とし坊のお祭り三昧

祭りの宝庫、のとの祭り紹介

能登に初夏の訪れを告げる「デカ山」(青柏祭)でGW終幕に近づく

2017年05月05日 | 日記
4,5日と七尾市で「デカ山」(青柏祭)があり見てきました。


4日、山王神社に3基の曳山(山車=やま)が勢揃い。






今年のデカ山の人形を見てください。鍛冶町・「義経千本桜 鳥居前の場」。府中町・「忠臣蔵 討ち入りの場」。魚町・「太閤記 本能寺の場」の名場面がそろいました。


デカ山の骨組みのミニ版が通りの窓から見ることができました。




青柏祭の由来は、神饌を青柏の葉に盛って供える事からと言われている。4日、正午過ぎ青柏祭奉弊の儀式があり、3町の代表が御幣と神饌を受け取り山車に飾る






デカ山は「木遣り」により引き出されたり、止まったりする。その木遣りを歌う青年と青少年(中学生)







デカ山の見所はなんと言っても狭い街角で巨大な曳山を屋根すれすれに方向転換させる場面、辻廻し(つじまわし)です。掛け声に合わせ長さ8m余の大梃子(おおてこ)に若連中が鈴なりになり車輪を浮かせ地車を入れ一気に旋回する場面。


曳山を先導するのは2本の提灯です。


デカ山の時に作られ食することのできるお饅頭「ながまし」が引き手に配られます。


露店の並ぶ通りをデカ山は一般市民、観光客などの皆さんで曳かれる。


御祓川に映るデカ山




5日御祓川・仙対橋特設ステージで「七尾まだら」「七尾豊年太鼓」、民謡、歌謡ショーなどのアトラクションが繰り広げられます。


曳山の周りを「綺麗どころ」が一般客が事故に巻き込まれないようガードしていますが、髪飾りにも町のマークが


仙対橋の欄干の飾りは3町の曳山がデザインされています。

天候に恵まれた3.4.5日でした。能登に向かう「のとさと山・さと海道」も自然渋滞に遭いイライラした運転。自分がチャンスを待ち構えているところへ割り込んで構え動かずイライラ・・・・・。かと思えば久しぶりにカメ友に会い近況報告もありました。それなりに撮せたかなぁ~と満足の3日間でした















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GW・3日は小木港の伴旗祭りからスタート

2017年05月04日 | 日記
3日は、能登町小木港の「伴旗祭り」に行ってきました。

途中、能登空港前広場で「能登キリシマツツジ・フェスティバル」が開催されていたので寄り道しました。






樹齢30年~100年の見事な盆栽が展示されておりました。特に日本一と言われる盆栽はこの日のためにハウスで管理し今日の満開の姿を披露です。
また、小さなものから庭に植えるとちょうど良いものなど即売があり沢山の人で賑わっておりました。


中斎の芦田家のキリシマは満開にはもう少し。


小木港への途中にチューリップ、菜の花、八重桜の競演です。


小木港の中山さん宅のキリシマは、病気におかされ元気のない姿でしたが隣のキリシマは満開でした。


1本の伴旗は子供たちが700余枚の和紙を貼り合わせ高さ20余っもある大きなものです。貼り合わせたことが確認できますか・・・・?


旗には、大漁・安全を願う縁起の良い言葉が書かれております。また、その言葉の意味も描かれた看板が。
以下、各町内の伴旗をご覧ください。
















各町の少年団が作った旗と文字です。


御座船、伴旗を立てた伝馬船を曳く船の船首には、お酒がぶら下がっておりました。


御座船には「小木・ともばた太鼓」が威勢良く神輿の到着を告げ打ちならされる。




若衆に担がれた神輿が到着、




町内を巡行した神輿は御座船に乗せられ巡航へ。港内を3周半周り港外へ。






丘にある神社に海上から大漁、安全を祈願し帰港する。


帰港した御座船、伴旗の伝馬船はロープから放され各町の船着き場へ。

この日、海の向こうには雪残る立山連峰が薄らとみることができました。







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五月の街に絢爛豪華な芸術品が巡行する「御車山」

2017年05月01日 | 日記
もの5月1日、朝からどんよりした空。時折小雨の天候。TVでは実行か中止か・・・・役員会で協議中のニュース。
高岡の友人から「ヤルッ!」と電話があり行ってきました。

高岡に到着してもどんよりした空模様





坂下町を通ると山宿から役員の方々が集合場所に向かうところでした。坂下町は御車山巡行の露払いとして「源太夫獅子」(げんだいじし)で御車山を先導するしきたりです。






御車山をご招待する家では、簡単な祭壇にお供えします。山は立ち止まり神事をします。


そもそも御車山の天正16年(1588年)に豊臣秀吉が御陽成天皇を聚楽第に迎え奉るときに使用した御所車を、加賀藩祖前田利家が拝領し、高岡開町の祖・二代前田利長が慶長14年(1609年)、高岡城を築くにあたり町民に与えたのが始まりとされており

 前田利祐(前田家18代現当主、宮内庁委嘱掌典)さんが出迎えた役員の皆さんに挨拶の最中でした。














午前中は雨で一部のお祭りと巡行がなかったせいか沢山の人出です。巡行の様子を見てください。




この2枚は方向転換のものです。全部で7基の御車山ですが二番町の御車山だけが二輪です。方向転換するときには4輪のものは目を持ち上げ前車輪を浮かせて一気に旋回しますが
2車輪の方は車輪を軋ませながらそのまま転換します。




裃を着けた子役たち、記念写真を撮る子供たち。お祭りの中には子供たちの登場が嬉しいです。良い被写体です


街の中で、祭りの展示がありますがその前で着物姿の子供たちが応えてくれました。

午前中の雨も「本当にふりましたか・・・・?」と言いたいほど青空が戻り今年もすてきな御車山祭を見ることができました。
高岡名工の技は金工、漆工、染色など工芸技術の粋が車輪や高欄、長押などに施された華やかな御車山はいつまでも飽きを感じさせません。












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