hanana

二度目の冬眠から覚めました。投稿も復活します。
日本画、水墨画、本、散歩、旅行など自分用の乱文備忘録です。

●葛飾応為

2016-04-23 | Art

この日のテレビ東京「美の巨人」は、北斎の娘、葛飾応為

東博で見て魅かれていたところにタイムリーな番組。番組の備忘録です。

 

葛飾応為「夜桜美人図」


メナード美術館所蔵。
これは上野の不忍池の観音堂とのこと。以外と身近なところだった。

灯篭の明かりで、歌人の秋色女が句を書いている。

 

ネット画像で初めてこの絵を見たときは、不思議な感覚だった。浮世絵というより、絵画。

その秘密を、番組では異色な方々がコメントしていた。

石灯籠については、茨城の真壁町の石工、加藤さんという方。
”大きい方は、常夜灯だけれど、くびれがつきすぎ。これじゃ折れちゃう。でも色っぽい。
小さい方は雪燈籠で、足元用。でも人物に近すぎ。”

光の効果を計算した応為の作為がいろいろあるようです。

さらに、照明デザイナーの石井幹子さん(!)も。
”10ルクスくらいの灯り”とのこと。
どこもかしこも明るすぎる現代と違って、照明も少ない江戸時代の夜。

石井さんは、”灯りの環境としては当時のほうが美しかった”、と。

さらに、燈籠明かりが短冊を照らし、その短冊からの反射光が、手を照らしている。 

細やかなライトアップの技”と、現代の光の魔術師も認める技だった。

 

大平貴之さんというプラネタリウムのデザイナー?の方は、日本の絵画では描かれるのが珍しい星空の秘密を読み解いていた。

ひとつひとつ、星の等級を意識したかのように色が描き分けられて、それが質感や奥行きを生んでいるという。

胡粉で下塗りをし、その上から赤や青で点を落とし、その上からにかわをかけて、つやっぽく仕上げている。

その点も、ひとつじゃなく、またたきを表すために、一つだったり、二つだったり。 

 

応為は、よく星空を見上げていたんだろうと思います。

暗い江戸の街の夜は、星もきれいに見えたでしょう。月のない暗い夜だから、こんなにつやっぽく美しいシーンが。

 

それにしても、やっぱり手に目がいってしまう。なんて美しい白さ。ちょっとしなだれるようなこの手の色気。

手の美しさは、つい目がいってしまう。できれば白くてしっとりした手でありたい。

応為の細やかな目線とでロマンティックな感性。

 

でも、伝聞では、応為は、そういう女子力高いタイプじゃないらしい。

応為は、名をお栄といい、北斎の二度目の妻との子。
絵師の南沢等明に嫁ぐものの、夫の腕前をコバカにしたとかで離縁。

美人ではなくガサツ、着るものなども無頓着な性格だったらしい。

北斎の弟子が描いた絵をみると、なるほどです。

「北斎仮宅の図」

杉浦日向子さんの「百日紅」を読むと、やはりガサツ系。かわいいとこもあるんだけれどね。粋だしね。


出戻り後は、北斎の絵の手伝いをしていたそう。

北斎の絵は、これは女性が描いたのかな?と思う絵がたまにあります。(素人の無知で言うのもはばかられますが)

年始めの国立博物館で見た、北斎の「扇面散図」


うっとりしました。

赤一色の扇と、藍色に赤い牡丹の組み合わせも、とってもきれい。黒、白、赤、藍に、最後に開きかけた中間色の扇がのっている。全体的にもすてきだなあと。

なんと、北斎90歳の作と。

北斎がいくらタダモノでないとしても、この筆致の確かさ。

この時代、彩色は工房の弟子にさせることも多かったそうなので、彩色は弟子か応為なのかもしれません。

感覚的に女性っぽい気がするし。

 

「唐獅子図」は、獅子の部分を北斎が、周りの牡丹は応為が描いた合作。

鮮やかな色彩の牡丹。これが応為なら、扇面散図も。。

 北斎も、花の絵はたくさん描いています。この本はとっても楽しい本(^^)

 

東博で見た、北斎の「牡丹に蝶」

扇面散図や唐獅子図とちょっと違うテイスト。

少し脱線して、北斎の春画。岡田美術館などで見ると、なんとなく女性目線ぽいような気がするのですよ。
でも、これは的外れかもしれない。
美人画を描かせたら栄にはかなわないと北斎は言っていたそうですが、「百日紅」では北斎は、お栄は春画とかそっちのほうはさっぱりって言っていた。春画も手伝ってはいたそうですが、どうなんでしょうか。

北斎をもうちょっと勉強しないとわからない。

 

番組では、夜桜美人図の着物のすその赤色についても触れていました。

女性の情熱を感じさせる赤。

きっと恋に焦がれる色なのではないかと思います。

お栄の人柄は、ガサツで・・などど伝えられていますが、彼女の内面はそこで片づけられるともったいない。

女心や秘めた思いは彼女の心にもあり、当代のどの絵師も触れなかった光の美しさを、彼女は見つめていた。

応為の絵に心惹かれるのは、北斎譲りの画力だけではなくて、ガサツで無愛想さに隠された、お栄の心の熱さや揺れや繊細さが伝わるからだと思うのです。


●奥村土牛展 山種美術館

2016-04-17 | Art

奥村土牛展  山種美術館   2016年3月19日(土)~5月22日(日)

 
先日行ってきました。
東京・京橋生まれの土牛(1889年–1990年 )、小さい頃体が弱かったため、家で絵を描いて遊ぶことも多かったそう。その画業、100年近く。
 
入ってすぐの「醍醐」1972 83才 光が満ちた輝きに目をみはってしまう。
 
この世とも思えないような、特別な優しい世界だった。つつまれるような感動。
 
それから、真ん中に大きく太く、じっくり描かれた幹。
やわらかなタッチの木肌ですが、幾重にも丁寧に色が重ねられている。
この絵のメインはもしや幹なのでは、と思う。
 
まるで、ひとのように見えてきました。
横の支柱は、おじいさんの杖のよう。
この木とこの杖は、静かに、寄りそうように支えあうように。
 
 そして年を重ねたこの幹から、今年もやわらかくやさしく花を咲かせている。
 83歳の土牛も、この桜に深い感動を感じて描いたのかもしれない。
 
 土牛は、人柄も実直で謙虚だっただそう。
 前田青邨が87才の時に、84才の土牛を描いている写真。
固まった土牛。大先輩に描いていただく緊張が伝わる。
 
「胡瓜畑」1927 38歳
 この日のトップ3に入る好きな絵。
脇役の竹の支柱すら、竹の感じが自然で、でもちゃんとしっかり見ていて。
 
巻きつくつる、かさついたロープ、少し透明感のある花。見え隠れするきゅうり
 対象をじっと見つめる、真剣な姿勢を感じるような。
胡瓜の生命力に対する心情が織り込まれてる。なんだかあたたかい。
 
 17歳で梶田半古の画塾に入門した土牛は、塾頭の23歳の小林古径から指導を受け、古径の部屋で住み込みしていた。
対象を目で触れるように包むように描いた絵は、二人に共通しているようにも思う。
 
土牛は古径の七回忌法要に訪れた帰りに、醍醐寺のこの桜に出会い、「まるで古径先生のような」と思った。そして描き上げるまで10年近く。
初めて古径に出会った時の印象を、「古径先生の美しいご人格に打たれて、こんなにも清らかな世界があるものかと驚いた感激は…」と言っていますが、まるで醍醐の桜の印象そのもの。
 
古径から、技術的なことだけではなくて、気持ち的な写生の大切さを教わった、土牛の言葉。
「外的な写生にとどまらず物質感、つまり気持ちを捉えること」。
「色はみたままでなく、色の気持ちを捉え、その色は精神を意味していなければならない」。
 
”イロノキモチ”、土牛の絵はまさにその通り。
「啄木鳥」1947  58歳
 「ごつごつ」とか「すべすべ」とか日本語の偉大な擬態語をもってもなかなか表現しにくい木の感触を、そのまま絵に表現されていて、しかもシンプル。
 
「枇杷と少女」1930 41歳
 これも大好きな絵。枇杷も女の子も葉っぱもかわいい、いい。当たり前のことしか言えないけど。
 
枇杷の実の色に、確かに色の気持ちを感じるような。
「色の気持ち」って、たぶん枇杷の気持ちなのでしょう。
 
「罌粟(けし)」1936 47歳
 
細部までじっくり近づいて見られる山種美術館の展示は、本当にありがたいです。
 
「雪の山」1946 57歳
 古径に買ってもらったセザンヌ画集から学んだことが多かったという。
たしかに面の捉え方がセザンヌのような。
 
「鳴門」1959 70歳
 観潮船から身を乗り出すようにして、新鮮な印象を刻み付けるように何十枚も写生。帰ってから、印象を堀起こして描いたので苦労した絵だそうです。
 
「城門」
 ど~んと立ちはだかる、腕白坊主的な。
 
自由でのびのびな子供のような感性。「書きたいと思った対象に恐れずにぶつかっていきたい」と。
いくつになっても守りに入らない、この姿勢。
 
「門」1967
 これも、土牛の子供のように新鮮な感性が、ここに興味を持ったのかな。四角の囲いのむこうに、小さな四角い穴。
光があふれている。どんなにか美しいと感じたのでしょう。優しくて瑞々しい光。
 
「茶室」1963
 これも面と線で切り取られたこの感じ、土牛もおもいしろいって思ったんでしょうか。
直線的な構図と逆に、古い壁は、いろいろな色が重ねられ、何百年を重ねた時間的な質感たっぷり。大徳寺の一休の庵居だそうです。
 
外の淡い光も、室内の薄明るい光にも、土牛的な光を描きだしているよう。
フェルメールのような差し込む光じゃないけど、そっと満たす、土牛ならではの光。
 
「泰山木」1958  69歳
もくれん科の花だそう。九谷焼の花器はお気に入り。
 
 「聖牛」 1953  64歳 
長野の善光寺に、インドから牛が贈られたと聞き、見にでかけた。
 
「しみじみとした愛と画心を覚えて、その気持ちで持って書けば稚拙であってもいい味わいの絵が」。
 出産後の牛に母の強さと気高さ。胡粉で塗られた白さは、聖なる感じ。
というか、かわいい!、ちょっと得意げな顔が(^^)。
 
このインド牛に興味をひかれた土牛に共感。東南アジアを旅すると、こんな白い牛によく出会う。だいたいやせているけれど。
 
「蓮」1961  72歳
 毎朝4時に起きて写生に出かけたそう。
生命の神秘みたいな。水面は白っぽく、蓮には仏教的なあちらの世のようにもかんじますが、この年に亡くなった方への追悼の意も込めたとのこと。
 
 この後は、80歳を超えてからの絵が並びます。
「朝市の女」1969 80歳
 能登の朝市で見かけ、その場の写生で足りず、この服を買って三男の妻に着せて描いたそう。
健康そうな小麦色の肌の売り子の女の子。
お魚の眼も、女の子の眼も、同じようなかわいさ。
動物の眼が楽しいから、動物を描くのが好きなんだそうです。
 
花も鮮やか。
「薔薇」1970 81才
 こちらを向くかわいい花と、丸くされたこれもかわいい葉っぱが、ともに遊んでいるよう。
邪心的なものが一切ありません。
 
「牡丹」1978 89才
 葉の色がきれい。色で遊んだよう。
 
薔薇も牡丹も、花も葉も、かわいらしく感じる、土牛の愛。
 
 一貫した姿勢がありながらも、90を超える年齢になると、どこか違う次元に入っているようにも。
筆致が変わってきたようですが、対象のとらえ方が、ストレートに本質に限っていて、よけいなものなく描き出しているように思いました。
 
「富士宮の富士」1982  93歳
 不思議な感じの富士だと思いました。
「平凡な構図の中でどれほど表現できるか試みてみた」一枚。
93歳で新たなチャレンジ!
 
「犢(こうし)」1984  95才
 
お母さんに隠れて、ちら見している子牛の眼がかわいい。
 
 
「山並み」1987  98才
 適当な言葉では、形容しがたいような。
胡粉とわずかな墨のにじみで描かれた富士と山並み。
 
95歳の「犢」の時からかもしれませんが、これまでのほんわか、優しい色彩とは変わってきたようにも。
より、よけいなものを捨て、わずかなもので表現しているような。
筆致も潔く、98歳でたどり着こうとする境地は、このようなものなのでしょうか。
限りなく到達を極めつつあるようでもあり、それでもまだ「未完」という言葉がぴったりな気もします。
 
 もう一度はじめから一周してみて、感じたのは、
若いころの作品には、土牛の意欲。
そして、80になっても90になっても、衰えないどころかますます増す、対象との出会いに対する喜びや新鮮な驚き。
年を取るにつれ、絵にわくわくが満ちていました。
 
101歳まで一貫して変わらなかった、謙虚で、愛情深く真摯な、土牛の感性。
明治から平成まで、これだけ世の中は変わったのに。
大きな変化、ドラマティックな演出、奇をてらったこととか、そういうものは一貫してありませんでした。
 
 
無口で、でもあちこちスケッチブックをもって写生に出歩いて、実はわくわくしていたおじいさん。
 「これから死ぬまで、初心を忘れず、拙くとも生きた絵が描きたい」(84才)
いつまでも未完成。
元気がでる展覧会でした。
 
 

●松岡美術館 館蔵日本画展の後期展

2016-04-13 | Art

松岡美術館 「館蔵日本画展」 2016年2月23日~4月16日

 前期展に続き、後期展に行ってきました。約半分が展示替えになっていました。
 
下村観山が5点。
 下村観山 「富士」 1918~1919
 
 
下村観山 「隠士」 1916
俗世間を離れて静かに暮らす人はこんなにストレスフリーな表情になるんだろうか。
観山は顔をいつも丁寧に描く。人柄、人生、境遇といったものを微妙に語るような眼がじんわりくる。
 
下村観山 「臨済」 1914
 臨済宗の祖。禅宗の中でも、激しい修行の宗派。静かなのに、圧倒的な威厳。握った手から放たれるパワーに、私の手もぐぐっと。
 
 下村観山 「山寺の春」 1915
穏やかな山中ながら、寂寥感漂う。
解説では、鞍馬山で修行中の源義経とのこと。登って行くその先には、満開の桜。
でもその樹の下には、卒婆塔が。義経の行く末を暗示しているよう。
歩く義経も明るい様子ではありません。予感がしているのに進むのをやめられないのがせつない。
 
 
 ここまでの4点、どれも少し青色を用いていた。
「富士」では爽やかに。
「隠士」では、差し色のように下げひもにポイント使いするとともに、梅にもわずかに青が入っているようです。
 
欲から脱している感じ。
 
「臨済」では、布地の模様に青。
仏画の文様によく出る象だけど、パステル色だと臨済がちょっとかわいくなってしまった。
 
「山寺の春」では、敷石に青が。心もとげな物寂しさ。
 
 一色でいろいろな雰囲気を生み出すものです。
 
  横山大観「梅花」1929
 古木が印象的。透けるような梅の花もちょっと幻想的。
 
 小林古径「丹頂」1942
 梅の枝の向きと鶴の身体とがともに、上に伸びあがるような。ラインはどれも命をもち、連動してつながる。
よくわからないなりに、古径すばらしい。
 
戦時中の作。「軍用飛行機献納 日本美術院同人作品陳列会」と目録にある。日本美術院が軍用機の寄付のための即売会を開催した時に出された作品のよう。
 
 小林古径「茄子」1940
 
最初はちょっと見てすぐ次に行ってしまった絵なのですが、二周目にもう一度見ると、足がつかまってしまう。
なぜか?。このシンプルな絵が放つオーラに、二週目の瞬間、波長が合ってしまったからでしょうか。
さらっと黒く一本で描かれた枝は、細くともしっかり、そして自由。
四方に好きに広がる葉も、小さくとも意志ありげな紫の花も、生命を謳歌しているような。
 ぽってりした茄子の実も、見れば見るほどよくて。黒のあいだの黄色がいい分量。
 帰り際に三度目、また戻って、またつかまる。
二度三度と見るたびに存在を増す、このシンプルな絵のパワーはなんなんでしょう。
 
 安田靫彦「羅浮仙女」
かなり描きこんだ靫彦の絵。制作年が不明のようですが、わりに初期の作品では。
魅惑のほほえみ。目線には、後年の顔独特のくせはまだない
羅浮仙女とは、広東省の羅浮山で、美しい女性に酒席に誘われて飲んでいた男が、朝に目覚めたのは梅の木の下。昨夜の女性は梅の精だと気付く、というお話。
羅浮山は、今でも景色が良い観光地らしく、お手軽トレッキングによさそうです。
 
前田青邨「紅白梅」1965
 書道のような。ポロックの抽象のような。
 
 奥村土牛「孤猿」1933
 こんなに小さいのに、しっぽの先までぴんと張りつめた子ざる。 
 
 
岩を超えてしまいそうな川の水
 だれも助けてくれない、小さい体でがんばっている。こういうの弱い。。
 
土牛は、孤児のこざるに愛情を感じて描いたそう。川は昇仙峡での写生、さるは動物園に出かけ写生をした。
梶田半古の画塾で、塾頭の古径から写生の重要性を教え込まれた。岩や水を見ると、わかるような気がしました。
優しく真剣な人柄を感じるようで、ますます山種の土牛展に早く行きたくなります。
 
 小笠原光「早春」1982
三毛猫にふにゃふにゃになってしまう~。
どことなくワイエスっぽい色彩。
ねこの影が、ちゃんと描かれているのが妙に嬉しい。
 
ねこの影にも、枯草の影にも、陽のあたたかさを感じるような。
 戸の木肌や、コンクリ土台も、ずいぶん前に枯れてかさついた草も、それぞれの質感が触感として伝わりました。
 
そしてねこの体温のほのあたたかさ。
 小笠原光さん(1948~)という方は、初めて知りましたが、秋田県の高校の先生や県立美術館で勤務しながら、制作を続けたそう。これは34歳の時の作品で院展に出品されたもの。
 
 今回もほぼ貸切状態で、ゆっくりとした時間をすごせました。
 
ここはカフェはないので、近くのオスロコーヒーでお茶。
歩道で中の白金マダムを待ってると思しきワンコが、オタオタしていましたよ。