はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
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陳叔至と臥龍先生の手記 その5

2022年01月26日 12時48分06秒 | 陳叔至と臥龍先生の手記


「叔至、そこいにた派手なの、どこ行った」
趙雲は、厩舎にて、ともに馬の身体を洗っていた陳到に尋ねた。
入り口のそばの柱に背をもたれさせて、じっとこちらを見ていた孔明が、いつの間にかいなくなっている。
「ちょっと代わってくれ」
陳到に言い、趙雲は外へ出て、孔明がどこへ行ったのかを確かめた。
大樹の木陰にて、ほとんど半裸になって、ぐったりと、魚の干物みたいに床に並んで眠っている兵卒たち。
そのかれらに混じって、木の幹に背をもたれさせ、孔明はすやすやと寝息をたてていた。
厩舎の目と鼻の先である。
そのうえ、ここで干物になっている連中は、見た目こそみっともないが、趙雲が、特に目をかけている精鋭たちばかりだ。
何か事が起こっても、孔明を守ることができるだろう。
事実、趙雲がそっと近づいてきたにもかかわらず、眠っていた数名は目を覚ましていた。
うっすら目を開き、趙雲がなにをするのか、黙って見守っている。

趙雲は、城の洗濯女が木陰に干していた布を一枚拝借し、すやすやと眠る孔明に、そっとかけてやった。
とりあえず、主騎を解任されているわけでもないし、守ってやらねばならぬ。
わが君がやっと手に入れた軍師だ。
徐庶が曹操のもとへ行ってしまった今、代わりになるものがいない。
なにより、わが君のために、こいつを守るのだ。

それにしても、文官不足の新野において、昼夜たがわず熱心に働いていると聞く。
普段から相当に疲れているだろうに、さらに慣れぬ兵舎のあちこちを回って、しかもこちらの観察までしている。
こいつは、自分をいじめるのが好きなのか?
ともかく、ここにいてくれている分には、安心していられる。
大人しくしてろよ、と心の中でつぶやきつつ、趙雲はふたたび厩舎に戻った。



孔明は、夢を見ていた。

夢を見るくらいであるから、実際の眠りは浅い。
神経がどこかで休まっていないのだ。
夢のなかで、孔明は、たった一人、書庫で仕事をしていた。
見たこともないほどの大きな書庫で、立派な卓がいくつも並べられている。
書庫にいるのは孔明一人きりである。
それには理由がある。
夢のなかでは、孔明以外の人間は、みんな病を得たり、家族に不幸があったりして、だれも出仕できなかったのだ。
仕方なく孔明は、ひとりで仕事をこなしている。
だが、そこは孔明である。
完全にひとりなので、かえって、のびのびできている。
周囲を気にしなくてよいし、更衣だって……そうだ、毎回変えているが、これだけ人がいなければ、今日くらいは着た切り雀でよいか。

そうして、ふと外に目をやると、書庫の窓辺にて、趙子龍が馬と一緒に、つくねんとしているのであった。
何をしている、というわけでもなく、そこにいるのである。
変なひとだな、とおもったが、声をかけるにも、話題がない。
そこで孔明は気づく。
そうだ、もともとこの人と、まともに会話をしたことがないのだ、と。
こんなところにまで馬を連れてきて、よほど馬が好きにちがいない。
そりゃあ、厩舎の馬の、あの様子からすれば、相当なものだというのはわかるけれど。
そうか、ほかにはだれもいないのに、わたしの主騎ということだけで、あそこで待っていなければならないのだな。
気の毒だな。
帰ってよいと言うべきだろうか。
その前に、なにか話したほうがよくないか。
せっかく待っていてくれるのだから。
でも、なにを? 
馬が好きか、って? 
好きだと答えられたら、そうですかで終わりになってしまうではないか。
さて、困った、なんと言おう。
困った、困ったぞ…


陳叔至、記す

あきれたことに、あの軍師は、昼休みをすぎても、まだぐうぐうと眠っていた。
調練場のすぐそばで、である。
午後の調練で大太鼓、小太鼓が打ち鳴らされ、兵卒たちが大音声で掛け声をあげていても、まったく目を覚まさない。
なんだか腹が立ったので、起こしてやろうとしたら、趙将軍が止めた。
優しい趙将軍は、疲れているのだろうから、そのままにしておいてやれ、という。
どうやら、料理番の一件が効いたようだ。
趙将軍、軍師について、よい印象を持つに至ったようである。
この人が胃袋で動く人だったとは、ちと意外だ。
自分のあら捜しをされている、とも知らないで、お気の毒な趙将軍。
この方は人が好すぎる。
ここはわたしが、あえて、でしゃばるべきであろうか。
思案しているうちに、終業を告げる太鼓の、どん、という音が響いたので、わたしの仕事はそこでおしまい。
真っすぐに妻子の待つ家へと帰った。




寄り道もせずに陳到は愛妻のもとへ帰り、本日の顛末をくわしく聞かせた。
「わが君にお願いして、趙将軍が軍師の主騎になるという人事を取り消してもらおうか、と考えているのだが、おまえ、どう思う」
というと、賢き妻は、
「およしなさい、それこそ出しゃばりというものです。趙将軍がどのようなお考えか、聞いてもいないうちから、莫迦な真似をするのではありませぬ。お殿様が、将軍を軍師の主騎にと決められたのでしょう。お殿様には、お殿様のお考えがあるのです。郎君が下手にしゃしゃりでるところではありませぬ」
と言った。
「なるほど、そうなの……かな?」
「そうです」
「では、趙将軍のご意向を伺ったうえで、わが君へ、趙将軍が主騎になるのはどうかと思うとわが君にお話する、というのはどうであろう。あの居眠り軍師に、主騎なぞ不要だと思うのだが。ん? でも、待てよ? 将軍が主騎を断ったら、こちらにお鉢が回ってこないかな? だったら面倒だなあ。俸禄は上がるであろうが。どう思う?」
陳到の皮算用に、妻は目を吊り上げた。
「そういう、せせこましい計算をなさるところに、貴方様の器の小ささがあらわれておりますね。すべてお殿様にお任せするべきだと申し上げているでしょう。だいたい、将軍のことはともかく、軍師のことは、まだどんな御方か、よく知らないではありませぬか。それなのに、どうして皆様がたは、あれこれと勝手な印象を軍師に押し付けようとなさるのですか。おかしいことだと思われないのですか。ご自分が軍師の立場であったなら、どう受け止められるでしょう」
「いい気分ではないな」
陳到は首を縮めた。
相談するのではなかった。
たしかにいうとおりなのだが、正論すぎる。
「ああ、もう面倒だから、もう軍師のことは趙将軍におまかせしよう」
「それがようございます」
賢き妻はうなずいて、食卓にほかほかの料理をならべはじめた。
陳到は、気持ちをぱっと切り替えて、愛妻のつくった、世界一うまい料理を食すことにした。
兵舎の連中は、ちゃんとうまい料理にありつけたかな。
ああ、おいしい。
そう思いながら。

つづく

(2005/09/18 初稿)
(2021/11/24 改訂1)
(2021/12/17 改訂2)


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