はなナ

二度目の冬眠から覚めました。投稿も復活します。
日本画、水墨画、本、散歩、旅行など自分用の乱文備忘録です。

●刀剣博物館「花鳥絢爛刀装 石黒派の世界」

2016-09-29 | Art

刀剣博物館 http://www.touken.or.jp/museum/

特別展「花鳥絢爛刀装 石黒派の世界」2016.7.26~10.30

 日本刀に興味があるわけではないけれど、企画展の間だけ展示されている、岡本秋暉の「四季花鳥図」を見たくて訪問。それが、すっかり刀の美にはまってしまった。

刃の奥深さを知るところにはまだ至らないけれど、柄やさやの小さなところに、こんなに美しく超絶な世界が展開されていたとは。

 

石黒派は、江戸後期の装剣金工の流派。花鳥画を得意とし、絢爛たる特性をもって武用を芸術に昇華させ一流を成す。(解説から)

石黒派の祖の石黒政常以降、五人の作が展示されていました。

(ここに岡本秋暉の掛け軸が展示されているのは、石黒派隆盛期を築いた三代目の政美の息子だから。岡本家に養子に出され絵師となる。父や兄に絵柄も提供していたよう。)

 

柄の「鐔(つば)」、「縁頭(ふちがしら)」、「目貫(めぬき)」、柄に差す「小柄」のセット、または単品の展示。

 名称、用途については、いただいた解説↓ から初めて知ったことばかり。

 

◆政常(1746~1828)   石黒派の祖(写真はチラシから)

限られたスペースにうまく配しているもの。余白とってあるのもいいな。

「菊に軍鶏図大小」のセットの鐔(つば)の部分。

小さな限られたスペースにうまく配置するもの。肉眼で見えないくらいなところまで超絶技巧。裏にも菊が配置してあった。

 

「鷹図目貫」は迫力。目貫は3センチ弱くらい。ピンバッジのよう。この細かさ、眼光の鋭さ。

 

 写真がないのが残念だけど、他にも見とれるものが多かった。

黒々と荒々しい波の「四季波濤図揃金具」は、この狭いスペースに、屏風絵のような広がり。

竹林の間からぎょろりと虎の目だけの「竹虎図縁頭・目貫」は、眼だけに金が使われ、本当に光っていて迫力。

「蛸鯉図縁頭」は、タコ足の伸ばし方もぬらり、むにゅっと怒った顔。浮世絵の影響もあるのでしょうか。

他にも、親子のキジ、神亀、からす、さぎ、鯉など、意匠も多彩。さぎにはわびしさ、竹の葉のなびく様子は風を感じたりする。

小さくとも一つ一つが詩情をかもしだしていて、完全な絵。初代の美意識に感じ入る。

 

◆二代 政常(初代政常の子)

初代より金を多用し、赤銅、緋色銅を組み合わせ、色彩も多様化してきた感が。

「親子熊図縁頭」は竹の間に親子のほのぼの感。武具に親子の情をあしらうのもありなんですね。

「牡丹金鶏図鍔」は、表に牡丹、金鶏、裏には鶯と梅。水流も。金鶏も生き生きしており、動きが。

 

◆政明(初代政常の門人、1813~)三代目の政美と並び、名工と言われているそう。

鷹の目貫。

雉子図揃金具の中の小柄。刀に、実はこんなものがセッティングされていたとは知らなかった。紙やひもを切るなど日常生活に使用されるものとか。

たんぽぽが咲いている^^。

「梅樹鷹図小柄」は梅のつぼみもふっくら。まだ固いつぼみも。

 

◆政美(1774~三代目、石黒派の繁栄させ、薩摩藩のおかかえとなったこともあったそう)

政美の作は、より膨らみ、立体感が増していた。ストーリーも複雑化し、絵柄が壮麗だった。

「波濤に岩上鷹千鳥図大小鍔」は、政常の継承でもあるが、波濤の迫力、雄々しい鷹におわれる千鳥は三羽も。波しぶきの泡が金の点で星のように散らされ、もはや宇宙。大胆で大きな構成をよくこの小さいスペースに入れ込めるなあと。

「兎図三所物」は、二羽のウサギが菊の間で跳ねていた。

猿もいました♪。「猿猴図鍔」は、お猿が水流の上の岩場に腰掛け、山の上の月を眺めている。その目線まではっきり感じ取れる。子ザルもいた♪。表面は松が描かれていて、その幹には花鳥図でよく描かれる玉苔まで。芸が細かい。

他にも籠と紅葉、神輿を担ぐ人々の賑やかな様子、など四季折々でした。

 

展示のクライマックスは、「松樹尾長鳥図大小鍔・大小縁頭」。全てセットで揃っており、豪華絢爛Max。どちらの大名家のものなのかしら、いったいおいくらほどするのかしら、と思ったり。

オナガドリ、もう一羽と呼応してた。

松の葉にツタが絡まり豪華で繊細。

初代政常のような余白の美は、すでにどこかに行ってしまって、とにかく濃密。

輸出用の華やかで超絶な薩摩焼の器を思い出した。これも政美がおかかえだったという薩摩藩の発注だったのでしょうか?

 

見終わってみれば、刀の小さなスペースに、こんなにも花鳥図が展開されているとは、ただただ感嘆。制約の中だからこそ、ぎゅっと濃縮された美しさが光るのかしら。

武具の装飾ですが、江戸後期、文化の円熟期であり、長い太平の世であったから、意匠のほうに突っ走ることもできたのでしょうか。

楽しい時間でした。

 

余談1:チケットを買うときに、受付のかたが「企画展ですので、今回は新しいものしか展示してないのですが、よろしいですか?」と。新しいものだと帰ってしまわれる方もいらっしゃるので確認しているそうです。江戸時代のもので新しいとは、素人の私はびっくり。

余談2:研究所に併設の小さな博物館ですので、貸し切り状態かなとおもっていたら、混むほどではありませんが、ひきも切らず。大半が欧米系の人。

海外で有名なのかなと、トリップアドバイザーの書き込みを見てみると、欧米系からかなりなコメント数。ただ、(ざっくりな訳ですが)「期待するとがっかりするよ」「狭いよ」「よほど好きならいいかも」的なコメントが多く。そんななか「Samurai Museamのほうがいいよ」というコメントがいくつか。サムライミュージアムを知らなかったのですが、こちらは外国からの旅行者にたいへん高評価。http://www.samuraimuseum.jp/場所も歌舞伎町にあり、鎧兜や姫衣装で写真も撮れたり。展示品の文化的価値はわかりませんが、海外の観光客の方には喜ばれているようです。

 

こちらの刀剣博物館はこの企画展でもって閉館し、両国公会堂の跡地に移転するのだそうです。北斎ミュージアムもまもなく開館、オリンピックも控え、どのようなものになるのかな。

 


●アカデミア美術館所蔵 ヴェネチア・ルネッサンス展(2)ティントレット以降

2016-09-19 | Art

1の続き

1章では、メインだけでなく、個人的サイドストーリー的に、青空と雲の表現が見どころだったヴェべチア絵画。そのあとの変遷へと続いていきます。

 

◆第三章「三人の巨匠たちーティントレット、ヴェロネーゼ、バッサーノ」

老ティッツイアーノのあとを継ぐライバル、ティントレットとベロネーゼ。内陸バッサーノで人気の高いバッサーノは、前章の二枚の絵が劇的だったボニファーチョ・ヴェロネーゼの弟子。

・ティントレット絵画はここまでやりますかってくらいに、大胆にそして緻密にダイナミックさを追求していた。

ティントレット「聖母子昇天」は、絵からつむじ風が渦巻き、天に上がっていっていた。

マリアの眼の方向、取り巻く使徒たちの眼の方向で、 上り立つような三角形を成している。服の光沢でさらに劇的性を増しているのだけれど、人物の爪まで光沢が描かれてるのが芸が細かいわ。筆致は荒いのに、細部に手を抜かない。

人物もほほの赤みから瞳の輝きから、とても生き生きしていた。顔がしっかり描かれた三人は、依頼主の意向による特定の人物なのだそう。町の人が見れば、誰だかわかるのだそうなので、宗教画って当時は身近な存在なんだなと、今更に認識。

 

同じくティントレットの「動物の創造」

絵がびゅううんと動いてる。

神は、世界創造の5日目に水と空の生き物、6日目に陸の動物を作った。神も、魚も鳥も動物も、右から左に走馬燈?のように飛んでいく。陸・空・海に三分割され、真ん中に神、とはっきりした構図も面白いけれど、生き物のひとつひとつも印象的。大型動物だけでなく、小動物は亀やトカゲ、ヤマアラシまで、これも芸が細かい。

魚だって、鯛やサンマじゃない、深海魚か古代魚っぽい。世界創造だからやっぱりこういう魚なのかな。

鳥は不思議に、飛んでいるときの実際の羽の動きらしくなく、どれも判でおしたごとくの形で水平滑空しているよう。この鳥の(動きのない)動きだから、神と同じ速さの流れにのっているのが見える気がするんだろうか。それで走馬燈という言葉が浮かんだのかも。

 

「アベルを殺害するケイン」は「動物の創造」とともに同信会という教会のための連作5点のうちのひとつ。こんな大きく劇的な絵が取り巻く教会、想像するだにおののいてしまう。

人類最初の殺人がまさに起ころうとしている。その寸前だけれど、でも右のほうにはすでに切り落とされた鹿の首が。カインとアベルの絵はいろいろな画家が描いているけれど、ティツイアーノの「アベルを殺すカイン」が画像で見るとやはり似ていた。同じような態勢でアベルの表情は見えない。

 

ヴェネチア絵画の劇的な表現方法の中でも、ティントレットは「動き」をどれほどに劇的に見せるか、ということに特に魅せられていたように感じた。

 

・バッサーノとヴェロネーゼ、それぞれの聖ヒエロニムスはずいぶん違う印象だった。

バッサーノ「悔悛する聖ヒエロニムスと天井に現れる聖母子」

 

天と地の二元的な構造。光に満ちた聖母子、清らかなマリアのまなざしは、性的幻惑に惑わされるヒエロニムスの現実を一層あぶりだし、ヒエロニムスの悔悛はさらに追い詰められていくように。

手前の花や木、そこから動物のいる丘陵から遠い山並みへと広がる遠景、そしてダイナミックな雲と切れ間から除く青空。イタリア絵画の定番とのことですが、こういうはるかな思いが心に感じられるのも、主題とはまた別腹で、いいなあ(^.^)。

右の方には、御主人さまの悩む姿を見て、一緒に苦悩してしまうライオンが。

バッサーノのヒエロニムスは、マリアとの対比の中で自分を客観的に外から見通したときに、さらにさいなまれる感情のように感じた。

 

その外からの自己への視線に対して、ヴェロネーゼの方は、ひたすら自己の内へと悔悛を突き詰めていくような。

ヴェロネーゼ「悔悛する聖ヒエロニムス」

 

ギリギリまで自分をさいなんでいます。ギリギリ握りしめた石には血が。うち付けた胸にも血がにじんでいる。バッサーノも描いていたけれど、砂時計は「現世のはかなさ」を表しているのだそう。バッサーノよりも光の当たり方も布の赤さも鮮烈。赤くはらした目、こちらのライオンの目も同じく赤くなっていて。(ライオン的には、僕はこれ以上はムリ的SOS感が・・)

この小屋の暗さと対照的な明るい空。色がきれいだなあ。


悔悛の表情の二枚。どちらの気持ちの瞬間も、うんあるある。これ以上思い出してしまわないように、次に行こう。

バッサーノは、他の絵はどれも動物たちが印象的でした。

 

◆第4章「ルネサンスの終焉ー巨匠たちの後継者」

ヴェネチアルネサンスの最後づかーを飾る、前章三人の巨匠の後継者たち。

人物の質感がさらにふんわり肉肉してきて、さらに官能性を増した裸体の数々。

印象に残ったのは、パルマ・イル・ジョーヴァネと、ドミニコ・ティントレット

 

パルマ・イル・ジョーヴァネは、ティントレット、ヴェロネーゼとともに1578年にはドゥカーレ宮殿の再装飾事業にも参加し、二人亡き後のヴェネチア画壇の中心であったと。

パルマ・イル・ジョーヴァネ「聖母子と聖ドミニクス・聖ヒュアキントゥス・聖フランチェスコ」は、素人目にも、確かに二人を継承したような劇的さと色彩の強さ。

真ん中のヒュアキントゥスを両脇の二人がマリアに推挙している場面。分割された構成がぱっと印象的だった。青空と金の輝きで天と地に二分されているけれど、そこへ黒、白、青、グレー、赤と、色の分量のバランスが面白くて。それぞれの色が発色よく、多重に効果を発揮しているような。

これまでの絵もそうだったけれど、ヴェネチア人の色使いに感じ入ります。

ジョーヴァネではほかにこれ以降の時期の作品が二点。「スザンナと長老たち」「放蕩息子の享楽」。どちらも光の当たり方はすこし暗くなっていて、人物に特化した感じ。そして官能的な方向性へ進んでいた。

ヴェネチアルネサンスの官能性も初期は健康的な感じだったけれど、この時代になるとそそらせるような官能性になってきたような。展示されていたレアントロ・バッサーノ(ヤコボ・バッサーノの三男)「ルクレティアの自殺」も、フランチェスコ・モンテメザーノ(ヴェロネーゼの弟子)「ヴィーナスに薔薇の冠をかぶせる二人のアモル」、パドレヴァニーノ「オルフェウスとエウリュディケ」「プロセルビナの略奪」も、しっとりやわらかそうな白肌を、強引なまでに強調していた。

と、そのむちむちボディが第一印象だったのだけれど、気を取り直してよく見ると、モンテメザーノのヴィーナスは、切れ長の目元やかすかな微笑みがどことなく東洋的で神秘的で、それでいてあの裸体。女性としても、とても見とれたのでした。村上華岳を思い出した。

 

レアントロ・バッサーノのルクレティアの服の金糸の模様も、仏教絵画の截金(最近覚えた)ほどに緻密で、金髪も一本一本の髪を線描している。パパ・バッサーノとは方向性が違う独自の極め方、圧巻。

 

 

社長でも二代目社長はちょっと影が薄いイメージですが、このレアントロだけでなく、ティントレットの息子ドミニコも、素晴らしいと思った。ドミニコは、先日の東博の伊藤マンショの肖像で存在を知ったばかり。まだ少年のマンショに向ける優しい眼差しと、頬や瞳、唇など生き生きした人物画には、身近に感じ好印象だった。こちらで他の作品に出会えてうれしかった。

ドミニコ・ティントレット「キリストの復活」

だらしなく眠りこける兵士と対照的に光に包まれる復活の場面。青色が、クールで美しかった。気づけば遠景の山もかすかに青い。

兵士の鎧兜や剣、金属の質感がすごい。

光沢で、その硬さ・冷たさまで描き出しているような。そんななで、キリストの体を包む白い色や浮かび上がる体、特に脚のあたりなんか、まるで夢のなかのような。眠りこけている兵士のみている夢なのかな。

まだ20代ごろの作品ということ、画力あるのだなあと思う。

ドミニコは、次章の肖像画「サンマルコ財務官の肖像」も。

瞳や肌など、生きた人間のように生き生きしている。地位ある人物の公的な肖像画。堂々たるものだけれど、でもマンショと同じようにドミニコの肖像は、どこかまなざしに人柄のあたたかさが感じられるような。

 

肖像画では、父ヤコボ・ティントレットも二点。 

「統領アルヴィーゼ・モチェニーゴの肖像」

ドミニコに受け継がれたものがあるなあと思った。ドミニコの上記肖像は40歳くらいのときのようだけれど、こちらは50代前半ごろのよう。少しさめたような、人を見透かすような瞳なのが、息子と違うかな。

「サンマルコ財務官、ヤコボ・ソランツオの肖像」

こちらのほうが30代の作だけれど、まなざしは見透かすどころか、仙人のごとき達観した感じが。

父も子も、描いたときの年齢関わらず、対象の内面をとてもよく感じ取っているものです。

 

この辺になるとだんだんつかれてきて、第五章の肖像はさらっと流してしまった。


少し前まで、全部一緒に見えた宗教画(*_*)。最近やっと違いが分かってきた。そうすると画家の個性もずいぶん違うもので、同じ流れのなかでも独特な変わり者がいたりと、面白い。

よく知らなかったヴェネチア絵画も、今回の画家たちは、人間的な迫り方もさまざま。目は口ほどにものをいうというが、目線の方向によって構図を形成しているのも面白かった。そしてとりわけ、色が魅力的だと感じたのは、色の取り合わせ方、分量的な配分によるのだったのかも。それにしても青色がすてきだった。

楽しい時間でした。


●アカデミア美術館所蔵 ヴェネチア・ルネッサンス展(1)ベッリーニからティツイアーノまで

2016-09-16 | Art

アカデミア美術館所蔵 ヴェネチア・ルネッサンスの巨匠たち 国立新美術館

2016.7.13~10.10

 

ヴェネチア・ルネサンスというくくり。よく知らないので、楽しみにしていた。イタリアも行ったことなく、三岸節子や多くの画家をひきつけたヴェネチアの光と色を絵から感じられるかな、と。

おおむね時期に添って章立てされており、一枚一枚が見どころがある絵が多かった。以下、印象深かったものの羅列。

 

◆1章「ルネサンスの黎明ー15世紀の画家たち」

ヴェネチアルネサンスの祖、ヤコボ・ベッリーニの作品はなかったけれど、その息子(一説には異母弟)ジョヴァンニ・ベッリーニから.

ジョヴァンニ・ベッリーニ「聖母子(赤い智天使の聖母)」1485-90

色数は多ないのに、多くないから?この明快さ。白、紺、赤、背景の淡い青。そのとりまとめの絶妙さにしばらく見とれた。

そしてぷくぷくとよく太って一般人の赤ちゃんみたいな、キリストのかわいさ。指なんかエビせんみたいで。

ママを見上げる目も、ベビー肌着みたいな白い服も、普通の子みたい。

そして、天上に散らされたこの赤い天使たちも、丸い顔がかわいい。特にこの子たちがかわいい。

ママ×マリア〇は、将来を予感したようなかすかな憂いも。不自然に大きな手が、しっかりと子供を支えている。子供を守ろうという愛情だったり意思だったりなのかな。

ふと、幼子の目が、来るべき運命を母に問うているようにも見えてきた。

背景の自然描写は、ヴェネチアルネサンスの特色だそう。繊細に描かれていて、空気が澄んでいる。

 

ラッザロ・バスティアーニ「聖ヒエロニムスの葬儀」

遠くから見ると、遠近が面白いなあと思う。窓から見える明るい風景が、葬儀の悲しさにさおさすような。壁や床の色調も、ベージュ系とグリーン系の落ち着いた感じが好きだなと思った。ヒエロニムスといえばこの義理堅いライオン(足にとげが刺さったのを手当てしてもらったらしい)がセットだけれど、しょんぼりした様子がなんとも。

が、近寄ってみるとぎょっとする。7人の黒衣の人たちの顔。平面的で仮面みたいで、怖い・・。

ワザと?。他の人物の顔は普通に描き込まれているのに。

横たえられたヒエロニムスとそれを囲む7人、そして幾分明るい背景と他の人物。死出の世界とこの世という、二つの異なる次元が交錯しているような。怖い絵に見えてしょうがない。

 

カルロ・クリベッリはとても気になる画家。「福者ヤコボ・デッラ・マルカ」「聖セバスティヌス」

どこかシュールな感じ。緊張感あって。もとは4枚組だったそうだ。モリスみたいな模様の布はタペストリー。イタリアというよりはどことなくドイツっぽいし、古風な感じも。くせのある二人の表情。

場面上、セバスティヌスは屋外にいて、ヤコボデラマルカは屋内にいるけれど、同じタペストリーの前にいる。シュールな感じがしたのは、そこに違和感があるせいだろうか。

特にセバスティヌスの体のリアルさにはどきっとする。足がすごい。この足の甲の湾曲や、指の誇張したような節。そして脱力した表情とうらはらに、きゅっとしめたような筋肉。緊迫した体。突き刺さる矢とともに、思わず力入ってしまう。

幾分抑えた光が左からあたっていることを確かな技術で描いているけれど、むしろ影のほうに目が言ってしまう。意味ありげで。

ひとくせありそうで、興味ひかれるクリヴェッリ(1430/35~1495)。

ベッリーニ、ヴィヴァリーニの工房を経て、パトヴァに。そこでマンテーニャの影響を受けたというのも興味あるところ。が、1457年に人妻との姦通罪で有罪となったのちは、クロアチアなど各地を放浪。1468年以降はマルケ地方に定住した。この祭壇画は、マルケ時代、50~60代のもののよう。

この時代にあって、特異な存在と言われるようだけれど、他のもみてみたいもの。

 

アントニオ・デ・サリバ「受胎告知の聖母」

受胎告知のシーンだけれど、大天使ガブリエルも百合もハトもいない。マリアの視線と手の動きは、見えないガブリエルの気配に、耳を澄まし意識を集中し。左から光が当たっているけれど、右の方からかすかな風が。本のページが煽られて、手で感じている。ガブリエルの舞い降りた気配なんろうか。

受胎告知でも、次に来たマレスカルコ「受胎告知の聖母」の胸の前で交差した手はすでに胎内を抱くよう。でもこのサリバの手は、告知を受ける、直前のシーンのような。知る一瞬前。

 

ヴィットーレ・カルパッチオ「聖母マリアのエリザベト訪問」

ユダに住む姉と抱き合うマリア。いろいろな要素が描き込まれている。遠路にくたびれちゃったヨゼフ。動物がどれもかわいい。鹿(救世主の到来への渇望)、白ウサギ(処女懐胎)。それに張り合うキジ。おしりがかわいい茶ウサギ。なんだか端々にユーモラス。

さらに少しエキゾチックなのは、端の方のヤシの木と、オスマントルコの人。当時のヴェネチアをとりまく状況を想像。

 

ニコロ・ロンディネッリ「聖母子と聖ヒエロニムス」

ジョバンニ・ベッリーニの工房に入り、生涯影響を保ち続けた、と。この散らされた花やうつむく顔はどことなくボッティチェリを思い出した。

大きく区切られ、各色も魅力的な、色使いにも引き込まれた。各色、モスグリーンや少し淡い水色など、セザンヌ「サントヴィクトワール山」を思いだしたり。

 

フランチェスコ・モローネ「聖母子」

美しすぎる聖母、美しすぎる子といえば、これがトップじゃないかと。

解説を読みながら観ると、赤で分断されていて、三角形構造。意識すると、三角が多重構造になっているのが面白い。赤色で構成される三角形は頂点に口びる。そして紺の三角形、緑の三角形と。

ヴェローナで中心的な存在だったそうだけれど、マンテーニャ、デューラーの影響というのも興味あるところ。

 

いろいろ見ごたえあった一章。総じて、色が印象的だった。色遣いはシンプルで大胆でもあり。

十分魅力的だったけれど、そこへ16世紀初頭、ヴェネチア絵画に革命がおこる。

 

◆第二章「黄金時代の幕開けーティツイアーノとその周辺」

ジョルジオーネとティツイアーノが革命的な変化をおこす。
「ジョバンニ・ベッリーニの豊かな色彩表現を受け継ぎながら、彼らはフィレンツエ派のレオナルドダヴインチやミケランジェロからも刺激を受けつつ、真にヴェネチアとい独自といえる絵画の伝統を開始した。その本質は、光と影の効果や色彩の調和に対する素晴らしい感覚にある。(略)柔らかい光につつまれた風景や官能的な女性像を若々しい詩的な感性で描き出し、ヴェネチア絵画の黄金期を現出させたのだった」(解説)と。

アンドレア・ブレヴィターリ「キリストの降臨」

光の当たる幼子を顔を寄せて見つめる、鹿と牛のまなざしが優しくて。金の鼻息?まで描かれていた。遠くにスイスのマッターホルンらしき雪山が。発注主はきっと喜んだと思う。

 

ジョバンニ・フランチェスコ・カロート「縫物をする聖母」には、驚いた。

この金の混じったブロンズのような幼子イエスが、官能的に見えて。この肢体のかすかなねじりや、かすかに膨らんだ胸や頬、膝なんかのほのかな赤み。イエスにこんな表現っていいんだろうか?鋭いハサミは何かの暗喩なんだろうか?

前章もそうだったけれど、ヴェネチア絵画の表情の豊かさ。意味ありげな雰囲気。

 

ジョバンニ・ジローラモ・ザヴァルト「受胎告知」は、青色が印象的だった情景。

大天使ガブリエルに見とれた。真っ白な服についた羽の青さが美しくて。

そして一瞬マグリットみたいな窓の外の青空も。赤い人影は「父なる神」とのこと。飛んでくる白いハト、ガブリエルの持つユリ、ランプの小さな灯りと、小さなものが点在させる白い色もすてきだった。

 

ボニファーチョ・ヴェロネーゼ「嬰児虐殺」は、痛ましくて目もあてられない。母親たちの必死の形相。男たちの冷酷な目。よく見なかったけれど、後で解説だけ読むと、後ろにヘロデ王が描かれていた。

ボニファーチョ・ヴェロネーゼでは、「父なる神のサンマルコ広場への顕現」も壮大

下には、サンマルコ広場、ドゥカーレ宮殿などの正確な都市景観。青い空の上にまったくテイストの異なる次元。黒雲に乗って父なる神が風神のように飛んでいく。静と動。下界と天界。定規で引いたようなち密な筆致と、一方で筆の荒々しい筆使い。いろいろな対比にびっくり。下界はおだやかな光に包まれているけれど、それとは別に父なる神は別の光源の光を背景にしているので、ますます異次元の二つを感じるのだと思う。

 

ティツイアーノ「受胎告知」は、これを日本で見られたことに、いいのかなって思うほど。絵の前に可能な限りたっぷりとられたスペースで、ひいてみたり近づいてみたり。グレコがこれから影響を受けたのもわかる。光源から描いたような光がすごい。

ドラマティックで、すべてが動きに満ちていた。そして雲の割れ目から光が噴き出し、その瞬間に飛び散る天使たち。舞い降りたばかりで走りよるガブリエルの足。告知に「えっ」っとおののいたようなマリアの驚き。幾人かの天使たちはガブリエルの手を摸して交差している。

近づいてみると、わりに荒く勢いのある筆致だった。こんなに大きな絵。なのにどこをとっても、あやふやなところがなく、下のほうの遠景でさえ奥へと入っていけるほど、深く描かれている。意匠の白や青も幾重にも塗り重ねられて、どこも深みが。巨匠ってやっぱりすごいと今更ながら打たれたのだった。

 

もう一枚のティツイアーノ「聖母子(アルベルティーニの聖母)」は、逆に静かだった。キリストの垂れた右腕は、死を暗示するのだそう。マリアの瞳は涙か浮かんでいるようで、悲しみに満ちていた。

今回の作含め、ティツイアーノは晩年に大きく筆致を変え、わりに筆致の荒々しくなった、と。初期から見てみたいもの。

 

ティツイアーノと工房「ヴィーナス」は、ナショナルギャラリーの「鏡を見るヴィーナス」のヴァリエーションであり、右半分の鏡の部分が切断されているらしいと。だんだんむちむち官能さが増してきています。布や肌に触感を感じるような。ふんわりした光のせいかな。

パリス・ボルドーネ「眠るヴィーナスとキューピット」

横たわる裸婦は当時の流行。多産や繁栄の守り神として描かれたとか。薔薇が美しく、髪の毛は細密に輝いていた。健全に官能的だった。

ティッツイアーノの画力はやっぱりすごい。同時代の画家たちも、ぶっとんだ表現はないもの、少しづつの冒険や自由なひねりや、自分なりのエッセンスを加えられていて、全体的に新鮮な感じ。自由が許されて堅苦しい感じがない。いつしかスタンダードになっていったその初めのころ。ティツイアーノも他の個々の画家も見ごたえあって楽しかった。

2に続く

 


●この日の東博第13室 「顔」

2016-09-13 | Art

この日の東博本館、第13室(一階ショップの手前の部屋。近代の日本の美術の部屋。)の備忘録。

 

入ってすぐ平櫛田中「森の仙人」。「森の書」に没頭する姿は、以前の日記に書いた。

その斜め前で妖気を放っていたのが、速水御舟(1894~1935)京の舞妓」1920

この絵を画像で初めて観たときは、舞妓はんの顔が不気味だと思ったものだった。

でも実物の絵を見ると、着物の細密さに、ただただ圧倒。

青い絹の織り目まではっきり。絹の光沢とすかし模様。絞りは一つ一つの手絞り感と厚みまで。

布の合わせ目の厚み。畳のすれ。

(この執拗な細密ぶりは、高島野十郎[1890~1975)なみ。気づけば、この二人は同世代。野十郎が怪しい精を放つような「けし」や「椿」を描いていたころだ。布の質感や、例えば「炎舞」で炎のすぐ外側の部分をとらえようとしたところ、そのまなざしはどこか相通ずるのでは。

御舟の絵は、以前に世田谷美術館の「速水御舟とその周辺」で見たひまわりやザクロといい、この着物と言い、時にぞくっとするほどの写実性。

なのに、舞妓の顔だけは、写実に見えない。

超絶な写実画なら、ホキ美術館にあるいくつかの作品のように、洋服も素肌も髪も周りの空気までもが同じ感度を持って響き、一枚の世界となっていると思うのだけれど。

でもこれは、まるで着物が座っているような錯覚にも。

祇園の茶屋「吉はな」で君栄という舞妓を写生し、二年かけて描いたそう。人気芸者さんなのに、美しくもかわいらしくも描かれてない。雰囲気がある女って感じもない。放つ感情がない。

舞妓を取り巻く黒い影はなんだろう。

   

御舟はこの舞妓の顔に何を語らせたかったんだろう?

仕事の合間のひといき、空な時間なのかもしれないけれど、まだあどけない舞妓の顔にこんなに影をつけて。

 この絵は都電に轢かれて、足を切断した直後に完成されたもの。26歳の時。絵への妄執。この後は、31歳で「炎舞」、35歳で「翠苔緑芝」、36歳で「名樹散椿」という、こぼれ落ちるほど美しい世界を描きあげた。

そこへの途上の作だったのか、「炎舞」は赤く黒く燃え上る炎だけれど、「京の舞妓」には、青く黒く立ち上る見えない炎を立ち上らせようとしたのかな。

 

そしてこの日の13室には、舞妓のように読み取れない「顔」ばかりが並んでいた。

おりしも、いま平成館のギリシャ展では、アルカイックスマイルな像が立っている。人間の思索が複雑化し、なにを見るかが変遷し、あいまいで一見しただけではつかみとれない内面を彫像に写し取るようになる過程が興味深かったけれど、この部屋の展示もそれに合わせたのかな?。

今村紫紅(1890~1916)「説法」1910は、達磨を描いたもの。

紫紅らしい朱もうすやかな色彩だけど、これまで見た達磨と雰囲気が違う。紫紅の解釈した生身の達磨。どんぐり眼じゃなく、静かな深い眼差しだった。友人の古賀玄洲にモデルを頼み、写真を撮り、4,5日で制作した、と。口元に歯がのぞいて、上げた手のパワーとともに、臨場感があった。

 

横山大観(1868~1958)「釈迦十六羅漢図」1911

十六羅漢の目元が、アイシャドウばっちりみたいで、なまめかしいのはどうしたこと?。唇もうるツヤなのはなぜ?。

 

下村観山(1978~1930)「老子」大正時代。晩年の作。

一見風格ある穏やかな老子。目をこらさないとわからないくらいけれど、長い髪とひげが微かに。

顔を見つめると、左右の印象が全然違う。左側だけを見ると、厳しいながらに静かな表情。右側だけ見ると、きっとしたように強くつきつめるような目線、口元。相反する二つの感情がひとつに。

人間の顔は、左(絵では向かって右)はプライベートな顔、右半分(絵では向かって左)はパブリックな顔だと聞いたことがある。内に秘めた感情が表れやすいのが左。理性的でよそいきの顔なのが右。そうすると、老子のこの左右の違いも、こうした表現か。

晩年、思想と人間性に迫ろうとしていた観山のチャレンジをかいまみたのかもしれない。そして観山の解釈はどこか穏やかで情のようなものがある。観山が好きな私のひいきめかもしれない。

 

観山でもう一点、初期27歳の時の「修羅道絵巻」1900が展示されていたのはうれしかった。(ストーリーを調べたらそのうち別日記にて)

「嫉妬や猜疑心、執着心によって醜い争いを続ける人間の姿を揶揄したもの」と。絵巻は、その醜い姿を、諦感と憐みの表情で観るような僧から始まっていました。

 

小林古径「出湯」


原山渓の芦ノ湖の温泉。湯気の質感?を描こうとしたのかなとも思う。

女性の背中や、お湯に顔がつきそうな女性の顔は、天女のよう。でも生え際の髪は、湯気か汗でしっとり濡れていて。

緑いろのお湯と垂直をなすような、窓の外の緑が爽やか。

 

横山大観「五柳先生」1912 明治45年

陶淵明の文に登場する、五柳先生。酒好きで悠々自適の生活を送っていたと。陶淵明の無弦琴を童子が持っているので、陶淵明と同一人物説もあるとか。

大観の相変わらずざっくりした絵だけれど、この絵はやる気感じる・・。

先生のひょうひょうとした風貌。

童子は、子供らしくかわいい表情。

この大きな屏風に、描かれているのは、先生と童子、薄く描かれた柳だけ。でも柳の葉をすりぬけて、金の空間を吹き抜け、先生の着物を巻き上げていく風が、心地よい。

柳の幹がきれいだった。

 

熊とウサギの顔も、何かを語っていました。

津田信夫(1875~1946)「シロクマ置物」1944

津田信夫「白磁兎置物」1934

白兎の風格に、た、たじろぐ。

シロクマとウサギは背中も語っていました。特に兎の背中は、アングルを思い出したほどにセクシー。

  

 

高村光太郎(1883~1956)「老人の首」1923

前、後ろ、横顔、それぞれ印象が違う。人生を重ね老人になったら、その違いも大きくなるんでしょうか。

 

梅原龍三郎(1888~1986)「裸婦」1931

龍三郎の絵によく登場するこの女性。赤いほっぺで大きな黒目の顔に絞ってみれば、内面的なうんぬんよりも、そこにただいるストレートな存在感。はにわのようにはるかな感じもする。梅原龍三郎の絵は、「富士」でも感じたけれど、どこか太古な感じが好き。

(御舟の「京の舞妓」の絵に、大観は激怒し(五柳先生の絵を見るとわかる気もする)、龍三郎は絶賛したと。梅原龍三郎の絵のこの顔になんらかの感情の解釈をしようとすることに意味はないと思えるのだけれど、では御舟の舞妓の顔をなんとか解釈しようとしてしまうのはなぜだろう?)

 

石井柏亭(1882~1852)「農園の一隅」1920

労働の合間の休息のひととき。無の表面。


原撫松(1866~1912)モンタギュ婦人像1907

何にも難しいこと考えてないようで、苦労も知らないようで。じっとしているのにもあきちゃって、このあとのサロンのドレスのことでも考えているような。裕福な男爵家の子息の妻とか。


川村清雄(1852~1934)形見の直垂(虫干し図)1899~1911

川村清雄の油彩。この絵はどこか得体がしれない感じ。


灰色の胸像は勝海舟(1823~1899)。川村は勝海舟に長く仕えており、留学のきっかけも勝によるもの。帰国後も仕事の世話になるなどずいぶん恩義がある。少女がまとう白い直垂は、勝の葬儀の時に自分が着たもの。

調度品は勝家ゆかりのもの。ついたての日本古来の筆や絵の具や金で描かれた装飾を、洋画で描きなおす。さらに和の調度品の中に、洋装の胸像がおかれる不思議さ。

幕末から、時代の先を見越した勝海舟らしい洋装の胸像。勝を懐かしむと解説にある。

清雄は、単に懐かしんでいるのだろうか?。石棺の上に無造作に置かれた胸像。まぶしいほどの白い直垂や周りに対して、勝の胸像だけが、色がなく。少し開いた棺からこの世によみがえったようでもあるけれど、もはやただのモノにも見える。喪失感と言えばそうなのかも。

直垂の少女に対して、後ろの調度品は抑え古びた色彩で描かれ、花や人物の意匠は、古典の世界への入り口のようで。これらは亡き人、勝の所蔵品らしい。

あしらわれた黄色い花は月見草?。あの世とこの世が、もはや混じることなく交錯するよう。

少女と、それ以外。異なる二つの次元が一枚に収まっている。不思議な感覚。

勝も相当な人物だったとは思うけれど、川村もかなりマイペース感あるひとかどの人物。勝への懐かしみ方が、きっと川村流。幼い頃から恩義があり、大きな存在だったけれど、対等で現実的で、でもなつかしく。「先生にはいろいろ無理難題いわれたよなあ、なあ先生」「もう言い返せないだろ(寂)」。妄想すぎましたかな。清雄はこの絵は生涯手もとにおいたとか。

 

興味深い時間でした。

顔を見ても簡単にはわからない人の感情、本心。なんにも考えてないのかもしれないし。

一番わかりやすかったのは、この顔かも。ベクトル一直線。鈴木長吉(1848~1919)鷲置物1892



●「古代ギリシャ展ー時空を超えた旅ー」東京国立博物館

2016-09-11 | Art

「古代ギリシャ展ー時空を超えた旅ー」東京国立博物館 2016.6.21~9.19

 

入ると、会場は一面、青。エーゲ海の海!古代ギリシャにいざなわれる感じ。

構成は以下の通り。

第一章:古代ギリシャ世界の始まり(前7000~前2000年)

第二章:ミノス文明(前3200~前1100年)

第三章:ミュケナイ文明(前1600~前1100年)

第四章:幾何学様式~アルカイック時代(前900~前480年)

第五章:クラシック時代(前480~前323年)

第六章:古代オリンピック

第七章:マケドニア王国

第八章:ヘレニズムとローマ(前323~)

 

紀元前7000年ごろから紀元30年ごろまでをめぐる、まさに時空の旅。

3時間はかかると前評判を聞いていたけど、今日は時間が二時間半しかなかったので、時間を意識しながら進むという悲しい見方になってしまう。それでもすっかり、なりきり旅した気分だった。

アートとしても魅惑的なものが多かったので、それを羅列した備忘録です。

 

◆第一章は、前7000~前2000年の新石器時代から青銅器文化のころ。

・各地の出土品が地域ごとに並んでいる中、レスボス島の「人形アンフォリスコス」(前3000年)に惹かれる。レスボス島はほとんどトルコ寄りの位置。

もとは顔も描かれていたのだけれど、経年で消滅したそう。好きに想像していいのだ。

 

・アッティカ地方のソースポート型容器」前2800年~前2300年もパーフェクトな逸品。ホテルでカレーを注文したらご飯と別々に出てくるあのカレーの容器の形。模様もほのぼの。

・キュクラデス文明の出土品もよいのが多い。チラシにも出ている「スペドス型女性像」前2800~2300年の、腕をまえに合わせるポーズは、どこか悠久なものが漂う。キュクラデス諸島はギリシャ本土から南の海上。海への進出を表していると。

この時代のものは、日本でも外国でもそうだけれど、温かみがあって根源的。人を生み出す存在としての人間を意識していたような。出土品は、人の手の痕跡を感じ、そこにひかれたのかもしれない。

 

◆第二章は、キュクラデス諸島より南、クレタ島のミノス文明。開放的な海洋文化。

・私でも知ってる「クノッソス宮殿」の配置図と、その役割についての解説が興味深かった。宮殿というだけでなく、倉庫・工房・居住区が配置されている。行政、宗教のみならず、物資の集積と再配分をになうのだ、と。実用的なセンターでもあった。

「カマレス式杯」の二つはコーヒーカップ。渦巻き模様がなんともすてき。凝った模様で、ぜいたく品なのだろう。この辺りになると、専門のいい職人さんがいたんだろうな。

・海洋文化らしく、海由来の模様が魅力的。「海洋様式のリュトン」は、ひとつは軽く若冲みたいに巻貝が乱舞。もうひとつは、タコ足?オウムガイ?や巻貝。

「海洋様式の葡萄酒甕」後期ミノスIB期(前1450年頃)は、びっくり目のタコ。わかめやサンゴも。ギリシャでもタコを食べるから、日本人にも親しみのわくモチーフ。

「牛頭型リュトン」は、穴が開いていて、あごのところから注いだものが出てくる。どんどん模様も色彩も洗練されれくる

「牡牛像」のほうも魅力的だった。牛は神聖なものであり、犠牲獣としての役割に用いられた。こちらはちょっと牛舌ぽいのがくるっと出てるところがかわいくて。https://twitter.com/greece2016_17?ref_src=twsrc%5Etfw

「パピルス型ビーズのネクレス」は、そのままWi-Fi模様の連なり。このパピルス模様はいくつかあったけれど、パピルスもたくさん生育していたのかな。

・テラ(サントリーニ島」の出土品が状態がいいのは、前1600年の噴火で埋まっていたからだそう。

「イルカと野山羊を現した舟形容器」は、陸と海の者を取り合わせた面白い模様。切れ長の大きな目の野山羊がインパクトあった。波型模様も動きを添えて。他にもクロッカスなど、モチーフが素敵だった。http://www.museum.or.jp/modules/topics/?action=viewphoto&id=832&c=4

「漁夫のフレスコ画」は、さすが看板にも用いられているだけあって、色彩もバランスもぱっと印象に残る。頭のふたつの房が、ここだけ残してそり上げたものとは。足元、補修のあとが、波打ち際みたいで瑞々しかった。

フレスコ画では、「ユリと花瓶のフレスコ画」のほうが印象に残った。現代のリビングにあっても違和感ない感じで。窓わきのつけ柱を飾る。ユリは供え物としてもよく用いられたと。

だんだん、ギリシャ、ひいてはその後のヨーロッパ全般の根底にあるものが見え始めてきた感じの章だった。

 

◆第三章は、ミュケナイ文化。前章のミノス文化の中心であったクレタ島は、ミケーネを中心とするミュケナイ文明に紀元前1450年頃に征服される。

シュリーマンの強引な発掘を時にいさめたギリシャ人学者スタマタキスの話が興味深かった。

「戦士の象牙彫り」など、戦士のモチーフがちらほら登場する。だんだん権力と戦いの色合いが割合を増してくる。金のボタンは蝶や渦巻きの模様が繊細だったけれど、これも富あるものを飾り立てたものでしょう。

「牡牛小像」は大きな角にクローバー模様。ミノス文明の影響も残ります。

◆このあと、ミュケナイ文化崩壊後、第4章との間、前1100年ごろから前900年ころの間は、「暗黒時代」。そう呼ばれて、文化の破壊と攻撃の時代と思われたいたけれど、最近の研究では、けしてそれだけではないと。交易も盛んで、次章の文化の萌芽をもたらしたよう。

 

◆第四章は、幾何学模様~アルカイック時代

だんだん人間の内面性に意識が向いてきたのを感じた展示。

これまでは、形態や出来事といった目に見えるものを、像やフレスコ画につくりあげていたが、このころからは、ひとの感情を目の前の像に表現してみようと意識が変遷したのか。顔をあれこれいじると、気持ちが目に見えるように造形できると、気づいたんだろうか。

「クーロス像」と「コレー像」が堂々と立っていましたよ。あとで振り返ると、二体の後ろ姿が一緒に見えたのだけど、後ろ姿は、いっそう体のライン(特におしりのライン)が美しく、印象的な瞬間だった。

 

生命を生むものとして神格化するにとどまらず、だんだん、理想の人体美とは?ってことを、意識しはじめたころ。アルカイックスマイルが生まれた本場と時代。

この時代から人間は、こんなミステリアスな微笑みをするようになったのかな。

そしてギリシャ神話の体現化も。「アッティカ黒像式アンフォラ ボレアスとセイレーン」、パリスの審判を描いた「キュクラデス様式アンフォラ」など。

「アッティカ幾何学様式アンフォラ」は幾何学模様。今ではよく見る模様も。

 

◆第五章はクラシック時代、前480年~前323年

アテネは民主政を確立し、パルテノン神殿が建設される。だんだん哲学的になってきたようだ。

解説では、「人間は『死すべき存在』と認識することで、個性」に思索を深めるように。前章の「顔」「感情」といったものへの認識からさらに、分化していたようだった。

「女性頭部」は、この展覧会で初めて生身の人間に向き合ったようで、どきっとした。少し傾けた顔は人間らしい感情を表しているようで。「思う」「物思いにふける」「揺れる想い」とかいったものが、目の前にいる私にも伝わってくる。

そしてこれ以降、どんどん像の顔に、感情と思索の面持ちが感じとれてくる。

「墓碑」は、夫婦のモチーフ。哀愁が漂っていた。複雑な感情表現を十分描き出している。

「青年を現した奉納浮彫り」は、足に動きが。呼応していた。

「黒像式バナテナイ型アンフォラ」は、ふくろうがかわいい!。縦になったいるかも。

「アクレピオス小像」は林真理子の小説を思い出すけれど、卵をヘビが巻き。若返りの象徴とか。

 

◆第六章は、古代オリンピック。ちょうどリオで開催中ゆえ、感慨深い。

展示の上の方の壁にも、競技者のレプリカが張り巡らされていた。だんだん時間がなくなってきて、ここはさらっと。

 

◆第七章は、「マケドニア王国」

「アフガニスタン展」に心を動かされ、ヘレニズム文化の魅力にもはまってしまったので、この展示も興味深かった。

フィリッポス二世は、自らをギリシャの子孫とし、ギリシャ文化を取り入れる。

特に「キンバイカの冠」はその時の展示を思い出した。小さい実がついていたのがかわいらしかった。

「アレクサンドロス頭部」は、一目見て、若い!と。アクロポリス出土とのこと、王子時代のアレクサンドロスと考えられているそうだけど、34歳で亡くなることを予見するような。先生のアリストテレスの胸像もありました。

「抱擁するエロスとプシュケ」、なにかと見かける二人だけれど、これはかわいいタイプの二人だった。

「エロスを伴うアフロディテ」は、ドレスの裾にくっついているエロスが。http://www.museum.or.jp/modules/topics/?action=viewphoto&id=832&c=8

「イルカに乗ったアフロディテ像」、イルカがイルカらしくなく造形されたものをよく見てきたせいか、このイルカの写実性?には射ぬかれた。イルカの頭の丸みがなんともいえず。しっぽにくっつくエロスも愛らしく。エロスってなんににでもくっつく習性なのかな?

 

第八章は、ヘレニズムとローマ。前31年、ギリシャはローマに征服されるけれど、その文化は受け継がれてゆく。アルテミスやアフロディテ、アテナなどの像が林立。美しさと色気。でもこの辺りで時間切れ。

 

見終わってみれば、人間の感情や思考、思索って、こんなふうに複雑化していったのかと、その軌跡を見た気がした。人間が、自分たち人間そのものを実用から理想へと意識を変えていく変遷をも感じた。

出土品のひとつひとつも、そして俯瞰しても、どちらも面白い展覧会だった。


●鈴木其一の風神雷神図の「雲」

2016-09-08 | Art

明日から鈴木其一展 
出光の江戸絵画展の時(その時の感想)以来、ブロンズィーノみたいに見える絵があるかも?と楽しみにしてます。

その時に書いた通り、酒井抱一の「風神雷神図」が展示されていましたが、「雲」が面白い。雷神の雲が「どんどん」と發音みたいで、雲に興味がわいたのです。

それで俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一、鈴木其一のそれぞれの風神雷神図はどんな雲だったか、画集でみてみました。(2008年の国立博物館の大琳派展では、この4人の風神雷神図がそろったのです!展示替えがあったような、記憶もあいまいだけど、以下そのときの図録から)

俵屋宗達

尾形光琳

酒井抱一

鈴木其一

 

雲だけに注目してみたら、かなり違っています。

宗達は、雷神の方は雲が少ないけれど、風神は雲を一緒に連れてきたように少し多め。たぶん、そんなに雲に意識向いていない?。風神雷神自身の迫力で勝負。

光琳は、宗達よりも雲がたっぷり。もわもわと暗雲。でも雲の形は宗達のとそっくりです。雲と風神・雷神とのバランスを上乗せしたかな。

抱一になると、雷神は墨を飛び散らせたような、雲というより音の表現。風神は空を駆けてきたように流れてて、速度の表現に。抱一のこの表現で、雲が面白いなあと気づいたのでした。金地に墨の濃淡や筆のいきおいに見とれました。

そして其一は・・

他の三人と全然違う。雲が美くしすぎる!もはや雲が主役、くらい。

余白をたっぷりと、風神の雲は流したような墨の美しさ。雷神は、自分の語彙の貧困がもどかしいけれど、濃淡、ぼかしにうっとり。

風神・雷神がどこからきてどう動くのか、前後左右の空間の広がりが見えてくるし、こちらへきてここで雷を打ち鳴らし風を巻き起こすという過去・未来という時間も、この雲と余白から見えている。

そして観ている者の気持ちを煽り建てる。やはり其一は煽情的。

宗達・光琳・抱一は二曲一双の屏風だけど、其一だけは襖。風神雷神はそれぞれ裏と表に描かれているので、単体として構成が完成されているということもあっての、この墨と余白でしょう。それにしてもうっとり。

この画集の解説では、其一の風神雷神の顔は「卑俗」と。顔だけ見比べてると、4人それぞれ風神雷神の視線がおたがいみつめあってたり、逆にそれぞれ下界をみていたり。体もしまってたり、ちょっとふやけてたり。いろいろな視線でみるとけっこうおもしろい。

なんにしても、其一の空間表現て面白い。なのに、細部は、ものすごく腕が立ち几帳面にきっちり。牡丹図なんかぞっとするくらい写実の極み。その二面性というか両刀使いうか。

とにもかくにも、明日からの其一展、その変遷と行きついた先の一作が楽しみ。こんなことを書いても明日にはとんちんかんな見方だったと思い知るのかもしれないし、それも楽しみだったりする。


●平櫛田中「森の仙人」 

2016-09-07 | Art

東博にふらりと言ったら、第13室の常設に、大好きな平櫛田中が。先月行った芸大の展示以来、また出会えてうれしい。

「森の仙人」1917

解説:「森の書」と題して大正6年の再興日本美術院展に出品された木彫。「森の書」とは、バラモン教の聖典「リグ・ヴェーダ」に付随する文献「アーラニヤカ」のこと。インドの聖者が森の書を熟読する姿を現している。

アーラニヤカとは?。ウィキペディアでは「ブラーフマナとウパニシャッドの中間的な内容で、哲学的な部分もある。しかし大部分は秘儀的な祭式、およびマントラの象徴的解釈で占められ、人里を避けた奥深い森の中で伝授されるべき秘法について述べており、呪術的な性格が強い。」と。

「奥深い森の中で伝授されるべき秘法」とは気になるけれど、その内容までは検索したくらいではわからず。

リグ・ヴェーダには他の文献も付随してあるのに、どうして森の書なのか?田中はこの内容まで知っていたのだろうか?

田中はアーラニヤカをどこで知り、手をつけたのだろう?。1901年からインドに滞在した岡倉天心から話を聞いたかもしれない。生涯尊敬を向ける岡倉天心に認められたのが1908年。天心の門下生みたいな大観や観山、木村武山とも親交があったようだから、彼らと語りあったことがあったかも。大観や観山も、インドの聖者を描いている。

田中は「本の鬼」とも言われたそうだから、このアーラニヤカの内容も知っていたのかもしれないし、この本に没頭する姿は、自分自身との共感なのかもしれない。

いろいろ妄想しつつも、経緯はよくわからない。

なんにしても、こんなに近く360度まわりこめて、写真も好きな方向から撮れる!

 足は土がついているようで、生身を感じた。

深く書に入り込む視線。

 

「60、70ははなたれこぞう」と言い、107歳まで生きた田中だから、田中の作品の中では、まだ若い45歳の作。

ぐるぐる回ってみていると、あれ?、いつもと少し違う感じを覚えた。

田中の作品は、小さいものでも、内から発するものがすごい。メラメラと気を発している。禾山笑、活人箭、鏡獅子、あの静かな良寛でさえ。

でもこの作品は、あのメラメラを発していない。うちへうちへ。唯一あるとしたら、書と仙人の眼の間にベクトルがあるのだが。

でも外には発していない。

仙人の思索は、深く内へ向かい。しかもかぶりものを頭から深くかぶり、発するものもなにも、布のなかにこめている。

こんな作品もあるんだなあとしみじみ感じ入る。

さらには、田中の作品がオーラを閉じると、周りに森の景色が見えてくる気がするから、不思議。静かだ。

森の書だからって、森で読んでるわけではないのかもしれないけれど、澄んだ森の空気と、木漏れ日。

本を持って森に行ってみようか。いやむしろこの作品こそ、森の中に置いてみたい。

なかなかいけないけれど、晩年の自邸跡の小平の美術館と、生まれ故郷の岡山の美術館に行きたいもの。


●番留京子展 「Lovely Wonderland」

2016-09-02 | Art

番留京子展「Lovely Wonderland」 2016.8.23~9.3 ギャラリーオカベ

 

仕事をさっさと切り上げ、銀座へ番留さんの木版画を見に。気持ち的には走り込みたいくらい。こんな絵を観たかった。今心と体が欲してた絵なのでした。

 

五百羅漢のような「日本五百名山」

なんていいんだろう。小さめ畳6枚分くらいある。

ちょうど番留さんがいらして声をかけて下さったので、お話させていただけた。熊野にお住まいでいらっしゃるから高野山とか仏教の関係があるのですか?とお聞きしたら、先日のお客さんはヒンズーっぽいとおっしゃていたと。なるほど。
皆さん、自分に似てる顔をさがしたりされる、とおっしゃっていたので、探してみました。これかな。

 
そして、このひまわりがすごい。
「大輪向日葵」
これは刷っていなくて、版木そのまま。タタミ小二枚分。
 
このタネの部分の顔!(聞いたらやはり顔だそうです)
 
いつか咲くのを楽しみに眠ってるような一粒一粒の顔をみたら、かわいくて泣きそうなくらい。この顔を観られて”うれしい”、という気持ちがわいてくる。
 

花びらの一枚一枚は、水墨の筆のように迷いがない。

彫り跡にはこんな迫力があるとは。力強い勢い。なんていいものを観ているんだろう。

なんの押し付けもなく、ただ見ることをゆるしてくれる。

何派の影響が、構成が、色彩が、画家の思索がと、あるひとの野心に満ちた評論と知識と言葉に、私はずっと耳をふさぎたかった。自分の言葉を取り戻した今でも。私は頭が単純なので、難しいことを聞き出されるのが大の苦手なのだ。

でも、番留さんの作品は、そんな評論家めいたことを軽々はねかえすパワーがある。超えてる。
番留さんは、「日本五百名山」は最初黒く刷ったけれど、必死に洗い流してこの色に刷りなおした、もう搬入日ギリギリで、と笑う。モデルのお寺の五百羅漢があるんですかと伺ったら、羅漢も山もどこということはなくて、こないだのお客さんがこのへん穂高だねと言っていたから、あ、それでいこうって、と笑う。

なんていいんだろう。

作る人が楽しいから、私も楽しい。 

熊野に引っ越されて25年。熊野古道のネイチャーガイドさんもされている。タイやインドネシアもまわられたと。

ともかくこの絵、どれも、なんていいんだろう。

「Wonderland 2016 Dance」

 天狗のウチワみたいな葉っぱも躍る。煽る。

「Wonderland 2016 Friend」

かえるの滝登り?。自然はWonderに満ちている。

 「Wonderland 2016 Gallop(駆ける)」

イノシシかわいすぎて。畑のスイカを狙って今日も駆ける


「Wonderland 2016 Lost Property(落とし物)」

いつかとりに行くね、それまで預かっといてね。ひろってくれてありがとう。


なぜいいと思うのかよくわからないけれど、少なくとも番留さんのものじゃないものはないからこその世界なのだと思う。借りてきた言葉はない。

どれほどの長い道を辿っての、これらの世界なのか、でも聞いたら、番留さんはさらっと笑うんだろう。

観る目のある方が評論や分析したら、それにかなう素晴らしい作品なのだろう。

でも、日本百名山や大輪向日葵の前ではなんのかんのと考えたくない。

こんなにいいのだから。

仏画のように、ただそこにあるアートに救われている。

番留さんはとてもすてきな方で、訪ねてこられたお友達の方に交じって、私までお茶とお菓子をいただいてしまった。

そういえば修験道も少しされてるとかおっしゃていた。ホラ貝とか。

すぐにも熊野に行きたくなってしまう。