はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

ねずみの算数 その4

2022年02月10日 20時19分07秒 | ねずみの算数
さて、どうするか。
まだ暴れ足りない様子の刺客である。
こいつの四肢の骨すべてを折り、動きを封じてから牢へ閉じ込めるべきか? 
とはいえ、甘ったるいことは言いたくないが、その蛮行ともいうべき行為を、孔明の前でするのはためらわれた。
決裁をあおごうと振り返ると、孔明は、利き腕をさすって、痛みに顔をしかめている。
「どうした?」
「さっきので捻った」
「…すまん」
相手が、精神的には打たれ強いが、肉体的には打たれ弱い、やわな青年だ、ということを忘れていた。
「どれくらい痛む? 字は書けるのか?」
「たぶん」
といいつつ孔明は腕をまくる。
すでに腕は、ひねられた反動で腫れつつあった。
これでは文字を書くのは無理だ。
趙雲が顔を蒼くしているのを見て、孔明は、それでも笑みをうかべてみせる。
「謝るのはこちらのほうだ。すまないな、子龍。やはり剣くらい、使えるようにしておかねばいかんな」
むしろおまえが悪いと責任転嫁されたほうが、趙雲は気が楽だったろう。

趙雲は、ふたたび仰向けになっている刺客に振り向くと、手にしていた剣を振りかざした。
ざくり。
一瞬ののちに、ぱらぱらと、刃によって切られた刺客の髪の毛が、束になって崩れた。
刺客は、あまりのことに目を見張っている。
おそらく、ひとおもいに、首を刎ねられたほうが、よほどましだと思ったにちがいない。
髪を切られることは、罪人の証し。
死罪に次ぐ、重い罪、そして死罪にも増して、恥辱を味わう罰なのだ。

「殺せばよかろう!」
そう叫ぶ刺客に、趙雲は冷淡に言い返した。
「あとでな。しかし貴様には、まだ用がある」
「貴様らにしゃべる情報など、なにもないぞ!」
「しゃべらずともわかっておる、どうせ曹操の刺客であろう」
「な、何を言う。だいたい、曹公を呼び捨てにするなっ」
莫迦な刺客である。
「俺が貴様に用があるのは、その口ではない。手だ」
「手?」
趙雲は、息を詰めて様子を見守っている、背後の孔明にたずねた。
「軍師、発注書はどこまで終わっている?」
「あとは、数字を書き入れればよいだけだ」
趙雲はふたたび刺客に向き直り、剣の切っ先を、その咽喉元に突きつけるようにして、言った。
「俺は貴様をかならず殺す。いや、もう死んだも同然の幽霊だ。軍師、条件には、幽霊に手伝ってもらってはいけない、というものはなかったろうな?」
「普通は、そんな条件はつけないよ」
「よし、貴様も、さきほどから俺たちの様子を探っていたのなら、事情はわかっているはずだ。貴様には、筆をもてなくなった軍師の代わりに、数字を書いてもらう!」
「そんな無体な!」
わめく刺客の咽喉を、趙雲は切っ先で軽くつついた。
それこそすぐに殺されるのであれば、刺客もこれほど不様にわめかなかっただろう。
だが、髪を切られたあげくに妙な条件を突きつけられたので、すっかり冷静さをうしなっている。
「やめてくれ! 本当に無理なのだ! 俺は、文字が書けぬ!」
「やかましい! 一や二ならば、線を横に引っ張るだけであろうが!」
「ええ! 数字って、そうなのか!」
刺客は、衝撃に目を見開いている。
背後では孔明が、
「この者は、どこから来たのだろうな?」
とあきれている。

庶民に文盲は多いし、彼らを莫迦にするつもりもない。
むしろ、中流より少々上の階級の出である孔明や、趙雲のように文字に明るい人間のほうが少ないのだ。
しかし数字は生活に密着した大切なもの。
学のない人間でも、簡単な数字の書き方、読み方くらいは、知っているものである。

同情を引くための芝居かもしれぬ。
ともかく、夜明けまでに発注書を仕上げねばならぬのだ。
芝居をしているのならば、騙されたフリをして、ともかく目的を果たす。
あとの処理は、あとで判断しよう。

趙雲はこころを決めると、刺客を起き上がらせた。
そして、刃で威嚇しながら、腕を痛めた孔明の変わりに、刺客に筆を持たせて、数字を書き入れさせた。
数字をかけない、といった刺客の言葉は、本当だった。
筆の握り方もわからず、ぎこちなく、一や二を綴っていく。
さらにいちいち、
「これが一! ほお、これが四か!」
と驚くので、たまに小突いて、黙らせる必要すらあった。




夜明けぎりぎりに、発注書は仕上がった。
「よし! これで三割引きはわたしのものだ!」
孔明は喜んで書簡をまとめる。
刺客に仲間がいて、捕縛された仲間を取り戻そうと襲ってくるといけないので、柱に縛って放置しておこうとした趙雲だったが、ぎょっとしたことに、刺客がしくしくと泣き始めた。
「俺の一生はここで終わりか。みなにいじめられ、縊られてしまうにちがいない。思えば、生れ落ちたときより、いじめられっぱなしのひどい一生であった。
この仕事だって、本当は受けたくなかったのだ。諸葛亮を説得し、できなければ殺せ、と言われたが、口下手のおれに説得なんかできるわけがない。やけになって襲ったらこのざまさ。でも仕事を受けていなければ、仲間たちにひどい目に遭わされていただろうよ。俺だってわかっているのさ。要領がわるいし、刺客にはまるで向いておらぬとな。努力はしたよ。人一倍の努力を。
だが、人には、向き不向きというものがあるということに、気づくのが遅すぎた。そう、俺は捨て駒にされたのさ」
「よく喋るやつだな。同情を引こうとしても無駄だ。貴様を殺すと最初に言ったはずだぞ」
「分かっているとも。刺客というものは、そういうものさ」
刺客は唇をゆがめて、卑屈な笑みを浮かべて見せる。

趙雲はだんだんと苛立ってきた。
こいつ、小芝居がうますぎる。
「子龍、すくなくとも、この者のお陰で書類は揃ったのだ。情状酌量の余地はあるぞ」
「寝不足で冷静さを欠いているようだな。こいつがおまえの命を狙ったことを忘れたのか?」
「忘れてはいないよ。でも、そんなに悪いばっかりの男でもなさそうな」
「甘い!」
つい語気が荒くなる。
孔明は軽く眉をひそめて、いつもそうするように、小首をかしげた。
「寝不足なのは、あなたも同様だな。この者の処断は、ゆっくり休んでから決めることだ。それより、商人の常宿へいくぞ。そろそろ夜が明ける」
「うむ…こいつはどうする?」

はらはらと涙をながし、ときに大きく鼻をすする刺客に、趙雲はうんざりした目線を向ける。
それというのも、孔明が、すっかり慈愛をたたえた視線で刺客を見下ろしていたからだ。
どうやら、ほぼ一晩、ともに書類を作成したことで、情がわいたらしい。

わが君もお人よしであるが、こいつは輪をかけてお人よしだ。
わが君の場合は、裏切られてもよし、という覚悟があってこそのお人よし。
だからこそ人々に慕われるのだが、こいつの場合は、単に世間知らずゆえの、お人よしではないか。

「ここでは、たしかにさらし者になるばかりだ。わたしの私室に縛っておこう」
やはりというか、なんというか。
趙雲は嘆息しつつ、孔明の言うとおりに、刺客をぐるぐるに縛って、孔明の私室に放り投げておいた。
孔明が立ち去り際に、刺客の側にかがんで、なにかをつぶやいていたが、趙雲は、あえてそれを聞かないでおいた。
知らなければ、苛立つこともあるまい。

つづく


(2005/04/10 初稿)
(2021/11/28 推敲1)
(2021/12/22 推敲2)
(2021/12/26 推敲3)
(2022/01/09 推敲4)


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