はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

ねずみの算数 その3

2022年02月09日 12時36分55秒 | ねずみの算数
「お節介かもしれぬが」
「なんだ」
「そのことを、わが君にはお伝えしてあるのか」
孔明は、肩をすくめて、笑みさえ見せた。
「貴方様のいたずらの過ぎる義妹を、少々おとなしくさせてくださいと言えとでも? わが君はわたしのために、だいぶあちらを我慢させているのだ。いま、わたしが騒げば、あちらの不満も止まらなくなるだろう。わたしが我慢をすればよい話だ」
「納得できぬ」
「そこはあなたも我慢してほしい。それに、わたしはさほど辛くないよ。話を聞いてくれる人間がいるうちは、まだ辛くない」
そう言って、孔明は清々しく笑った。

この軍師は、過去に、完全な孤立というものを味わったことがあるのだろう。
趙雲も、孔明と行動を共にしていることで、武人仲間から、いささか距離を置かれている境遇だ。
しかし、代わりに孔明がいる分、辛さは、さほど感じないでいる。

話が重たくなってきた。
孔明も居心地がわるそうに、話をつづけるべきか、それとも作業に戻るべきか迷っているようだ。
俺が仕事の邪魔をしてどうする。
ともかく、雰囲気を変えよう。
そうして趙雲は、たわいのない話題を探したが、うまく見つからない。
もともと世間話は得意ではなく、身の回りの話題を振ろうにも、仕事のことばかりが浮かぶ。
私生活については、孔明は触れられるのをいやがるし、それは自分も同じである。

そうだ、と趙雲は手元の剣を見た。
「軍師、剣は持っているか?」
「護身用の短剣なら」
「では、これを貸す」
趙雲は、最前まで磨いていた剣を渡した。
孔明は、いきなりの申し出に、目をぱちくりさせつつ、それを受け取る。
そして、慎重すぎるくらい慎重に、そおっと鞘から刀身を抜いた。
ほのかな明かりに凶暴に光る刃に、ほおっと感嘆のため息をもらしている。
ほんとうに、こいつは戦うということから遠いところで生きていた人間なのだなと、なかばうらやましく思いつつ、趙雲は少々、意地悪く言った。
「使い方はわかるか?」
「わかるとも。叔父と徐兄から剣を習っている。見ていろ」
孔明は立ち上がると、剣舞のまねごとをはじめた。

それをどんな剣舞であったか、形容するのはむずかしい。
孔明が一生懸命なのはわかったので、趙雲は、笑わずにいたが、笑いをこらえるために、ひざをきつくつねらなければならないほどだった。
あえて形容するならば、字を習いたての子供が懸命に清書した文字を、名人が見たら、こんなふうに面白く思うのかな、という感じである。
ずっと座っていたために、体がよく動かない、ということもあるだろう。
だが、孔明の動きは、油の差されていない歯車のようにぎくしゃくとしていた。
つぎに何をしたらよいのか、わからないで、おっかなびっくりとしている新兵のようにも見える。

「努力はみとめる」
「それはどうもありがとう。しばらく手に持っていなかったから、どう扱うのか忘れてしまったのだ」
ほんのすこし体を動かしただけで、息を切らせつつ、孔明は言い訳をした。
剣の腕云々よりも、まずは体力づくりをしたほうがよさそうだ。
「しかし子龍、いまあなたは得物をなにも持っていない。ここで、刺客に襲われたら大変だな」
「妙なことを言うな。本当に刺客があらわれたらどうする」

かたり。

なにかが天井で動いている気配がある。

ネズミか?

ぞくりと、首筋に冷たい刃を押し当てられたような感覚をおぼえた。
趙雲は、おのれの楽観的にすぎる考えを跳ね飛ばした。
二度とこいつと、刺客の話なんかしない。
「軍師、剣を!」
ここで張飛なり、副将の陳到なりならば、趙雲の声に即座に反応し、剣を投げてよこす。
しかし、孔明では、趙雲の反応に体が追いついていかない。
剣を抱えたまま、呆然としている。

間に合わない。

うろたえていると、天井より黒い影が舞い降りてきた。
黒い影は床に着地するなり、床を蹴って、まっすぐと、孔明の首を狙ってくる。
こいつは天井に潜み、ずっとこちらを観察していた。
そして、趙雲がいなくなるか、あるいは武器を手放すのを待っていたのだ。
「くそっ!」
悪態をつきつつ、趙雲は近くの文官の机から、硯を掴む。
そして思うさま、刺客に投げつけた。
みごとにそれは、ごつり、と刺客の頭部に当たった。
そのおかげで、刺客の、孔明を狙う刃の切っ先がにぶる。
その隙に、趙雲は手を伸ばし、孔明をおのれのふところに抱え込むようにする。
刺客の刃は、ぎりぎり孔明の身をかすめ、空を突いた。

だが、刺客はあきらめなかった。
ふたたび態勢を整えるや否や、すぐさま孔明と趙雲に向きなおる。
ちょうど、孔明を抱える趙雲と、態勢を整えた刺客が対面する格好となった。
ふところのなかの孔明は、突然の襲撃にうろたえ、完全に強ばってしまっている。
さらに悪いことに、剣を離そうとしない。
仕方がない。
「軍師、逃げるなよ!」
そう叫ぶと、趙雲は、剣をかたく掴んだままの孔明の両手のうえから、更に補強するように己の手を重ね、襲い掛かってくる刃を、渾身の力で跳ねのけた。

刺客が力に圧倒され、背中から倒れる。
同時に、孔明の力がゆるんだ。
趙雲は、剣を孔明から奪うようにして取ると、亀のように仰向けになってもがいている刺客の手首を打った。
からん、と音がして、刺客の武器が床に落ちる。
さらに、倒れた刺客の首筋ぎりぎりに、おのれの剣の刃をつきたてた。
「ここは戦場ではないからな。貴様の薄汚い血は、ここでは流させぬ」
頭巾で顔を隠した刺客が、低くうめいた。
頭巾を剥ぎ取ると、目つきの鋭い、それ以外には、これといって特徴のない風貌があらわれた。

つづく

(2005/04/10 初稿)
(2021/11/28 推敲1)
(2021/12/22 推敲2)
(2021/12/26 推敲3)
(2022/01/09 推敲4)


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。