野間記念館「四季の彩りと趣き 十二ヶ月図展」
2019年1月12日(土) ~ 3月3日(日)
野間記念館はいつも奥の部屋は色紙の部屋だけれど、今回は全ての部屋が十二か月セットの色紙で埋めつくされている。
小さな作品とはいえ、41名×12枚=492点。好きな作家を優先して見たけれど、それでも時間が足りなくなってしまった。
色紙の小さな画面でも、その画家の大きな絵で見る世界が凝縮されている。
日本画っていいなと改めて思う。花一輪でも気が漂い、枝一本で季節が広がる。描きこまない背景にもその空気感が漂う。
画家の目によって小さく切り取られたそれで、鈍感な自分だったら気付かないであろう季節の移り変わりを、まるで自分が気付いたかのように見て、喜ばしくなる。
むしろ、自分の中の季節感というのは、こうやって古今の誰かの描いた画を見て自分の中に浸透したイメージと、自分が実際に見た自然の記憶とが折り重なってできているのかも。
特に心に残ったものの備忘録。
*
一章:十二ヶ月図の佳作
~川合玉堂・上村松園・鏑木清方・伊東深水・小茂田青樹・山村耕花・堂本印象・福田平八郎・山口蓬春~
<上村松園>1927年、52歳頃の作。
美人画で張り詰めた究極の線を見ることが多いので、色紙の多少かすれた即興的な線が新鮮に見える。ちょっと洒脱な趣きの12ヶ月。
8月「月見」 美人も足を崩しくつろいだ様子。それでもやっぱり着物がセンスいい。
11月「砧」
ササっと描いても、はっとするほど美しい目元だった。
12月「降雪」
雪見る美人はちらりとお歯黒が見え、なまめかしい目をしている。
そんな美人のあいまに、6月「新竹蛍」ど花鳥だけの画が織り込まれているのも、肩の力の抜き具合がすてき。一枚一枚もいいのだけれど、12枚としても調和がとれているのだった。
<小茂田青樹>1928 37歳頃の作。
見過ごしそうな小さなもの。切り取ったものはシンプルに少しだけなのに、そこから広がる世界はとても広く趣深く。だから次に足が進まないのだった。小さな画面だからこそなのか、色と形と配置、流れ、とてもおもしろくて。
1月「若松」は、金地に、上へと伸びていく小枝の先端の新芽のところもポイント 。6月「梅雨」は、とくにお気に入り。葉の合間に青梅と、それよりもずいぶん小さいカタツムリがかわいいなあ。葉もとてもきれいで、その先端から雨が滴っている。緑と茶色っていいなあ。
7月「百合蝶」は、真っ白な百合に留まる蝶はとても細密に描かれている。8月「玉蜀黍」に巻き付く朝顔が夏の終わりの風情。葉の先端、つるの先端まで良くて、くまなく目が誘われてしまう。9月「葡萄」は豊潤に実った巨峰は、枝のつき方が実はひとひねりある。イメージだけで描いているのではないのだった。10月「稲穂」も、いいなあ。首を垂れた穂にはキリギリスが留まっている。稲の一粒一粒がきちんと描かれていて、これは感謝の念すら浮かんでくる。
小さな景色の中には、さらに小さな発見やできごとに満ちているのだった。
<堂本印象>1933
墨と着色の作品。墨の作品がとくに心に残る。
1月「老松に瀧」、2月「古松に白梅」、墨の色は大観が使っていたような漆黒の温かみのある黒色で、濃淡も表情豊か。光を印象的に描きだしている。
4月「柳につばめ」、5月「土筆に鳥」、鳥がどれもかわいくて。
12月「竹林に雪」は、奥行きのある墨の濃淡の背景の上に雪が舞っている。小さなササの葉がいいなあ。風の向きと逆に、低い位置を水平に鳥が飛んでいく。
<福田平八郎>描かれたものは極めてシンプル。でもいろんな会話が聞こえそう。
1月「ササの雪」は、雪の乗った細い枝がたった二本、9月「芋」はサトイモの葉が一枚だけ。4月「牡丹」はほんのりとてもきれいなピンクの牡丹が一輪だけ。なのになのに(!)。どれもこれだけで、何も描かれない背景の空間に空気まで見える気がするし、5月「金魚」は、二匹の金魚以外は何も描かれていないけれど、それは水中に見えるし、色紙を超えて水槽が広がっているし。二匹の金魚のそれぞれの向きによるのか、金魚の絶妙な大きさによるのか?。
モチーフと空間との遊びにも思えてくるけれど、なんなら8月「朝顔」は、ほんとの遊び心なんだろうか?。青、白、赤の朝顔の花だけが、重ねられ横一列に並んでいる。その色の美しいこと。朝顔の花はもう手折られているけれど、やわらかで瑞々しく、白いところは透けるよう。ガクの緑も楚々とさわやか。
平八郎の色がほんとうに美しかった。11月「柿紅葉」も、茶変した柿の葉を3枚、虫食いの穴まで正確に写し取っている。そのオレンジ色はとてもきれいで、「色」に抱く平八郎の愛情なんだろうか。色が喜んでいる、そんなことを思ったり。
2章:四季の彩り~花鳥画
徳岡神泉、上村松篁、山口華楊、石崎光瑶、山川秀峰、木村武山、橋本静水、郷倉千靭、田中青坪、榊原紫峰、木島桜谷、宇田荻邨、池上秀畝、荒木十畝、
<石崎光瑶>1928 ここで見られるとは(嬉)。金沢で屏風や掛け軸の大作に見た、琳派と写実を”熱く”融合したような感じが色紙にぎゅっと。
5月「芥子」は赤白の妖艶なケシの花。6月「つる花」は、ミクロ的にうすいレースのような珍しい花。インドで見たのかな?。葉は光瑶独特のたらしこみ。10月「粟」はよく実って首を垂れた穂に、これも葉が独創的。葉の表面に偶然の産物のように水の軌跡を見る。
写実的な花に、葉のたらしこみの偶然が混じりこんで、不思議な感じでもあり、一作一作が神秘的な一瞬の光景のようだった。
<郷倉千靫>1931 どことなく無常感の漂う12ヶ月。
8月「かひで」は青楓に赤い種がつき、輪廻の輪のように描かれている。蝉もいるからいっそうそう思うのかな。3月「豆花」は特にお気に入り。つるの先端が生気を吐き、カミキリムシがいる。背景の薄墨のせいか、やっぱりこれも輪廻の輪の中にいることを見ているような気がする。
<木島桜谷>動物たちが、桜谷の大きな作品と同じようにまるで生きているかのように、小さな色紙に再現されているのに感嘆。
トラは咆哮し、キツネの目は鋭くヒール感たっぷり。かすれた勢いある筆でさっとひいたわずかな枯れ草だけで、野の雰囲気そのものになっていた。一作一作の自然と動物の切り取り方が迫力で、抒情なんて甘いものではなく、ぐいぐい訴えてくる。
筆にも見惚れてしまう。「藤」の蜂は、羽ばたきが見えるほど。秋の「鶉」や「百舌鳥」は、ざっと描いた枯葉がかっこよくて。
動物だけでなく植物を描いても、桜谷はドラマティック。「柘榴」のひび割れに妙に見惚れてしまう。「菖蒲」の下にはアメンボがいる。桜谷と自然との距離が近く、ほとんど鼻つきあわしている位置にいる。
圧巻だった。
<山口華楊>1928
院体画のような気が漂っている。動物を神秘的に描く華楊だけれど、花も神秘的なほどに美しかった。いや、葉まで美しい。一輪、一枝、一羽は華楊が描くと特別な命を吹き込まれたように表情豊か。なのに、たまに微妙にかわいかったり。語彙がなく苦しいけど、12枚すべてうっとり。
1月「稚松四十雀」、松葉数本を四十雀がつかんだ瞬間。
2月「八重椿」白い椿がはっとするほど美しい。葉は裏まで美しい。表は墨、裏側は白緑で、両方で作り出す光景。
3月「桃花燕」一つ一つのつぼみがかわいい。鳥も細密。
4月「青麦」数本描いていあるだけなのだけど、何とも言えずよくて。
5月「さつき子雀」一枝のさつきを見上げて地面に立つ小さな雀。両者の間合いが絶妙で、間の空気感までうっとり。
6月「若鮎」鮎と青梅がひとつころんと。それで独特の間合い。
8月「瓜きりぎりす」キリギリスの目おちゃめ。足の出方が不思議なのはなぜ?
10月「柿に栗」大きな柿の実ひとつに、イガイガの栗が一個、栗の実が一個。イガイガの細い線がファンタジー。栗の実もころんとかわいい。目が遊ぶ。
11月「山茶花」花が1輪とつぼみが、下から。ため息がでるような神秘的な美しさ
12月「寒雀」目がかわいい。ちょっとキョエちゃんみたい😊。
3章:美人画、歴史画
窯本一洋、山川秀峰、生田花朝女、北野恒富、木谷千種、鴨下晁湖、中村大三郎、伊藤小坡、吉村忠夫、 勝田哲
<伊藤小坡>は楚々とした女性たち。しぐさの細やかさが印象的。
<木谷千種>の美人画は妖艶。この妖しげな目線が12ヶ月。。
<中村大三郎>美人の着物の柄に題の花があしらわれている。洒脱な美人たちの目線が魅力的。色もきれいだった。6月「星」は星の模様の着物。11月「菊桐」は菊児童、12月「雪玉」は雪女?赤い唇が印象的。
ゆっくり見られなかったけれど、他にも初めて知る画家が印象的だった。
<松本一洋>古い絵巻を見ているよう。
<生田花朝女>おおらかでどこか童心を保ったような。祭りや踊りの作品は、古い風俗絵巻のよう。何月だったか、空を仰いで手を伸ばす子供たちが印象的。
*
いつのまにか逆回りで見ていて、大大好きな二人、<上村松篁><徳岡神泉>が最後になってしまい、閉館間際になってしまった(泣)。しかもどちらも永遠に見ていたいほど、美しく神秘的だったのだ。
松篁は、多くはたった一輪。画面の上下左右斜め、いろいろなところから顔を出してくる。3月「菜の花」、9月「つゆ草」(虫もいる)、10月「菊」(ごく薄い墨)、12月「白山茶花」などとくにお気に入り。神秘的でもあり、ほっこりもする。
徳岡神泉は、私の雑多な言葉じゃ表せない世界。霊的なほど美しい。
10月「菊花」
8月「睡蓮に糸蜻蛉」
この二人だけでも、もう一度ゆっくり見に行きたい。。。