として。当時の狩猟は、王がおこなう盛大なイベントであったとある。1500年前の人たちも、ブタっぽい鼻と長い顔の形に留意して造っている。

埴輪 矢負いの猪 (伝我孫子市出土)6世紀矢が刺さり、たてがみを建てて興奮するイノシシ

 

 それから一気に時代が進み、3章:仏教のなかのイノシシへ

イノシシが仏教美術のなかにこんなにも溶け込んでいたとは。

ひとつは、金剛界曼荼羅の中に、イノシシの頭を持つ「金剛面天」。ヴィシュヌ神は生類救済のために10の姿で地球に表れ、その第三の化身がヴァラーハ(イノシシ)。

金剛界曼荼羅旧図様  平安時代・12世紀

 

もう一つは、イノシシに乗った「摩利支天」イノシシも摩利支天もこの猛進ぶり。陽炎を神格化した摩利支天は、ゆらめいて捉えられないことから戦国武将に信奉された。

仏画図集 (江戸時代)切れ長の目も、白描で現した毛並みも良いなあ。

 

目貫の摩利支天といのしし。他にも、小柄や脇差しといった武具の装飾にイノシシの突進するモチーフが。

 海野盛寿の目貫の摩利支天 江戸時代(19世紀)両者の眼、猪の毛並み、雲といい、感嘆。

 

北斎漫画のなかの摩利支天のイノシシは、正面向きに突進してくる。思わずよけてしまう。

 

仏教といえば、涅槃図にもいたのだった。うりざね型がかわいい。

仏涅槃図 室町時代(15世紀)(部分)

 

絵巻では、イノシシが主役ではないけれど、十二類合戦絵巻(模本) 下巻狩野養長 江戸時代19世紀に登場。狩野養長(1814~1876)とは初めて聞くけれど、肥後細川藩のお抱え絵師。年末の永青文庫「江戸絵画の美」展にも、養長筆の博物図譜があった。木挽町狩野最後の当主・狩野雅信(勝川院)に師事したらしい。

干支に恥をかかされたタヌキは、十二支軍に戦いを挑み、愛宕山に籠城する。

「殿、門が突破されました」な感じ

「なにっ(狼狽)」的な。

イノシシは十二支軍の先陣を務める。豪胆な感じ。

龍たちの迫力。

最後はタヌキはちょっとかわいそうだったけど、よく頑張りました。

 

「富士の巻狩り」を描いた二つの作品も、大胆な構図に一目でひきこまれる。1193年に源頼朝が開いた大巻き狩り。このときに曽我兄弟の仇討事件が起こったのだった。

岩佐又兵衛周辺の作といわれる「曽我仇討図屏風(右隻)」江戸時代17世紀

さすが又兵衛工房、すばらしいライブ感とスピード感。

 

個人的は動物がとてもかわいいのにくぎ付け。

この絵師の描くウサギはとてもかわいい

白うさも茶色うさもかわいい。

画中には3頭のイノシシが登場。そのうちの巨大イノシシを、新田史郎が殺める。

 

もう一作は明治時代。結城正明「富士の巻き狩り」1897南画のようにうねる山に滑り落ちる富士がどこかシュール。

こちらの動物もひねりがきいてて、逃げ惑う感が。

 

霊獣とすら思わせる大いのししとの死闘。。

 

最後の6章では、博物図譜、京都画壇と、写実的に描かれたイノシシ。

博物図譜では、細川家、伊予大洲藩主に関係するものが展示され、江戸後期の大名たちの博物学への没頭ぶりをここでも感じる。

「諸獣図」江戸時代19世紀細川家の「珍禽奇獣図」との関連が指摘されている。(雌、雄の展示のうちの牝)

表裏のひづめの形状、固そうな毛並み、ボリューム感まで丁寧に再現している。

 

岸連山(1804~59)の「猪図」は、まさに猪突猛進。飛び出してきたスピードを、筆の勢いがそのまま表す。足やひづめ、体躯の墨の濃淡にも見入ってしまう。

 

一方、望月玉泉(1834~1913)の「萩野猪図屏風」江戸~明治時代は眠るイノシシ。「臥猪(ぶすい)」は「撫綏(鎮めて安泰にする)」に通じる天下泰平を願った画題とのこと。それで巨体に似合わず、かわいい顔ですやすや眠っている。

金砂、金泊の背景から、つゆ草や萩までとてもきれいだった。

応挙が、「寝ているイノシシの絵」の注文を受けた話を聞いたことがある。変わった注文主だな?と思ったけれど、そうか吉祥画題だったのね。応挙は、出入りの柴売りの者に、寝ているイノシシを見かけたらすぐ知らせるよう頼んでおいた。すると柴売りから連絡があり、山を案内させて写生をしてきた。しかしその絵を見た、鞍馬山から来た老人が、これは病気のイノシシにそっくりだと感嘆。応挙が気を悪くしていると、なんと、柴売りから、あの翌日に例のイノシシがそこであのまま死んでいたことを聞いた。逆にその写生力にさすが応挙と評判になった、という話。...玉泉のイノシシはさてどちら??。 

 

最後は浮世絵。見立てが楽しい。

葛飾北斎「見立て富士の巻狩」1803

大黒天が打ち出の小づちでしっぽをきろうとする。皆が満面の笑みでとってもごきげん

 

大小暦類聚 1791は、亥年の絵暦をまとめた一冊。さまざまな絵がとりあわされるなかで、これがツボ。

 

仮名手本忠臣蔵にも、イノシシが登場。わき役なのだけど、存在感あって、おもしろい感じになっちゃって。

北斎

 

歌川豊国の「浮繪忠臣蔵・五段目之圖」はイノシシがもっと前面に。

マイペース感がおもしろい

最近は農地や住宅でもイノシシの害が増えていることが時々報道されるけれど、江戸時代にもこんなふうに田畑に出没することがあったのかな?。

 

イノシシの造形は、狩りの対象であるとともに、猪突猛進で大きく手ごわい存在に向ける、どこか神聖視する眼差し。一方で親しみもあり。イノシシの役割は、多彩だった。

来年の干支は、ねずみ。ちょっと苦手な動物。おにぎりころりんや鼠草子のように物語に小さく描かれたのはかわいいけれど、博物図譜みたいにどどんと細密に描かれたのがあったら、逃げだしてしまうかも。