はなな

二度目の冬眠から覚めました。投稿も復活します。
日本画、水墨画、本、散歩、旅行など自分用の乱文備忘録です。

●「上村松園ー美人画の精華ー」続き

2017-09-17 | Art

「上村松園ー美人画の精華ー」1章(日記)の続き

松園以外の画家の美人画も、存在感ある女性たちばかり。男性画家の絵もすらです。たとえば、守ってあげたくなるよなふわわんとした女性だったり、妄想の女神とかミステリアスなマドンナだったりとか、そういう女性像ではなくて(そう言う絵もいいけれど)、対象をまっすぐに見て描いた女性像を中心に集めたのではという印象でした。

以下いつものだらだら備忘録です。

2章は、文学と歴史を彩った女性たち

・小谷津任牛(1901~66)「朝・夕のうち夕」1951 古径の弟子だそう。弟子の三牛=土牛・村田泥牛・任牛。きっといい人そうな気がする。「夕」は、一曲の屏風。天空の青を背景に、大きな機織り機の前に物思いを抱える織姫。織機にかかった真っ白な布、織姫の衣のピンク、空の青と、色も印象的。魚やウサギの模様もロマンティックな感じ。筆目が残してあった。もう一曲には彦星が描かれているそうなので、一双で見てみたいもの。

 

・月岡栄貴(1916~97)「鉢かつき姫」1981 大きなお椀を頭にかぶった姫のお話は、子供の時に、小学館「日本の昔話」で読んだ。姫の母は亡くなる前に、きっと姫を守ってくれるとこの鉢をかぶせた。それから姫は鉢をからかわれ継母にこき使われながら生きてきた。月岡栄貴は、青邨に師事したとのこと。タッチは青邨に似て、壁画のような風合い。落ち葉の散る寒い中、水くみに来たのか、運命に翻弄される姫をドラマティックに描き上げていた。この姫は、私が子供心に思っていた、小さいのに母を亡くして一人ぼっちになったかわいそうな姫ではなくて、女性的な激しさも秘めた若い女性に成長していた。

 

森田曠平(1916~1994)は三作。歴史上の女性像を多く描いたそう。キッとした目に独特な雰囲気をまとう女性たち。

「出雲阿国」1974は、大きな金の屏風絵。舞いの激しい動きに、人物が画面の外に踊りだしてきそうな。

等身大程の目の前の人たちの目線の強さに、目を見張ってしまう。ただでさえ切れ長の目力はシャープなのに、被り物でますます強調される。そして色が強い。男装の阿国の羽織物は紫。わきの4人も着物も手拭いも派手。世を沸かせたかぶき踊りは、度肝を抜いてなんぼ。かぶいてなんぼ。小物までいちいち見もの。印籠に青い巾着袋、ロザリオ、阿国の被る笠の模様は螺鈿のよう。安土桃山の新進にして絢爛な空気を想像した。

 

「夜鶯(アンデルセン童画集より)天使の涙」1985

ナイチンゲールの美しい鳴き声は、帝の心の琴線に触れ、はらはらと涙が。ナイチンゲールのいたいけな姿にジーン。横に詞書があるけれども、その字が師の安田靫彦に似ている。そういえば舞う女性たちの姿もどことなく靫彦に似ているような。

 

「百萬」1986は、観阿弥作の能。子供を探す狂女が川を渡ろうとする場面。目は正気ではないのだけれど、美しい着物、青い波と、完成された絵だなあと思う。本来は笹をもっているのを、絵では桜を持たせているのは、場面の嵯峨野という設定によるとのこと。

こうしてまとめて見る機会に恵まれると、森田曠平の絵をもっと見てみたくなる。歴史の一場面として、その国や時代がビジュアライズできて面白かった。

 

・小山硬「想」1981も、歴史上の女性。大友宗麟の妻、ジュリア。

 

小林古径では3点。

「小督」1901、こんなに初期の絵は初めて見た。やっぱり上手い。18歳の男の子が描くとは思えない、淋し気な女、悲しみに暮れる侍女。わびしい住まい。小督が弾く想夫恋の琴の音。高倉天皇の寵を受けた小督(こごう)は、清盛によって追われる。帝の命で小督の行方を捜していた源仲国が もう一幅に描かれているそう。

 

「河風」1915は、浮世絵を連想させるが、卑俗さは払しょくされており、ユニークな水は紫紅の影響、と解説に。

余計な線がどんどん減っていく。顔は艶めかしくも、仏性につながっているのではと思うほど。土牛の旧蔵品。

 

清姫(1930年)のシリーズのうち、「寝所」と「清姫」が展示されていたのも、たいへんうれしい。日本画の教科書展で「鐘巻」「入相桜」を見た時(日記)には、清姫の哀しい姿に寄り添うように描かれた古径のやさしさが、切なく。だから今回も、その流れで見てしまう。

とはいえ第2場面の「寝所」では、不穏な影が物語の始まりを暗示している。

屏風の牡丹、揺れる灯が赤く艶めかしく。物陰からそっと僧を見る姫は、手を伸ばす。畳に流れる一すじの髪は、蛇のように僧のほうに這っていきそう。若い僧の唇は赤く、一途すぎて(思い込みの激しい)姫を夢中にさせるのに十分。

第4場面の「清姫」、僧を追いかけて山をも空をも超える。

画像で見ていた時には、なびく黒髪に妄執を感じていたけれど、こうやって実際に見ると、(わりに太めな)足がしっかり描かれ、一生懸命走っている。怖いというよりも、なんだかね、まっすぐすぎなんだ、この姫。

清姫は画面の右よりに描かれて、まだまだたどりつくには距離がある。次の第5の場面「川岸」では、安珍は画面の左寄りに舟ととも描かれてて、もう逃げおおせたかと思えたのだけど...(合掌)。

 

・片岡球子の一点が「北斎の娘 お栄」1982だったのは、なんてタイムリー。

18日には、NHKのドラマ「眩」でお栄を宮崎あおいさんが演じるし、10月6日からはあべのハルカスの北斎展でお栄の肉筆も展示されるのだ(喜)。球子がお栄を描いたのも意外というか、なるほどというか。長いキセルを持った、堂々と気の強そうなお栄。着物の着方だっておおざっぱ。官能的なほどの大柄の花の着物は、お栄の画を念頭に置いてのことかな?。

 

3章は、舞妓と芸妓。ますます華やかさを増してゆく。

お気に入りはこの二点。

・奥村土牛「舞妓」1954

土牛は、動物の眼が楽しいから 動物を描くのが好きなんだと言って、魚や牛を描いていた。そのくるくる生き生きした眼はなんともいえずかわいらしくて、孫を見るようなやさしい土牛の視線を感じたのだけれども、まだあどけない舞妓さんの眼も、牛や魚と同じ(笑)。土牛はかわいい動物みたいに愛でている。だけどちゃんと、舞妓さんの晴れ舞台を迎える気持ちを尊重して、舞妓の格ともいえる着物や帯も美しく。祇園祭の日の舞妓さん。

 

小倉遊亀「舞う(舞妓)」1971「舞う(芸妓)」1972

伸びやかでおおらかで、いいなあ。姉さん芸妓は、新米舞妓の動きを迎え入れるように、手の動きや角度を工夫したとのこと。舞妓の初々しい一生懸命さもかわいいなあと思うし、姉さん芸妓の余裕もあこがれる。

器の大きな女を描かせたら、小倉遊亀って素晴らしいなあと思う。先斗町の料亭「大市」の実在の女将を描いた「涼」もそうだった。この芸妓と舞妓も、その大市で三日間にわたり衣装を着けてもらって描いたそう。金地の厚み、着物の柄までとても細密に気を払っていた。

 

4章は、古今の美人ー和装の粋・洋装の粋

伊藤小坡「虫売り」に再会できたのもうれしい。やっぱり隠れた顔になまめかしさが。(日記:山種美術館 松岡美術館

この青い市松の屋根が不思議だったのだけれど、江戸時代の風俗書の「虫売り」の項に出ているのだとか。虫売りの画は好評で、数点制作されたそう。

 

・伊東深水は全部で5点も深水は、いつもリスペクトをもって女性を描いている気がする。それとも深水が描く対象が、そうさせてしまう魅力をもっているからなんだろうか。

「吉野太夫」1966

吉野太夫は世に聞こえた美貌とともに、幅広い知性と美的センスを持ちあわせ、豪商の息子、灰屋紹益に引かれた後はその優れた人格で灰屋の家族にも認められるようになったという、スーパー女性。穏やかな金地に、なんてあでやかにたおやかな。 顔の気品と知性、それでいて心の広やかさもあって、あこがれてしまう。

 

「婦人像」1957は、小暮美千代だそう。金、赤、漆の黒というこのゴージャスな色に負けてない。一般人にはない女優オーラ。

この妖艶さ。こうやって堂々とトップ女優はるまでになった、この人の生きざままでもがこの微笑みに昇華してるんでしょう。漆の机にも映っている。

 

「紅葉美人」1947は、柏模様の着物。大正から昭和のモダンな。深水は現代風俗を重視する一方で和装の美しさも大切にしたとのこと。

 

 「春」1952は、少し抽象のような、キュビズムのような。抽象画が流行した当時の時代も関係あるのかな?。

 

今回のもっとも謎な一枚はこれ。

池田輝方のおおきな屏風「夕立」。額堂に集う雨宿りの六人。

右隻

美人画というより、男性のイケメンぶりに目が点。なんだろうこの色っぽさは。女性よりずっと男性に力が入ってる。しかも対照的なタイプの二人。

”袖をまくり上げた白いシャツからのぞく、力強い彼の腕”って、女性がくらっとくる男性のしぐさランキングに入るよね。

こちらは、色白乱れ髪の悩まし気な。先ほどの男性はひげの剃り跡が青かったけれど、こちらは女性より美しい陶器肌。もしや男性に好まれるタイプなのだろうか。その辺りはわからぬ。

どなたの解説だったか、そして誰の絵だったか、ひざから下があらわになった男性の浮世絵は、顧客の奥方様達へのサービスショットだなんて聞いたけれども、これもそうなのかしら?。

婚約中の池田蕉園のもとから失踪したなんて経歴を持つ輝方の、危なげな世界。なんにしても、耽美な屏風だった。

 

浮世絵では、春信、清長、歌麿と充実。なかでも月岡芳年の「うるささう」「いたさう」などの形容詞シリーズは、見もの。たいへん鮮やかな刷り昔も今も、やってることや考えてることはそう変わらないなと、くすっ。「買いたさう」は福寿草を買おうか迷っている、寛永年間のおかみさんの風俗。「にくらしさう」は着物がゴージャス、安政年間名古屋嬢の風俗。名古屋嬢って言葉が当時にもあったとは。「うれしさう」は蛍狩り。手で捕まえてる!丸いあかりがかわいいなあ。

 

菱田春草「桜下美人図」1894も、見もの。20歳の作。春草は浮世絵の研究もしていたのね。線も流暢、足元のタンポポや、散る桜も美しい。が、左端の妙な小動物は何だろう?。犬に見えない。浮世絵のなにかと宗達の犬を混ぜたような??。

 

第二室のほうでは、京都絵美さんの「ゆめうつつ」2016年が、印象深かった。

思いのほか時間がかかってしまいましたが、満ち足りた気持ちになる展覧会でした。15センチの近さでじっくり見られる山種美術館はほんとうにありがたいです。

本日の和菓子は、古径の「清姫」をイメージした「道明寺」を

怖い清姫じゃなくて、かわいらしく作ってあるのが、古径の思いに沿っているようでうれしく。コーヒーと一緒に。

9月26日から展示替え。浮世絵が入れ替わります。