hanana

二度目の冬眠から覚めました。投稿も復活します。
日本画、水墨画、本、散歩、旅行など自分用の乱文備忘録です。

●東博 渡辺省亭「赤坂離宮花鳥図画帳」

2017-03-29 | Art

春まぢかの東博。先日すき間時間に18室だけ見に行ってきました。

上野公園には猫たちが暮らしている。全部でどれくらい生息しているのかな。

 

目当ては、昨年から連続展示の、渡辺省亭の「赤坂離宮花鳥図画帳」。(以前の日記、2016年10月2017年1月

「百舌に山茶花・榛(はん)の木」

自然の一コマの写実なんだけれども、省亭の計算は明晰。小さな画面に、鳥の目線、山茶花の目線、縦に降りる榛の実の方向。いろいろなリズムが線を成す、

葉は固い蝕感。湿った花びら。百舌のふかふかとした羽毛。質感の競演のような。

省亭の花鳥画は一瞬の緊迫感がある。

そして散り始めた花に、自然でさりげない現実感。省亭の絵には、べったりしたした浪花節みたいなところはない。

 

「小鴨に葦」

水面に隠れる鴨の部分が、すうと消えるように書かれて。葦は少ししか描いていないのに、何倍にも感じられるもの。

三羽とも後ろ姿。こちらがそっとのぞきみているような気になる。

 

「桃色鸚哥に科(しな)の木」

おしゃもじ型ラインに実がぽつぽつと。鮮烈な濃ピンク。

 

「鶉に蓼・野菊・釣鐘人参」

それにしてもいろいろな木や花の名前がでてくる。省亭はよく知っているなあ。

鶉が飛んでいる!鶉って地面にいる絵しかみたことなくて、飛ばない鳥だと思っていたかも。

でも気づくと、低い丈の草花ばかり。実はうずらは少ししか飛び上がっていないのだ。がんばっているけど。

それでも鶉の飛ぶ先には、画面の外にも大きな世界が広がっている。なんだか冒険的でほほえましい。

珍しく、複数の花が描かれている。

枯れた葉がしみじみ。もはや無常という感じもせず、COOL。

それにしても、細密なところまで本当にうまい。

 

あじさいにも見惚れた。

「鷦鷯(みそさざい)に紫陽花」

つぶつぶの花のところを凝視

あじさいの枝の曲線が、縦の弧を描きながら画面外へ伸びていく。その先へ飛び立とうとする小鳥。

省亭のクールな世界の中で、どの絵でもたっぷりの情感を含むのが、小鳥の眼。

 

「アカゲラに檜」の大胆さには、びっくり。縦に分断。影と光の部分に二分している。

檜の幹はぎりぎりまで余計なものを捨て、まっすぐ墨で掃いただけ。逆光の光に静かに葉が浮かんでいる。

赤い色の絶妙な少なさ。

 

「行々子(おおよしきり)に葦」

斜めに走る線の中に、体温を感じるオオヨシキリのおなか。一羽も正面を向かず、動きのある鳥たちの一瞬。

たらしこみ、にじみ、濃淡を生かした葉に見とれた。

 

「小鷺」

ほとんど二羽の鷺のみしか描かれていないのに、伝えてくる情感。

羽毛の感じがこんなにもリアルだけれど、地の色を生かしてザッザッと胡粉でひかれただけなのだった。

それでよけいにかたちが際立つ。体とトサカ?の丸いライン。硬質なくちばしと足の直線ライン。他にほとんど何も描かなかった省亭。

 

「雉にわらび」はシュールな。

くねり立つ手下みたいな蕨のなかを、帝王のように歩いてくる雉。真打登場みたいな迫力。観る私の呼吸を一瞬止める。

それにしても、線でもしっぽでも細部でも、手を抜かず本当に細密に描くものだと、あらためて感じ入る。構成力やデザインの妙味だけではないのだと思う。よく見て、誠実に描くことなんだと思う。前の日記で書いたように、偉くなっても、日本画をとりまく社会が変化しても、軸がぶれない省亭の姿。


「駒鳥に藤」

藤とつるの縦のラインに、くるんと巻くつるや、体をくねる駒鳥。いろいろなリズムを仕込んである。

 

抑えた色彩。西洋的な表現もとりこみつつも、ベースに澄んだ墨の色があって、密やかな世界だった。

小さな楕円から、その奥にも左右上下にも、広がる世界。枝の先の方向、鳥の目線、くちばしの向く先、太い幹のベクトル、いろいろなものが画面を自然の世界へと広げている。 

それでいて、無駄なものは一切描かれていない。余計な色も一切使われていない。全て必然。必要にして十分。その潔さ。

どの絵も、省亭が作った数秒の短編ビデオのようだった。抒情感といっても、しめったものは排している。そしてこの画面の前にも後にも続くストーリーまでも描き出している。

制約ある画面だからこそなのか、制約を倍返しにしたような無限の広がりのある花鳥図だった。

 

もう一点、渡辺省亭「雪中群鶏図」

明治26年のシカゴ万博に出品されたもの。42才ごろ。

小さな花鳥画ばかり見ていたので、大きな作品は初めて。丸とひし形に、三角形を成す鶏。

光を浴びているのに、びっくり。

荷車にかぶった雪は、外隈。若冲の雪中群鶏図を思い出すと、あのねっとりとした粘着質の雪と違って、省亭の雪はあっさりすっきり。

材木の質感も、墨の濃淡だけで。

描き込まず、引き算、さらに引き算で、これだけの世界を仕上げるなんて。

透けるような清明な光なのに、奥行き感がすごい。「洋風表現を取り入れ」とのこと、なんなく使いこなし、全く取り込まれない。洋画界や日本美術院系の画家が苦悩している中で、ぶれがない省亭の強さ。

吉田博を思い出す。吉田博は「むまい(上手い)」ということを重視したそう。精神論やら芸術論やらのまえに、まずはそこでしょ!みたいな基本姿勢が、省亭にも共通するかもと勝手に想像している。10代にみっちり写生を仕込まれたこと、早々に海外に渡った経歴、主流画壇に迎合しないところも似ているような。二人の絵に心を打たれるのは、その軸があるからかもしれない。

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18室で他に心に残った絵

飯島光峨(1829~1900)「花下踊鯉」1874

これにはびっくり。現代感覚な不思議な感じ。

この水の跳ねのキラキラ感。超高感度カメラで撮ったみたいな。

現代の作家かと思ったら、なんと江戸時代、文化年間生まれの狩野派の絵師。45歳頃の作。


水も、花も、鯉もどれもが印象的。妖し気なのか、ファンタスティックなのか、どちらに振れるのだろう

幹の点苔もはっきりと。月夜に輝くように色が映えている。

月と櫻は見上げる視線。鯉と水面は見下ろす。二つの場面が一枚に入って、どこか異空間な感じがするのはそのせいもあるのかも。

不思議なこの方、谷中の全生庵の三遊亭圓朝の幽霊画コレクションに怖げな女性幽霊図があるらしい。高橋由一、柴田是真らと交流があったらしいのも興味ひかれるところ。またいつか出会えるかな。

 

河鍋暁斎「龍観音像」

二帖ほどあるくらいな大きな作品。長すぎて下の方は底についてしまっていた。

龍や木のは荒々しくひかれ、かすれ、ものすごい気迫。短いタッチで一気呵成に。

でも、観音様の衣は白く、流れるように長くすうとひかれている。眼で追うと、なにかが流れて、デトックス効果ありそう。

そしてお顔の穏やかさ、静かさ。暁斎、ずるい。いつも驚かせておいて、仏様や観音様の顔でほろりとさせる。ほんとは痛みがわかる優しい人なんだろうね。


今村紫紅「風神雷神」

 
木島櫻谷「朧月桜花」

 

外に出ると、科学博物館前に広重の名所図行燈がいい感じでした。

 


●藤原新也・阿部龍太郎「神の島 沖ノ島」

2017-03-27 | 

「神の島 沖ノ島」 2013年  藤原 新也 (著), 安部 龍太郎 (著)

ともに福岡出身の藤原新也と阿部龍太郎。異色の組み合わせ。


まず、藤原新也の文と写真が生々しい。

藤原新也の子供のころに遡る、沖ノ島の御神宝との不思議な縁。

島全体が御神体であり、一般の人の入島は制限され、いまも一木一草一石たりとも持ち出してはならないという掟を守る沖ノ島。その島の「祟り」を思わせる藤原新也の思い出話が、沖ノ島の畏敬の領域に引き込んでいく。

そして現在へ。BISU2”という船で荒波を渡る。

その海上での描写に、多くのページがさかれている。孤島という地理的要件に加え、波を読むのも困難な海域であることが畏れとともに伝わる。藤原新也の気持ちの高ぶり。そして、ようやく荒波のむこうに姿を現した沖ノ島の写真に、圧倒される。

神職の方の背を追って島の山道を登る道中の写真も、神聖な域として撮っているだけではない。生身の人間が神の領域に踏み込む、空恐ろしさ。

 

それから、阿部龍太郎のいくつかの短い小説がおもしろい。

この地の豪族、宗像一族の視点で、日本史の有名な事件を見る。中央からの視点に一石を投じるような、宗像市ならではの地理観、世界観。新羅と大和政権との間を対等にわたる宗像氏。

「三韓征伐」の話では、妊娠中の神功皇后と竹内宿祢が登場。新羅人の妻を持つ宗像氏の苦悩が描かれる。沖ノ島に渡り神の声を聞く。

そして「白村江の戦い」「磐井の反乱」「壬申の乱」へと続く。「高市皇子」を生んだ大海人皇子の妃が、宗像徳善の娘だったとは。中央政府にも一定の影響があったということ。ただ高市の皇子の子、「長屋王」は長屋王の変で失脚。その後の宗像氏の存続についての阿部龍太郎の考察。

登場人物や当時の世界が生き生きと蘇り、興味と親しみがわく短編集だった。長編小説として発展させてほしいと思う。

 


●房総・高増暁子さんの絵

2017-03-20 | 日記

房総へ行ってきました。

目当て1は、長生郡のバナナの農園。

中国画や、日本でも江戸時代の絵でたまに見かける芭蕉の葉。渡辺始興や応挙の水墨でも見たことがありますが、芭蕉の葉が入っている絵は南方のおおらかさがあって、個人的に好きなのです。関東でも木はたまに見かけるし、実はつかないけれど広く国内に分布しているよう。中国の絵に倣ったのか、日本にはいつごろ分布したのか、リサーチ中。

 

農園は、バナナのハウスに、直売所とカフェ、ドッグランも併設されていました。ご主人様がいらっしゃって、ハウスの中を見せていただけました。

おお~葉がわさわさ💛。

都内のレストランから葉だけ分けてほしいといわれることもあるそうですが、新しいきれいな葉をとってしまうと実が成長できなくなってしまうそうです。

木は一年で枯れてしまいます。横から新しい株が出てきています。

冬場は暖房が欠かせないそうで、大きなストーブがありました。

バナナは木曜に店頭に並べるそうですが、午後過ぎには売り切れてしまうそう。この日も残念ながら買えませんでした。

でもカフェのバナナジュースが絶品!。ストローで吸い上げるのに、ほっぺたひっこむほど濃厚で超絶おいしい。

 

長生郡の道中。いい雰囲気の街並みでした。

 

国登録有形文化財の「翠州亭」。昭和5年に建築。戦後の昭和20年から昭和53年まで、スイス大使館として使用された建物。

今はレストランとして現役ですが、この日は満席でした(泣)。

 

この辺りの海岸、天の川がきれいに見えるらしいです。

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それからお目当て2、高増暁子さんの絵を観に、富津へ。

作年の日展で高増さんの絵に出会いました。

「朝ー大坪の里ー」

のどかな風景。でももしかしたらちょっと不思議。どうなんだろう?

不思議な感覚が心に残り、検索すると、富津にギャラリーが。http://www.chibanippo.co.jp/news/local/201292

高増さんは、女子美を出られて、約38年ほど前に都内からここに移り住み、製作をしていらっしゃるようです。最近、息子さんがカフェ「CAFE GROVE」を同じ敷地内に作られたそうです。

大坪は、絵のとおりののんびりとした風景でした。

きじもいた♪♪。

ギャラリーは、小高い山の中へ。ほそい道を入っていき、対向車が来たらどうしたらいいのか。

着いてみると、山中の道の行き止まりのカフェは、満席の人気ぶり。とても素敵なカフェでした。

森の奥にギャラリー。

 

季節に合わせて、春の絵を展示してあったようです。

 

ここで朝から夜を暮らし、四季を感じているのだなあ。

 

 

ゆっくりとした時間が絵に浮遊し、広がっている。技術的なことはわかりませんが、日本画ですがしいていえばナビ派のような。

 

前に感じた少しシュールな感じはなくて、日展で感じたのは私の思い過ごしだったようです。

全体は色彩に揺らぐようなのに、細部を見つめると、どこも強い。。

簡略化されているけれど、ひとつひとつにしっかり実態があるような。だからか細部にいつまでも入り込んでしまう。

色がしみいり、じんわり。

もっともっと見ていたい絵でした。

 

オープンテラスのカフェは、自然のままの森。お茶もケーキもおいしくて、交通の便がよくなくても大人気なのも納得。

 

 

山を下りてくると、牧場も。

近寄ってきます。というかにじり寄ってきます。

というか圧かけてきます。

細い針金だけの低い柵なので、もし怒っているんだったら飛び越えてきそうな。

ここの牛たち、ただものじゃない威圧感。もしかしたら最初に日展で見た牛たちのシュールな印象、あながちはずれていないのか?。

早々に退散。

岬で夕日を見て、アクアラインへ。

長生郡も富津もとてもいいところでした。また季節をかえて行かなくては^^。

 


●三の丸尚蔵館「寿ぎの品々を読み解く」

2017-03-13 | Art

三の丸尚蔵館「寿ぎの品々を読み解く」

後期2017.2.11~3.12

 

川村清雄と野口幽谷を観たくて、後期に皇居へ。

皇室の慶事に献上された品々は、作家が丁寧に製作した逸品ぞろい。4つの章で構成された、祝いの気持ちと平和に満ちた室内だった。

 


≪慶祝と蓬莱図≫の章

蓬莱山は個人的に好きな画題。海と山がいっぺんにもりこまれるスケール感と、鶴やら亀やらかわいいですから。

「蓬莱山図」横山大観・下村観山 明治33年 若いふたりの合作。

28歳の観山は「巌に日の出図」。岸壁の合間に上る日の出。淡くやわらかな情景。海と空の境も溶け合っていた。

大観は33歳。「月の出図」。いつもは観山のほうが好きだけれど、この大観いい。ぽっかりとマッコウクジラの背中みたいな黒い丘。むこうに薄く霞んだ山が蓬莱山。砂浜に鶴が数羽、そこへ飛んで着た仲間の鶴。月は認識できないけれど茜色の淡い空。寄せる波も静かで、控えめな情感だった。


それから約30年後、大観「蓬莱山図」 昭和3年

おにぎりみたいな山並みが群青に縁どられている。群青中毒のころの速水御舟を思い出した。御舟の「京の舞妓」に激怒した大観だけれど、心の深層に青が刷り込まれてしまったのかな。

それにしても、パーツが小さくかわいい。小さな鶴、足の短い鹿、桂林みたいな遠くの山並み。ムーミンの「にょろにょろ」みたいに動いていそうな松の木たち。赤丸みたいな太陽も小さくアクセント。画像では見えないけれど、打ち寄せる白波は、きんとうんみたいな形でほほえましい。昔話の世界に遊べるような蓬莱山だった。

 

≪不老長寿の願い≫の章 では、橋本雅邦「寿老人鶴亀図」明治33年

寿老人の顔色の悪さだけがナゾだったけれど、亀の幅、鶴の幅、それぞれいい情感。蓑ガメにのる子ガメ。岩の上にもう一匹。三匹の視線がおりなす先がきちんと見えた。鶴は、松の若木の間からそっとたたずむ。緑が淡く爽やかな色できれいだった。

 

≪神の使い≫の章 では、鶏、鹿、猿と。

川村清雄「鶏の図」大正~昭和初期

思ったよりも小さな絵。30センチくらい。即興のような荒い筆致。

故高松宮妃喜久子さまがご成婚の時に、徳川家から持参したものとか。喜久子さまは、徳川慶喜の孫。清雄は幕臣の家の出、勝海舟にも近く、清雄の絵は旧幕臣に愛されたそうなので、つながりもあったのでしょうか。

それにしてもこの鶏、オルセー美術館蔵「建国」を思い出す。

「建国」の鶏は、天岩戸伝説をモチーフに、フランスに贈られることを念頭に描かれたもの。創成期を思わせる玉や宝物。菊も高貴さを添えて。

一方、今回の「鶏の図」のほうは、古びた臼と鍬、藁。山村の農家の庭先のよう。建国の在野バージョンかな?

でもどちらもすがすがしい光に満ちている。鶏は、描かれていないけれど左の方から上る陽の光を満面に浴びている。

古びた臼がいい味なのだけれど、解説によると、故事の「諫鼓鶏」の見立てとか。伝説の聖天子堯、舜、禹が、宮殿の門に太鼓を置き、施政にもの申したき者はこの太鼓を打って知らせよと。でも善政ゆえに、太鼓を鳴らす者もなく、いつしか太鼓は鶏の遊び場になってしまった。つまり善政の象徴ということ。

確かに、この鶏は平和を満喫しているような晴れ晴れしさ。なんだか観るほどに愛すべき絵に思え、愛着がわきそう。

 

森寛斎「古柏猿鹿之図」明治13年 二帖くらいありそうな大きな掛け軸に、びっしりと木と動物。

さすが森派、動物たちが生き生き。毛並みもリアル。

歯を見せて笑っている親鹿。猿も鹿も仲良く共存。鹿は「禄」と読みが重なり、富や財産の表現となる。

 

≪社頭図とめでたき景観≫の章  は伊勢神宮ゆかりの品々。

伊勢という地域に花開いていた芸術の厚さを知り、驚き。(解説では「神宮」とさらっと使われているので、最初は明治神宮のことかなと思っていたら(恥)、伊勢神宮の正式名称が、The「神宮」なのでした。)

そして、初めて知る「中村左洲」という画家の不思議な魅力。四条派の写実と伝統の合間に見え隠れする、彼の感性。ナニカあるげな気配。神気。

↓は、前期展示の「天壌無窮」中村左洲 大正14年

後期では二点。

神宮四季景色」 磯部百舟・川口呉舟・中村左洲 3巻 大正13年1924年 昭和天皇のご成婚に、宇治山田より献上されたもの。

左洲は「神宮の御塩」を担当。砂浜の塩田を、翁がほうきではいている。松林が踊るよう。そこから静かに放たれるものが、ほとんど抽象のような域。海の青がとてもきれいで、金砂子が撒いてあった。


「神宮の図」中村左洲・川口呉舟 対幅 昭和3年 では、呉舟は雪景色、左洲は緑萌えたつ季節の伊勢を描いていた。

左洲の木々の葉は、丸くデザイン化された葉が円満なこころもち。そこへ細かく線が入れられ、抽象的な面白さ。遠景に霞む木々は、人が立っているような不思議な気配で、どきっ。

彼の感性なのか、広大な神域である伊勢の気なのか。一見伝統的で静かな絵なのだけれど、端々に海や山の自然から、また神域にめぐる気から、左洲が取り込んでいたものがじんわり伝わってくる。


中村左洲(1873~1956)は、 伊勢では 「鯛の左洲さん」 として親しまれているのだとか。
確かに左洲の鯛の絵、すごい!二見町の漁師さんという経歴も珍しい。10歳で父を亡くし、漁業のかたわら、四条派の磯部百鱗に学ぶ。文展にも出品しながらも、生涯二見町で暮らしたそう。

また、先日山種美術館と松岡美術館で見て以来はまっている伊藤小坡と、同門であったことにもびっくり(山種美術館の日記、松岡美術館の日記)。二人の師の磯部百鱗は、伊勢神宮の御師の家の生まれ。伊藤小坡は伊勢の猿田彦神社の宮司の家の娘。磯部百鱗の画塾は、地元の人に幅広く門を開いていたんでしょうか。しかも弟子たちは確かな画力の中にも、それぞれににじみでる個性が魅力的。

伊勢という地域の芸術性の高さは、とても興味深い。東京、京都だけじゃない、長崎の南嶺派、一昨年千葉市美術館で開催された大阪絵画、秋田蘭画などと同じように、地理的要件、自然、歴史、ある人物の存在などが合わさって花開く、地方のアートのホットスポット。

伊勢では、皇室とつながりの深い伊勢神宮の存在と、伊勢志摩の独特な自然が、この地域の芸術をはぐくんだのでしょう。

刺繍神宮之図屏風 大野隆平ほか 大正13年」もそんな品。

昭和天皇のご成婚の際に三重県知事から献上されたものとか。

油絵のタッチを再現した刺繍。中央の橋の下には五十鈴川が腰板の部分に流れているという趣向なのでしょう。洋と和の混合した屏風。油絵の荒い筆致まで感じ取れる刺繍の技術の高さにも驚いたけれど、その腰板部分の美しさにはびっくりMAX。

螺鈿の鯉は七色に光っていて、幻想的なほど。波は、金蒔絵で。飛び散る水しぶきは、なんとさすが伊勢志摩、真珠がちりばめられている!。河岸の草につく水滴も真珠。サプライズでもあり、しかもピュアな真珠のしずくの美しさに打たれました。

 

伊勢アートにすっかりひかれた今回の展示。二見町の賓日館という明治20年建築の元旅館の館内には、中村左洲の「大名行列屏風」があるよう。次にお伊勢まいりに行ったときには、おかげ横丁で食べ歩いていないで、伊藤小坡美術館、志摩、二見町に行かなくては。

 

この日の皇居のお庭にて

みつまた

ろうばい

ぼけ

 


●イタリア文化会館 「ラウラ・リヴェラーニ写真展ーアイヌの現在」

2017-03-03 | Art

イタリア文化会館 ラウラ・リヴェラーニ写真展 アイヌの現在

2017年03月03日~03月18日

(HPより)アイヌの人々は日本列島北部周辺に居住し、厳しい自然環境のもとで独自の文化を育んできました。その起源についてはまだ明らかにされていない点がありますが、熊送りの儀式や女性が口の周りに刺青を入れるといった習慣などがよく知られています。
本展では、写真家リヴェラーニが今を生きるアイヌの人たちや、彼らが暮らす土地の風景などを撮った作品44点を展示します。
リヴェラーニは、写真を通して現代社会におけるアイデンティティの意味を問い、また、コミュニティの帰属の意味をアイヌ文化の継承、アイヌ語の保存、権利の回復において探っています。
展覧会会場には、クリエイター集団Lunch Bee House(L.リヴェラーニ、空音央、V.ドルステインドッティル)が制作した映像も映します

ラウラ・リヴェラーニ Laura Liverani
写真家。ボローニャ大学で視覚芸術を学び卒業した後、イギリスのウエストミンスター大学写真科の専門課程を修める。イタリアのほかアジア諸国で生活し、写真家として活動してきた。作品は各地で展示され、またシンガポール国際写真フェスティバル(2014)やローディの写真フェスティバル(2016)などにも参加。ベネトンのClothes for Humansなど、さまざまな雑誌に作品が掲載されている。ISIA(イタリア・ファエンツァ)、
ナショナル・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザイン(ダブリン)、ミドルセックス大学(ロンドン)などで写真を教える。2015年、長期にわたっててがけているプロジェクト「アイヌ・ネノアン・アイヌ」がヴォリーノ賞を受賞。

イタリア文化会館のエントランスホールで展示されていました。

イタリア人の写真家が撮ったアイヌの人たち。

こちらによると、リヴェラーニさんは黒い大きな瞳が印象的な女性。日本語も堪能で、一定の期間、北海道に腰を落ち着けていたよう。

2012年から4年間撮りためてきた。

始めは、東京のアイヌの人に会い、それから北海道の二風谷、そして阿寒湖のコタンにも通ったそう。東京のアイヌの人に会ったのがたまたまなのか、訪ねていったのかは、解説にはなかった。アイヌのひとや歴史のことは外国でも知られていると思うので、それで来日したのかもしれない。先日もドイツへ持ち去られた遺骨の返還に関するニュースがあったばかり。

静かな写真の数々。

多くは人を撮っていた。日本人でないから、後ろめたさもなく向き合えているのかもしれません。

ほとんどの人は、まっすぐにこちらを見つめる。

声高に復権をさけぶわけでもない。ことさらに文化を強調した写真でもない。

撮影に関しては、リヴェラーニさんと写る人々は、「考えを共有してのぞんでおり、どのようにレンズの前に立つかは、そのひとに委ねられている」と。ここに写る、一人一人の形で。


最初の一枚は、「八王子に自作の服をきた活動家」北海道だけのことではないのだ。

森の中で、自作のアイヌの伝統的な衣装を身に着けて座っている女性。

 

そしてポスターにも使われている写真は、君津の男性

「アイヌのエカシ(長老)ー千葉県の山中に自身で作った伝統的住居チセでー」2012年の写真。

帰宅後検索してみると、北海道から出ていらして解体業を起こした方。自ら重機を動かし開墾して作られた「カムイミンタラ」という施設が君津にあった。http://www.2kamuymintara.com/(2015年に閉鎖)。

 

それから、北海道の二風谷。阿寒コタン、静内、白老。

アイヌのひと、そうじゃないけれどここに移り住んだり、関わったりしているひと。

伝統的な衣装の人もいれば、普段着や仕事着、制服のひとも。


「民族舞踊家の女性」は衣装を身に着けていた。

「アイヌ語の専門家の男性」は、確か釣りの帰りのような感じだった。

ある女性の写真の横のプレートには「自分が生まれるとき、落雷で火事になった。火事を招くということで集落から追い出されたが、父が受け入れの儀式を行って、取り戻した」と。

川に胸まで使って魚をとっている、高校生くらいの女の子。

別の女の子は、祖母の工房でアツシ織の布や糸に囲まれて、高校の制服姿で。祖母は、飼っていた犬や猫が死ぬと、埋葬せず、カラスへの食べ物とする。それで魂は神の国に行くのだという。けれど自分は納得していない、と。

宅配業も行う猟師の男性のさげるバッグは、鋭い爪もついた熊の手。ベルトを着けてとてもうまく作ってあった。

「漁師の若い男性」は、アイヌの伝統的な服で室内で。

役場のHPのアイヌ文化の紹介・職人紹介にも出ていらっしゃる、アツシ織作家の貝澤雪子さんの写真も。熊送りの儀式イヨマンテについて語っていた。熊送りの儀式は、熊の魂を送るために矢を天に放つけれど、矢を放った人は矢とともに連れ去られる。偶然でしょうけれど、夫はその後亡くなった。それが二風谷で行われた最後のイヨマンテになったと。(展覧会の写真に写っておられた織物や木彫りの作家さんたちは、このHPで作品とともに紹介されている)

「チセを作るための萱を取るためにカマをもつ二人の女性」は、たくましくもほほえましかった。

 

二風谷に移住してきたひとたちも。

「沖縄出身で長く二風谷に暮らす女性」、「原発事故のあとで、東京から移り住み伝統的な暮らしをする男性」。

白人の活動家の男性は、すこし微笑んでいたかな。

 

まじめな顔で「ビラトリレンジャー」に扮した平取町の公務員の男性には、フフッと。

民芸店のご夫婦と娘さんは、お店の前で写っておられた。娘さんは大きいおなかに手をそっとあてて、少し微笑んでいた。赤ちゃんのお誕生を待つご夫婦の眼も優しかった。この方たちもイヨマンテについて語っていた。イヨマンテは最後は熊を食べるのだけれど、自分たちは食べることができなかった。飼っていたポンタだったので。ポンタは今は博物館に・・。イヨマンテは不幸をもたらすので、いまはもう行っていない、と。

 

静内では、「アイヌの酋長シャクシャインを記念して行われる行事」の日。

お祭りの衣装だと思うけれど、少し離れてこちらをいる女性の姿に、どきり。過去と現在が混じったようで。一気に当時の北海道の想像がふくらむ。

ふたりの男性は、立派な衣装を羽織り、刀を下げる。シャクシャインや武将役なんだろうか。

 

改めて、いろいろな経緯のひとが、タイトルでもある「アイヌの現在」と「この地域」を構成しているのだと思う。

それ以上のことを、リヴェラーニさんは言わないけれど、これらの人々を風景のようにとっているわけではない。一方的に撮っているわけでもない。

きちんと話し、意志をもって写ってもらう。この写真の皆さんは、きっと自分の考えで衣装を選び、場所を選び、思いを瞳に込めて、あるものは無心に素の自分で、リヴェラーニさんのレンズの前に立ったんでしょう。

「アイヌの現在」にどのようにかかわっているかはそのひとその人で異なり、そのひとそのひとの写真に率直に織り込まれている。

 写っている人たちからリヴェラーニさんに向けた言葉を聞きたかったけれど、言葉として特に展示にはなかった。でも写ったその姿が、リヴェラーニさんへの言葉なのでしょう。もしかしたら撮られることを断った人たちもいるでしょうし。

 

リヴェラーニさんは、「現代社会におけるアイデンティティの意味を問い、また、コミュニティの帰属の意味をアイヌ文化の継承、アイヌ語の保存、権利の回復において探っていますと。アイヌのコミュニティに4年をかけて通う中で、これまでのところ、それにどう答えをだしているのだろう。

「アイヌ文化の継承、アイヌ語の保存、権利の回復」を、アイヌのひとだけではなく日本人全体としても看過してはならないのに、現代では、日本全体がそもそもアイデンティティが錯綜し、浮遊しているのじゃないか。その人その人に委ねられる部分が増大していく現代で、様々なひとをも受け入れる二風谷はじめいくつかの地域は、コミュニティとしてもひとつの姿なのではとも思った。

リヴェラーニさんは、日本の社会全体の姿の断片としても、北海道のこれらの地域を撮っているのでしょう。

 

少しだけあった風景の写真も心に迫ってくるものでした。

閉館した民宿「二風谷荘」の写真も。誰もいなくて寂しそうな中にも、つい先日まで営業していたかのような気配が、確かに残っていました。

 

*この展覧会の写真の何人かの方は、平取町役場のサイトや、二風谷の資料館のサイトで紹介されています。

*リヴェラーニさんは、こちらのtwitterでも展覧会の情報があるかもしれません。https://twitter.com/lauraliverani