hanana

二度目の冬眠から覚めました。投稿も復活します。
日本画、水墨画、本、散歩、旅行など自分用の乱文備忘録です。

●「上村松園ー美人画の精華ー」1 山種美術館

2017-09-13 | Art

「上村松園ー美人画の精華ー」山種美術館 2017.8.29~10.22(一部展示替え有)

山種美術館所蔵の上村松園(1875~1949)18点を一挙公開。

初見のものも多かった。松園以外の画家の作品も、松園に恥じぬ中身も内面もしっかり描かれた女性ばかり。雨の日に実は腰が重かったのだけれど、やっぱり行ってよかった

松園の美人画、私は昔は、美しさに憧れつつも、「現実を生きてたら、あんなにお人形みたいに清らかでいられるわけが...。」と、懐疑を抱いていた。

それがいつのまにか惹かれている。何年前かのある時、ふと見たあの清らかなまなざしが、突然にリアリティをもって見えたのだった。松園の経てきたものの先に、あのまなざしにたどり着いたんだと気づいた瞬間だった。泥に這い、道に踏み迷ったことのある者でなければ、描けない清らかさ。

それ以来、もう人形みたいには見えない。その時見た美人画は、りんと美しくて、着物もはっとするほど大胆な色合わせ。そのころヨレヨレに弱ってた私に力が染みわたってきたのだった。

そんなとこから始まって、それから線描の美しさにも見惚れ、仕事ぶりの丁寧さにも打たれ。

最近は、ホテルオークラで見て以来、構図の大胆さに惚れ惚れしている(日記)。

清らかなだけじゃなく、秘められた松園の思いも含んでいるのだろう。「牡丹雪」では、表に出さない戦時中の思いについて、美の巨人で推察していた(日記)。藝大コレクション展で見た「草紙洗小町」には、悪意をさらりとかわす女性の矜持を(日記)。

それにつけても、松園があの清らかなまなざしにたどり着いたのは何歳くらいの時なんだろう?とずっと思っている。

あまり画風が変わらないイメージだったけれど、展示を通して変遷も少し感じられた。

展示の一番初期のものは、「蛍」1913(大正2年)38才

昔ここで見て、日常のシーンでもこんなに美しくなりえるものかと、初めて松園に惹かれた絵。

今日はウエストの細さに目が釘付け。「蚊帳に美人というと聞くからに艶めかしい感じをおこさせるものですが、それをすらりと描いてみたいと思ったのがこの図を企てた主眼でした。」

松園は、意識して、清らかに上品な女性を作り上げていたのだ。「廓の情調でも思い出させそうな題材を却って反対に楚々たる清い感じをそそるように、さらさらと描いたものです。」

着物の模様や色合いも上品に涼やかに。「水のような青い蚊帳」と表現した通り、蚊帳も着物も青くさらさらと流れる水のよう。絞りの入った紺の百合がいいなあ。(ショップにこの百合のコサージュがあった。絞りはさすがに施されていなかったけれども、とってもきれいだった。)

松園は、浮世絵や古画をずいぶん研究していたそう。浮世絵の女性に特徴的な、するりと曲線を描く身体のライン。そこから上流階級の女性を思わせる美人に到達させている。

着物や髪の結い方や装身具については、江戸後期の文化に惹かれており、「変化に富んだ発達がある」と。展示の入り口に、時代や年齢、立場によって異なる髪の結い方の一覧図があったのは、みものだった。

松園の眉もふんわり、なんて美しい。アイペンシルじゃなくて、ふんわりパウダーで描いた感じ。プロのメイクアップアーティストの技だわ。「眉ほど目や口以上に内面を如実に表現するものはない。うれしい時はその人の眉の悦びの色を帯びて甦春の花のように美しく開いているし、哀しい時にはかなしみの色を浮かべて眉の門は深く閉ざされている。」眉に秘めた思いを語らせる。

大正時代の作の「夕照」、昭和に入ってすぐの「桜可里」(1926~29)と合わせ、ここまでの三作の肌の線描は、この後と違い、ほんのり桃色。大正ロマンな感じもする。そして目線は、なんともやわらかく、清らかな。

 

それが「新蛍」1929年(昭和4年)には、少し趣が変わったような。上手く言えないけれども、目に強さが加わったよう。

袖から少しのぞく赤色も、大人の女性のつやっぽさ。それでいて媚びない。

この作の前には、「花がたみ」大正4年、「焔」大正7年といった、恋に踏み迷う女性を描いた時期がある。松園も年下の男性との恋に悩んだらしい。ひとつの恋を終わらせると、一枚なにかを脱ぎ捨てたように、女性は美しく強くなるんでしょう。

それにしても簾の細密さが、すごい。一本一本の葦を描き、その一本にも影を加えている。簾の上下、左右でも彩度を変えている。上方では夜の暗さを、蛍のあたりではほんのり明るく。松園の極め切った観察眼に恐れ入るばかり。松園は「蛍」で「水のような」と意図したけれども、この絵も全体が水のよう。細かくも、着物のすその絞りの水流が、簾の合間から流れ出している。

 

そして簾のもう一点、昭和10年の「夕べ」になると、あれ、松園さんもうすっかり変わったんだなあ。昭和10年代の絵はとても魅力的。

目線もキレがあって、毅然と。そして帯の大胆さ、自由さ。60歳。

この前年には、最愛の母を亡くしている。そこを越えた時に、またひとつ別の境地に至るのかしら。女性って喪失と再生の生き物なのかな。これ以降の松園の画には、ゆとりの境地すら感じられる。

団扇に入ってしまった秋の月は明るく周囲を照らしている。着物に萩、赤い内着には白い菊。季節をほんの少し見え隠れさせる松園の美意識。

 

表装にも松園はこだわったそう。「春のよそおひ」昭和11年も、波間に揺らぐ扇が楽しい。ファッションも楽しんでいる。

 

「つれづれ」昭和16年 緊迫した高尚な美人だけでなく、くつろいだ美人も。

これとそっくりな画を富士美術館コレクションで見たことがある。帯の模様の配置が違うくらい。この年に類似作を数点制作したそうだけれど、人気作だったのかな。私も一枚お部屋にいただけるなら(無理か)、これを所望。周囲関係なく自分の好きなことに没頭して、しかもほんのり楽しそうなところが好きなんだと思う。ちょっとだけ挿した赤色がとってもいい

 

「砧」昭和13年は、撮影可の一枚。

せっかくなので人のいないときに細部を接写♪。生え際が超人的。

松園はこのころ謡曲を習い始めたそう。夫を待つ妻を元禄の風俗にして描いた。「砧打つ炎の情を内面にひそめている女を表現するには元禄の女のほうがいいと思った」。藝大でみた「草紙洗小町」(日記)も謡曲のシーンだったけれど、その次に砧を描いたそう。 

 

昭和15年の「春芳」「春風」は、鮮やかな着物に、大胆な色のストライプの帯が印象的。手が隠れているところもかわいい。とりわけ「春芳」は表装も豪華。一文字には、絹糸の光沢が美しい刺繍が施されていた。

 

晩年になると、上品でありつつも、庶民的な日常を描いている。「折り鶴」昭和15年は、和ハサミをおいて折り紙を折る母子。(←姉妹と、山種美術館のツイッターに)。松園の愛情深い面が出ているなあと思う

 

「娘」昭和17年は、針に糸を通そうと集中する娘がほほえましい。なんだか手つきがおぼつかなくて(笑)。

黒い襟に麻の葉模様の鹿子の帯の取り合わせは、京娘の典型だそうな。展示作ではないけれど、障子の破れを繕う「晩秋」昭和18年を見てみたいもの。

 

そして戦争の影「牡丹雪」昭和19年は、以前の日記に描いたように、戦争に対する松園の秘めた思いがあったのかどうか、確かめたくてじいっと見てみた。

がっ、この日は屏風用のガラスケースに展示されていて、間近で見ることはかなわず。むしろ晩年の松園の構図の大胆な思い切りに見とれてしまう。でもやはり感情を隠したような目が気にかかる。前年の「晩秋」と違い、紋のついた着物。

 

展示の最も晩年の絵は、戦後、昭和23年の「杜鵑を聴く」。見えない杜鵑の鳴き声に耳を澄ます、一瞬の停止。

 

同じく同年の「庭の雪」。雪の中に身を縮める娘の頬の赤みは、松園にしては珍しく筆目が見える。耳タブもほんのり赤く、ほんの少し除いた指先ととともに、娘の体温を感じる。肩にかけた布は、「襟袈裟」といい、江戸後期以降の風習で、着物につとの油がつくのを防ぐ布だそう。

 

すこしずつ変化はあるものの、一貫して美人画を描き続けた松園。風景や花鳥画は描かなかった。当時の日本画家も西洋画家も、時局や社会の変化に迷い、画風を変遷したり新しいことに挑戦したりするなか、松園だけは超然としている。My Wayが揺らがない。

「目まぐるしいほど後から後から変わっていく流行の激変に、理想的な纏まりがないとでもいうような不満なものがある」

「何もかも旧いものはすたれていく時代なのですから、なおさら心して旧いものを保存したい気にもなります。これは何も、時代に反抗するようなそんな激しい気持ではなくて、自分を守るという気持ちからです。」

 図書館の画集で松園の明治期の美人画を見てみた。12歳から描き始めただけあって、素晴らしく上手。でも2,30代の人物は、どこか挿絵のような感じ。なぜかと考えてみると、松園の人物のもつ存在感が、その後にどんどん強くなっていくからなんでしょう。年を重ねるにつれ、人物に実体が加わり、強さと余裕が増していた。60代過ぎてからはより、大胆に自由に。そんな年の取り方をしたいもの。

 他の画家の絵はまた次に。