※
「隠れて」
強ばった声で花安英《かあんえい》がいい、孔明は素直に物陰に身をひそめた。
廊下を進む孔明と花安英の前に、兵士たちが数人、束になってこちらへ向かってくるのが見えた。
さきほどから城内が騒がしい。
ばたばたと兵士たちは早足に駆け去っていく。
「さきほど、賊が、劉州牧の部屋を守っていた連中を皆殺しにしたらしいぞ」
「おかしいではないか。賊が門を突破したらしいとしらせがあったのは、ついさっきなのに」
「賊が二手に分かれているのだ」
「いや、三つだろう。正門で暴れているのと、そいつを囮にして城内に入り込んだのと、すでに城に入り込んでいるやつの三つだ。
しかし、俺たちのほかに、城をうろついている若い連中は、いったい何者なのだ?」
什長《じゅうちょう》らしき年配の男が、首だけを動かして兵士たちを振り返る。
「詮索無用だ。われらは賊を捕らえることのみに集中すればよい」
「はあ」
納得しかねるというふうに、兵士たちは返事をかえした。
薄暗がりに隠れる孔明は、遠ざかりつつある足音に安堵しつつ、考える。
すでに城内にいる賊とは、ほかならぬ自分たちのことであるが、ほかに二手?
正門で闖入者《ちんにゅうしゃ》があり、潘季鵬《はんきほう》の兵士たちと衝突したらしい。
兵士たちの話からすれば、闖入者は二人で、ひとりが囮になり、もうひとりが別の門から侵入したようだ。
詮索するまでもなく、それは趙子龍と|斐仁《ひじん》、あるいはあの老人であろう。
「あのばか」
物陰で兵士たちの話を耳にしつつ、孔明はつぶやいた。
あれほど新野へ帰れと言ったのに。
たった三人で、この城内全員を相手にするつもりか。
孔明は、手にした長剣の柄を、ぎゅっと掴んだ。
人を殺したことはない。
しかし、やらねばならぬ。
ふと気づくと、花安英が傍《かたわ》らに立ち、見下すような視線を送っていた。
「ここでじっとしていれば、あんたの助けが来るかもしれないね」
血に汚れた花安英の顔は、思わず目を背けたくなるほどに、みにくく歪んでいる。
かつて襄陽城の花として、その美貌と才智をもてはやされた、可憐な少年の面差しはどこにもない。
孔明は、自分に向けられる嫉妬の視線を、まっすぐに受け止めた。
「そうかもしれない。しかし、わたしは助けられるために、ここにいるのではない」
「でも結局、あんたは誰かの助けがないと、どうにもならない人間のひとりなんだ」
「だれの助けもなくやっていける人間なんぞ、この世にいるものか」
「すべてのものに例外はありますよ」
ここで答えのない、平行線をたどるばかりの問答をして、時間をつぶすつもりはない。
先へ進もうと促《うなが》そうとした孔明であるが、はっと口を閉ざした。
行ってしまったとばかり思っていた兵士たちが、またこちらに戻ってきたようだ。
ふたたび身を低くして物陰にかくれると、什長の苛立った声が聞こえた。
「侵入者を捕らえろというだけではなく、消えた子供たちも捜せだと?
我らをなんだと思っているのだ!」
孔明がそっと覗くと、兵卒たちは、だれかを両脇から抱えるようにして、引きずるように歩いている。
什長は、部下たちにてきぱきと指示を下しながらも、あきらかに感情的になっていた。
かれらに捕らえられていたのは、劉表の部屋で琴を弾いていた、白髪《はくはつ》の者であった。
白く濁った目をさまよわせ、兵卒たちに引きずられるようにして廊下を行く。
「隊長、なんだって劉琮公子のお遊び相手まで逃げ出しているんです?」
「俺が知るか! ともかく命令どおりにするのだ」
そこへ、ばたばたと兵士が駆け込んできた。
「伝令! 賊はすでに城内へ侵入した模様! 内門の衛兵が全滅!」
「全滅?」
鸚鵡返《おうむがえ》しした什長のことばに合わせるように、兵士たちも顔を見合わせる。
「逃げたのではないのか? 全滅なのか?」
「全滅でございます! 城内を守る部将はすべて打ち倒された模様。
外門に援護を要請しておりますが、外門でも叛乱が起こった様子」
「叛乱? だれがだ!」
「東門を守っていた部将たちが、こぞって賊に味方して、正門はいまや乱戦状態でございます。
城内の兵卒をまとめる者がおりませぬ。
混乱し、逃亡をはかる兵卒どもが掠奪をはじめた模様」
「なんということだ。城内に、ほかに人はおらぬのか?」
「わかりませぬ。蔡将軍は行方知れず、劉州牧は伏せっておられ、ほかの将軍方も姿をお見せになりませぬ」
逃げたか。
伝令の話を聞きつつ、孔明は、自分のことのように苛立った。
腐り始めていた襄陽城の内部が、いま激しく音を立てて崩れだしている。
蔡瑁の命令がないために兵士は動揺して暴走し、蔡瑁に与していた武将たちも、身の安全を考えて、隠れてしまっているのだ。
本来ならば、先頭に立って城内の混乱を収めねばならない立場にあろう者が、だ。
もちろん、この状況は、孔明には歓迎すべきことではある。
しかし、かつての襄陽城の様子を知っているだけに、怒りもおぼえる。
とくに蔡瑁の腰抜けぶり。
平時は威張り散らすだけ威張り散らしておいて、戦時はこれか。
つづく
※ いつも当ブログに遊びに来てくださっているみなさま、ありがとうございます(*^▽^*)
そして、ブログ村およびブロブランキングに投票してくださったみなさまも、多謝です!
さらに、サイトのウェブ拍手を押してくださった方も、ありがとうございます(^^♪
メッセージもいただけました、ありがたやー!
お返事は、今日か明日、当ブログで近況報告を更新しますので、そこでさせていただきますね♪
「小説家になろう」のほうは、一気読みしてくださった方がいたようです、これまたありがたい。
どうも落ち着くかと思っていたら、ぜんぜん落ち着かない状況がつづいていて、創作に本腰を入れられないでいます;
でも! きっと戻ってきます。がんばりまーす!(^^)!
「隠れて」
強ばった声で花安英《かあんえい》がいい、孔明は素直に物陰に身をひそめた。
廊下を進む孔明と花安英の前に、兵士たちが数人、束になってこちらへ向かってくるのが見えた。
さきほどから城内が騒がしい。
ばたばたと兵士たちは早足に駆け去っていく。
「さきほど、賊が、劉州牧の部屋を守っていた連中を皆殺しにしたらしいぞ」
「おかしいではないか。賊が門を突破したらしいとしらせがあったのは、ついさっきなのに」
「賊が二手に分かれているのだ」
「いや、三つだろう。正門で暴れているのと、そいつを囮にして城内に入り込んだのと、すでに城に入り込んでいるやつの三つだ。
しかし、俺たちのほかに、城をうろついている若い連中は、いったい何者なのだ?」
什長《じゅうちょう》らしき年配の男が、首だけを動かして兵士たちを振り返る。
「詮索無用だ。われらは賊を捕らえることのみに集中すればよい」
「はあ」
納得しかねるというふうに、兵士たちは返事をかえした。
薄暗がりに隠れる孔明は、遠ざかりつつある足音に安堵しつつ、考える。
すでに城内にいる賊とは、ほかならぬ自分たちのことであるが、ほかに二手?
正門で闖入者《ちんにゅうしゃ》があり、潘季鵬《はんきほう》の兵士たちと衝突したらしい。
兵士たちの話からすれば、闖入者は二人で、ひとりが囮になり、もうひとりが別の門から侵入したようだ。
詮索するまでもなく、それは趙子龍と|斐仁《ひじん》、あるいはあの老人であろう。
「あのばか」
物陰で兵士たちの話を耳にしつつ、孔明はつぶやいた。
あれほど新野へ帰れと言ったのに。
たった三人で、この城内全員を相手にするつもりか。
孔明は、手にした長剣の柄を、ぎゅっと掴んだ。
人を殺したことはない。
しかし、やらねばならぬ。
ふと気づくと、花安英が傍《かたわ》らに立ち、見下すような視線を送っていた。
「ここでじっとしていれば、あんたの助けが来るかもしれないね」
血に汚れた花安英の顔は、思わず目を背けたくなるほどに、みにくく歪んでいる。
かつて襄陽城の花として、その美貌と才智をもてはやされた、可憐な少年の面差しはどこにもない。
孔明は、自分に向けられる嫉妬の視線を、まっすぐに受け止めた。
「そうかもしれない。しかし、わたしは助けられるために、ここにいるのではない」
「でも結局、あんたは誰かの助けがないと、どうにもならない人間のひとりなんだ」
「だれの助けもなくやっていける人間なんぞ、この世にいるものか」
「すべてのものに例外はありますよ」
ここで答えのない、平行線をたどるばかりの問答をして、時間をつぶすつもりはない。
先へ進もうと促《うなが》そうとした孔明であるが、はっと口を閉ざした。
行ってしまったとばかり思っていた兵士たちが、またこちらに戻ってきたようだ。
ふたたび身を低くして物陰にかくれると、什長の苛立った声が聞こえた。
「侵入者を捕らえろというだけではなく、消えた子供たちも捜せだと?
我らをなんだと思っているのだ!」
孔明がそっと覗くと、兵卒たちは、だれかを両脇から抱えるようにして、引きずるように歩いている。
什長は、部下たちにてきぱきと指示を下しながらも、あきらかに感情的になっていた。
かれらに捕らえられていたのは、劉表の部屋で琴を弾いていた、白髪《はくはつ》の者であった。
白く濁った目をさまよわせ、兵卒たちに引きずられるようにして廊下を行く。
「隊長、なんだって劉琮公子のお遊び相手まで逃げ出しているんです?」
「俺が知るか! ともかく命令どおりにするのだ」
そこへ、ばたばたと兵士が駆け込んできた。
「伝令! 賊はすでに城内へ侵入した模様! 内門の衛兵が全滅!」
「全滅?」
鸚鵡返《おうむがえ》しした什長のことばに合わせるように、兵士たちも顔を見合わせる。
「逃げたのではないのか? 全滅なのか?」
「全滅でございます! 城内を守る部将はすべて打ち倒された模様。
外門に援護を要請しておりますが、外門でも叛乱が起こった様子」
「叛乱? だれがだ!」
「東門を守っていた部将たちが、こぞって賊に味方して、正門はいまや乱戦状態でございます。
城内の兵卒をまとめる者がおりませぬ。
混乱し、逃亡をはかる兵卒どもが掠奪をはじめた模様」
「なんということだ。城内に、ほかに人はおらぬのか?」
「わかりませぬ。蔡将軍は行方知れず、劉州牧は伏せっておられ、ほかの将軍方も姿をお見せになりませぬ」
逃げたか。
伝令の話を聞きつつ、孔明は、自分のことのように苛立った。
腐り始めていた襄陽城の内部が、いま激しく音を立てて崩れだしている。
蔡瑁の命令がないために兵士は動揺して暴走し、蔡瑁に与していた武将たちも、身の安全を考えて、隠れてしまっているのだ。
本来ならば、先頭に立って城内の混乱を収めねばならない立場にあろう者が、だ。
もちろん、この状況は、孔明には歓迎すべきことではある。
しかし、かつての襄陽城の様子を知っているだけに、怒りもおぼえる。
とくに蔡瑁の腰抜けぶり。
平時は威張り散らすだけ威張り散らしておいて、戦時はこれか。
つづく
※ いつも当ブログに遊びに来てくださっているみなさま、ありがとうございます(*^▽^*)
そして、ブログ村およびブロブランキングに投票してくださったみなさまも、多謝です!
さらに、サイトのウェブ拍手を押してくださった方も、ありがとうございます(^^♪
メッセージもいただけました、ありがたやー!
お返事は、今日か明日、当ブログで近況報告を更新しますので、そこでさせていただきますね♪
「小説家になろう」のほうは、一気読みしてくださった方がいたようです、これまたありがたい。
どうも落ち着くかと思っていたら、ぜんぜん落ち着かない状況がつづいていて、創作に本腰を入れられないでいます;
でも! きっと戻ってきます。がんばりまーす!(^^)!