はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
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ねずみの算数 その2

2022年02月08日 15時26分51秒 | ねずみの算数


「書いたものをまとめるくらいなら、手伝いのうちに入らんだろう?」
「三割?」
なんだって、と言ったつもりらしい。
「だから、書き終わった書簡をだな、まとめるくらいならば、手伝うぞ、と言ったのだが」
孔明は、手にしていた筆を揺らしつつ、しばし考えた。
考えている時間も、いつもより長い気がする。
「頼むとしようか」
では、と腰を浮かしかけた趙雲であるが、孔明が、ふと動きを止めた。
「待て。あなたが書類をまとめているあいだに、刺客が襲ってきたら、わたしはどうなる?」
「俺が書類を打ち捨てて、刺客と戦えばよい」
「刺客が複数できたとしたら、どうなる? あなたを止める係の者と、わたしを殺める者との複数できたら?」
「……」
「わるかった。単なる言葉あそびだ。人の生き死にを、斯様に語るものではないな」
といって、孔明は太いため息をついた。
「まだどこかに、隆中でのんびり過ごしていたときの感覚が、残っているのだな。よくないな、とは思っているのだが。よそさまの、爪を噛む、貧乏ゆすりをする、などの悪い癖とおなじで、こうしてつかれたときに、人の虚を突いておどろかせる癖が、ひょいと顔をだしてくるのだよ。こういうところが、みなの鼻につくのだろうな」
そうだろうかと趙雲は思う。
かれ自身は、すっかり孔明に慣れてしまっているからだ。
なので、いまさら、ほかの武人たちが、なにをもって孔明のことを「鼻に付く」と言っているのかが、わからなくなっている。

「なにか食うものを持ってくるか。腹がすいていると、考え方も後ろ向きになるものだ」
「気遣い無用だ。腹が満たされれば、今度は眠くなるからな。どうしても今夜中に、発注書を書き上げなければならぬ」
「そんなに安いのか? 三割、といえば、そうたいした値引きには思えないのだが」
すると孔明は、両方の眉を上げて、反論した。
「なにを言う。商人どもめ、こちらが物資をかき集めていると知って、定価の倍をふっかけてくるものもザラなのだ。定価で売ってくれるだけでも、万々歳なのだぞ。なのに三割。良心的もいいところだ。裏があるのではとすら疑いたくなるほどの値引きだ」
「そこまで良心的な商人が、なぜこうも急かしてくるのだ?」
「むずかしい事情があるのだ。その商人、許都の夏侯氏とつながりがある。なので、あまりこの地にとどまっていると、本拠地に戻ったときに、劉備に協力したであろうと因縁をつけられる恐れがある。
でも、かれらとしては商機を逃したくない。そこで、急いでこの土地を離れる前に、取引を終えようとしている。だから、発注書も早くよこせ、というわけだ」
「待て。矛盾しているではないか。夏侯氏につながる商人が、なぜ俺たちに品物を売る?」
「張飛の奥方は夏侯氏じゃないか。その繋がりだよ」
「ああ」

趙雲は、張飛の娘といってもおかしくないほど年若い張飛の奥方を思い浮かべた。
夏侯氏から、略奪どうぜんに娶った娘である。
張飛からすれば、可愛くてたまらないらしいのだが、傍から見た分には、わがままで世間知らずな女人である。
趙雲の苦手とする性質の女人だ。

「義理と人情のはざまで、商人も苦しんでいる、というわけだ。ほんとうは、今日中に出立する予定だったのを、なんとか説得して、明日の朝まで…いや、今日の朝まで、ということで伸ばしてもらったのだ。
向こうとしても、一定の条件を満たさねば売らない、というふうにしておけば、あとで糾弾されたときに有利になる、諸葛亮に無理強いされた、というふうに体裁を整えられるだろう?」
「無理強い、ねえ」
おそらく孔明はいつもの口八丁手八丁で、商人を繋ぎとめ、三割、という数字を引き出したのだろう。
「軍師、思うのだが、なればこそ、いまから文官どもを複数名呼び出して、仕事を手伝わせたほうがよいのではないか」
「…条件がもうひとつあるのだ」
いやな予感。
「わたしが一人で発注書を書き上げることができたなら、という条件なのだ」
「莫迦な。斯様なことを言い出したのはだれだ? 張飛か?」
本気で怒り出した趙雲から目をそらし、孔明はあいまいに言った。
「まあ、具体的な名を出すのは控えさせてもらおうか」
「図星か。たいがいのことは、目をつぶることができるが、嫌がらせを仕掛けてきたとなると、話は別だ。まったく、状況がわからず、人の足を引っ張ることしかできぬのか」

朝になって、顔をあわせたら、どうしてくれようと算段していると、孔明が、ふたたび手を止めて、じっと趙雲を見ている。
「なんだ」
「わたしに、あれこれと肩入れをしてくれるのは嬉しいのだが、あえて言う。揉め事は起こしてくれるな。武人同士、仲良くしてくれ。憎まれ役はわたし一人で十分だ。それと、そんな条件を出したのは、張将軍ではないよ」
「では、だれだ」
「さっき名前を言った」
「ああ…」

夏侯氏は、いい意味でも悪い意味でも素直な女だ。
夫から、ほぼ毎日、孔明への苛烈な悪口をききつづけ、夫をくるしめる、ろくでもないやつをこらしめてやれ、と単純に考えてしまったのだろう。
本人は、ちょっとしたイタズラでもしているくらいの気軽さで、いやがらせをしているのかもしれないが。

つづく

(2005/04/10 初稿)
(2021/11/28 推敲1)
(2021/12/22 推敲2)
(2021/12/26 推敲3)
(2022/01/09 推敲4)


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